43話 雪月花
英語の授業が終わり、九鬼先生に授業中わからなかった文法の解説をしてもらいながら、こっそりと預かっていたキーケースを返す。九鬼先生と職員室までいっしょに歩いてきて、職員室の前で別れた。「気を付けて帰れよ」と声を受けて「ありがとうございます」と返す。そのままの足で生徒会室を横切り、すこし離れたところにある音楽室へ顔を出す。
鍵が閉まっている音楽室のドアを3回ノックする。一度、二度、三度。そのままじっと待っていると、音楽室のドアが勢いよく開いて、よく知った顔が覗いてくる。
「おー、おー。よく来たな、雑音。まあ、ゆっくりしていくと良い」
音楽室をわが物顔で占領している同級生だった。腰まであるストレートの黒髪をゆらしながら、機嫌よく歩いている。音楽室に入ると、すぐにカギをしめて、二人っきりの空間になる。そう聞くと、同じ学年の女子と二人きりというシチュエーションにドキドキしてしまうけれど、ロマンチックさなんて、たまにしかない。
いつもの席に座った。
ピアノを弾く雪姫の横顔が右から見える位置。そして、ピアノの音が綺麗に聞こえる席らしい。俺にはさっぱりわからないけど。
「よし、よし。さて、練習もそこそこに本番の時間だ。すーうっ、ふーーっ。あれっ、雑音、雑音。美月は?」
「クラスメイトとカラオケに行った。ちなみにスタンプは泣いてる」
携帯の画面を見ながら、俺は答えた。
「やれやれ、クラスの連中に付き合ってやるなんて、いいやつだな。でも、あいつカラオケ行ったことあるの?」
「あっ、無いかも」
「あー、あー。陽キャの洗礼受けてそう」
「あいつ庶民文化にうといから、たまにキョロ充になるんだよな」
ガチお嬢様の美月のことだ。きっとカラオケとか狭い室内で歌を歌う楽しさになれるまで戸惑うとおもう。困ってないと良いけど。
「ははっ、ははっ。ちょっと見たいね。マイク持ったまま知らない歌に固まって、ノリのわるい奴になってそうだ」
雪姫が背もたれのない椅子で、体を後ろに沿らしていた。細い体の滑らかなラインが綺麗だった。
「んーっ。そうだ、そうだ。雑音、帰りに牛丼いこうよ。口の中が牛丼なんだ。付き合って」
「いいぞ。あっ、まって。花恋、今日家にいるんだ。夕飯準備しないといけないから、テイクアウトでも良いか? よければ俺んちで」
「うん、うん。いいよ。妹のご飯、雑音が準備してるのか?」
「してる。だって、花恋より俺のほうが暇だもん」
「ははっ、雑音らしい理由だね。よし、よし。雑音の妹ちゃんとの再会に牛丼買って行ってやろうかなー。そのために、もうちょっとだけ、弾こう」
低い音が鳴ったと思ったら、鮮やかに音が遊び始めた。雪姫の大きな白い手が動き出す。一番長い中指の動きがすごい綺麗だ。中指に骨なんて無いように、滑らかにうねり鍵盤を叩く。
音が楽しそうで、一音一音が泣きたくなるぐらいに綺麗で、ピアノが喜んで歌っているように聞こえる。
短い曲だったらしい。気が付いたら終わっていた。
「なー、なー、どうだった?」
「最後の30秒ぐらい集中切れてなかった?」
思ったままのことを言った。
「うわ、うわー。雑音、ほんとうやだ。なんでわかるの。牛丼が頭の中に浮かんできて、一生懸命振り払ってたんだよー。お昼、雑音が弁当残しておいてくれないし」
「あれは雷堂が全部食った」
「あの、ギタリストめーっ。もう一回。牛丼に負けないからな」
そう言った一分後に、雪姫は集中を切らしていた。どうも空腹で集中できていないらしいな。演奏が終わってからひとりで大笑いして、腹を抱えていた。「だめだ、だめだー。今日調子悪い。はははっ」そういいながらすごく楽しそうにピアノを弾いている。そのうちリクエストを聞いてくれて、俺は迷わずアニソンをリクエストした。




