第128話:この上のない安心感
異世界ルナティアの──
今日も静かに青光が満ちる──
いつもの『案内人スキル室』では──
この部屋の責任者であり、『案内人スキル』の会話機能を担うアンナが、
スキルの所持者である『転移勇者』のミコトと、
これもいつものように心話で、
──喜んだり──驚いたり──うな垂れたり──
と、微笑ましいやり取りをしていた。
そして、その裏では──
アンナの部下二体が、淡々と“低酸素空気”の検証を進めている。
白い光がふわりと揺れ、
そこから次々と検証用の『マホ仮想体』が生まれていく。
まずは生物の仮想体──
二足で立つ人類、
四足の獣、
羽ばたく鳥、
水を思わせる滑らかな魚影、
細かな脚を持つ昆虫、
──どれも、生成された瞬間に、青明るい光に薄く包まれる。
さらに──
空気がわずかに震え、別の色が空間に滲む。
下級魔人、
中級魔人、
上級魔人、
──それらはすべて、赤暗い光に薄く包まれて現れる。
まるで“敵意”や“危険”そのものが色になったようだった。
他方、少し離れた場所では、
四体の助っ人が“日本のデパートの品物”の解析を進めているが──
酒瓶、
調味料、
美術品、
大小の魚、
──助っ人それぞれの周りの仮想体は、七色の光を薄くまとい静かに鎮座している。
それらを見るに、
仮想体を包む光の色は──生成の瞬間に宿る“感情”によって変わるのだと推測できた。
同じ頃、『案内人スキル室』よりさらに上層の──
巨大スクリーンが無言でそびえる『大広間』では──
上位職たちがずらりと並ぶ。
──本来なら、重大事態の時にのみ招集される場所。
だが今は、“ミコトの言動から目を離せない”という理由で、
上位職のほぼ全員がずっと常駐していた。
スクリーンに映るミコトの姿が揺らめくたび、
大広間の空気がわずかにどよめく。
「また、何か驚くべきことを……」
「息をするだけで、一瞬で昏倒……?」
「そんなことがあり得るの……」
「息を止めても、しばらくは意識ありますよ?」
「そんな生理反応があるなら──魔族を倒し放題に!」
「もし本当なら、いったいどんな生体構造なのか……」
驚愕と興奮が、波のように広がっていく。
だが──
話題が“G”に触れた瞬間、空気が別の方向へ転がる。
「見た目が苦手って、それはないよ、ミコトくん!」
「同じ生命の仲間じゃないか、ミコトくん!」
「あの優しいミコトさんが……意外です……」
「見た目のどこなのでしょうね……複雑さでしょうか……?」
すると、幹部職の一体が、
「それなら、もっと複雑なのがいるよ~」
そう言って、足の多い“MKD”の仮想体を生成して見せる。
薄暗い空間の中、無数の脚がゆっくりと蠢く。
「素早さとかでしょうか?」
すると、幹部職のもう一体が、
「それなら、もっと素早いのがいるよ!」
そう言い、足の長い大型の“KM”の仮想体を生成する。
影のように細長い脚が、目にもとまらぬ速さで蠢く。
その瞬間──
管理者フィアナの背筋に、
ゾワりと冷たいものが走った。
──それは、魂の奥底から湧いてくる感覚。
彼女は思わず俯き、頬を両手で押さえる。
(いけません……生命の仲間たちに偏った感覚を持っては……)
そう自分に言い聞かせ、
頭を振って忌避感を振り払おうとする。
しかし──
次々と生成される“虫の仮想体”──
それらを嬉々として見せあう者たちを──
フィアナは無意識に、視界に入れないようにしていた。
まだ、大広間では“ミコトのGへの向き合い方”という、
本来の議題から大きく外れた話題が続いていた。
青い発光体が揺れる中、
上位職たちは真剣に議論を続ける。
「生活スキル『浄汚』のない世界、不潔感から忌避感があるのかも」
「確かにそういった場所に生息していますね」
「なるほど、そういうことなら理解できます──」
そんな空気を切り裂くように、
一体の幹部職が勢いよく飛び込んできた。
クリオネのような半透明の身体が──
激しく呼吸しているかのように膨らんだりしぼんだりを繰り返し──
常に放たれている琥珀色の光が、焦りに合わせて脈打っていた。
一息つくと、
すぐに胸を張り、強い口調で告げる。
「案内人スキル室から報告がありました──著しい効果ありとのことです!」
大広間がざわつく。
だが、そのざわつきは報告への“驚き”ではなかった。
「えっと……?」
「なんでしたっけ?」
「何か忘れてるような??」
──全員、完全に忘れていた。
報告に来た幹部職は、両手を上げて“ポンッ”と跳ね上がる。
驚きのあまり、身体の琥珀色の光も“ポンッ”と一瞬輝く。
「えっ!!」
「低酸素の空気を吸わせたら魔族はどうなるか──ですよ!」
「あっ! そんなこと話してましたね、ミコトさん」
「急にGの話題になりましたから──」
「ミコトさんの取り乱し方に驚いて忘れてました……」
報告に来た幹部職は、数秒うな垂れたが、
すぐに気を取り直し、声を張った。
「魔族に限らず──呼吸を必要とする生物は──」
「一瞬で昏倒、もしくは行動不能になることが分かりました!」
その瞬間、大広間の空気が“ハッ”と引き締まる。
「効果あるんですか!」
「またミコトさんの言われた通り!」
「それは、また凄い発見ですよ!!」
薄暗い大広間に、
上位職たちの光が輝きを増していく。
ミコトの何気ない一言が、
またひとつ、異世界の常識を塗り替えた。
そして──
大広間では、いつもの“議論の渦”が静かに立ち上がり始めた。
蒼い光が降り注ぎ、
上位職たちの影が長く床に伸びる。
「しかし、なぜそんなことが起こりえるのか……」
「息を吐き切っても──すぐには失神しませんよ?」
「それより遥かに短いですからね……不思議です」
ざわめきは、まるで水面に落ちた小石の波紋のように広がっていく。
報告していた幹部職の一体が、
ゆっくりと前へ進み出た。
半透明の身体が、説明のたびに淡く脈打つ。
「精密な観察の結果──生体の呼吸の仕組みが分かりました」
琥珀色の光が強まる。
「呼吸は──吸った空気に“酸素が十分に含まれていること”を前提としていて、」
「低酸素を検知する安全機構は存在しません」
大広間の空気が、ひとつ深く沈む。
「そのため、酸素の薄い空気でも通常の空気と同じように扱ってしまい──」
「血液に十分に酸素が渡らず、それが脳に回ると意識を失う……という流れのようです」
説明が終わると、
上位職たちは互いに顔を見合わせ、
ゆっくりと頷き始めた。
さらに、代理職の筆頭が、
検証結果が記載された──淡く光るパネルを読み取りながら補足した。
「息を止めれば、肺の空気を使用する」
「また、息を吐き切っても、肺にはある程度の空気が残っている」
「だから、ある程度は意識を保てると……」
筆頭は深くうなづき、
胸元の光をわずかに強めながら続けた。
「けれど、肺は“吸った空気”を優先して使用するため──」
「それが低酸素だと、一瞬で意識障害、運動障害に繋がると言うことですね」
他の者たちも、
配られた検証結果のパネルを手に理解を口にし始める。
「な、なるほど……」
「それだけ低酸素の空気は、自然界で稀有ということですか」
「魔族にこの情報が流出したら──迂闊には使えませんね」
すると、代理職の次席が、
“空気の仮想体”を生成しながら言う。
「いえ、低酸素の空気を作り、貯蔵するのは極めて難しいと考えます……」
「魔族に情報が漏れても、実現はできないでしょう」
「ルナティアの人類でも厳しい……それが可能なのは……」
「原初の世界の知識──案内人スキルのスキル精密操作──ぐらいですね」
その瞬間、
全員の思考が同じ一点に集まった。
それは──どちらもミコトのみが扱えるものだと言うことに。
一方で、管理者フィアナは、
大広間の喧騒から少し離れた場所で、胸元を押さえたまま動けずにいた。
(こういった知識を……普通の人も持っているのですね……)
驚きが深すぎて、言葉が出ない。
その影がわずかに震えている。
(……転移勇者候補に……)
(高い専門知識をもつ方は除外していました……)
静かな心の声が、その心中に波紋のように広がる。
(それは──私たちの理解を超えてしまい、善し悪しを判断できなくなるから)
管理者としての冷静な判断。
それは長い歴史の中で積み上げられた“経験則”だった。
(普通の人が、調べながら知識を扱っていく──そのレベルを求めました)
(そうすれば、我々でもついて行くことができると……)
──皮肉なことに、ミコトは一度、“専門知識のある人の方が転移勇者にふさわしい”と、辞退を申し出ていた。
──だが実際は、高い専門知識を持つ者は、勇者候補から外されていた。
(それでも……普通の人でも、凄まじい知識量……)
胸の奥に影が落ちる。
(原初の世界『アマノハラ』に迂闊に触れてはならない──)
異世界の管理者たちに伝えられる“その言葉”。
その重さが、改めて染み込んでいく。
すると──
脳裏に別の記憶がそっと灯った。
(ミコトさんは何度も、ルナティアのために“自らを犠牲にする案”を出してくれた──)
その時は、
恐怖と驚愕で心が揺れた。
だが今は、
その献身性が、
頼もしく──温かく──
この上のない“安心感”に変わっていた。




