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夜の王子  作者: きいな
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第12話

「お陰で私も国も救われました。イル様には感謝してもしきれません」

 遠い目をするリリアは、どこか清々しいようにも見えた。心から感謝の念を持っているのだろう。それがヒスイには何となく面白くない。


「でも、結局はその国もなくなってしまったじゃないか」

 ひどい言い草だと、言った後に思った。


 リリアは目を伏せ、俯いた。

「お父様は私がいなくなったことで心を痛めていました。生涯、ずっと悩んでいました。塞ぎがちになり、国政を疎かにすることもありました。国が傾いて行くのを見るのは胸が潰れる思いでした。だからといってイル様に頼ることはできません。国を治めるのは王の役目ですから」

「帰してやればよかったんだ。親からも国からも離して、こんな寂しい暗い所に閉じ込めるなんて可哀相だ」

 そう責めるようにヒスイが言えば、イルローゼはどことなく思案気にじっとヒスイを見た。

 リリアが穏やかな声音でイルローゼを庇った。

「私が残ると言ったのです。イル様の力を借りるだけ借りて何も返さないなんて、それは礼儀に反する行為だと、お父様と話し合ったのです。イル様には何をしても返せないほどの恩義があります」

「だけど、そうしろと望んだのはイルの方だろ? 帰そうと思えば帰せたはずだ」

 そうヒスイが言うと、リリアは大きく息を吐いた。堪えていたらしい涙がパタパタと零れ落ちた。


 ヒスイは自己嫌悪と罪悪感で一杯になり、自分のしていることを激しく後悔した。


「私がここに残ることで、イル様は国の領土を守ってくれました。お父様が亡くなってまもなく、地下資源を枯渇させ、どの国にも踏み荒らされないようにしてくれました。今ではソルートの一部ではあるけれど、四季を通じて一年中花の咲く美しい土地にしてくれたのです」

 言葉を震わせながらも、リリアの言葉に恨み言はひとつも混じらない。そこにヒスイの反論など差し挟む余地もなかった。

「お父様が亡くなる時にも、最後に会わせてくれました。お父様は、私が元気でいるとわかって安心したと言って……」

 先は続かず、リリアはイルローゼに縋って声を殺して泣いた。


 今更遠い昔の悲しい思い出を語らせてどうしようというのか。ヒスイは自分で自分を罵ってやりたくなった。


「泣かせるな」

 イルローゼはリリアの背を撫で、自分のマントでその涙を拭いた。

「ごめん……そんなつもりはなかった」


 リリアにとっては突然やってきたヒスイよりも、遥か長い年月を寄り添って暮らしてきたイルローゼの方を信頼して当たり前なのだ。いくらヒスイがリリアに焦がれていたところで、二人の間によそ者のヒスイが割り込む隙などないのだ。それどころか、イルローゼに対する嫉妬からリリアを責め、あまつさえ泣かせてしまうなど、嫌われて当然の仕打ちにしかならない。


 考えなしの自分の行動に、ヒスイも泣きたくなってしまった。


「戻りたいか、リリア?」

 イルローゼが静かに言った。

「イル様?」

「太陽のあるところへ帰りたいか?」


 それは二人の別れを意味していた。

 リリアは答えず、泣き顔でイルローゼを見ていた。


「お前の言うとおり、リリアをこの城に閉じ込めたのは私だ。私がそう望んだのだ」

 リリアはその言葉を否定するように、何度も首を横に振った。そんなリリアの頭を、イルローゼはゆっくりと撫でた。

「私は長い間ずっと独りだった。独りきりでこの城にいた。そして独りでいることに飽いた。私には夜の秩序を保つことと、眷属たちを見守る役目があった。しかしお前たち眷属を見ていると、この城に独りでいることに意味が見出せなくなった」


 独りでいたくないから誰かを求める。それは当然の欲求だ。しかしイルローゼの欲求は人の生死ごと貰い受けるという、とてつもなく大きなものだ。望まれたリリアは命ごと寄り添う羽目になったのだ。


「何だよ、それ? そんな勝手に人の人生狂わすなよ。あんたの自己満足のお陰で、リリアは一生を棒に振ったんだぞ? 家族があって国があって、あんたに縋るほど大事にしてたものがあったのに、それを捨てさせたんだぞ?」

「そうだ。だが、私にはわからなかった。誰かを求めれば皆死を望んだ。連れてきた者も幾日も持たずに死んで行った。なぜ生きることよりも死を選ぶのか。私には理解できなかった」

 家族、友人、恋人。愛する人たちと別れ、得体の知れない悪魔に連れ去られる。そしてこんなにも暗く寂しい場所に永遠に囚われるのでは、死を選びたくもなるだろう。

 イルローゼはこれまで寄り添う誰かを持たなかったために、その絶望的な感情が理解できなかったのだ。


「この城で共にあったのはリリアだけだ。リリアだけは生きてくれた」

 ようやく手に入れた共に暮らす相手を、放したくはなかったのだろう。その執着心が先ほどの態度に現れたのだ。リリアを手に入れたことで、イルローゼも独りになる絶望感を知ったということだ。


 ただ誰かと寄り添いたかっただけ。

 そんな簡単で純粋な思いを、卑劣だ、自分勝手だと責められるだろうか。


 やり方は間違っているだろうが、咎めることもまた違うような気が、ヒスイはした。


「お前はリリアが好きなのだろう?」


 声音も変えず、淡々と同じ調子でイルローゼが言うので、ヒスイは大慌てに慌てた。

「え!? な、何言ってんだよ、藪から棒に。そんなこといきなり訊くなよ」

「違うのか? 好きではないのか? 二度も泣かせるくらいだから嫌いなのか?」

「違う! 全然違う! 泣かせたいんじゃない! 好きなんだ! ずっと探してんだ!」

 リリアが泣き顔のままヒスイを振り返った。驚いて涙は止まったようだ。そしてヒスイも自分の叫んだ言葉にはっと気づいて、見る見る赤くなった。

「あのぅ……えっと……今のは言葉の綾というか、そのぅ……勢いで口走っちゃったっていうか……」

「嫌いなのか?」

「違う!」

「好きか?」

「……う……ん」

 ヒスイは珍しく照れて俯き、消え入りそうな声で答えた。


「では連れて行け」

 ヒスイの前にリリアが押し出された。


「イル様?」

 見上げるリリアに、イルローゼは言った。

「迎えがきたのだ。お前が待ち焦がれていた迎えが」

「でもイル様が……」

「私はもういい。時折、お前が太陽を恋しがっているのを知っていた。この男と地上へ降りたいのだろう?」

 リリアは肯定も否定もせず、ただイルローゼを泣きそうな顔で見ていた。

「ここからお前を見ている」

 そっと囁くような、温かみを感じる声音だった。


 感情を読み取るのが難しい男だが、その無表情の下でリリアを大事に慈しんできたのだ。リリアもそれを身に染みて感じているのだろう。離れ難い思いが言葉となって溢れ出てくる。

「イル様が一人ぽっちになってしまうわ。寂しくなってきっと毎日泣いてしまうわ」

「それはお前だろう、リリア。今日はよく泣く」

 イルローゼはまた自分のマントで、零れ始めたリリアの涙を拭った。


 ヒスイは内心焦った。

 イルローゼと離れたくないリリアが、ここに残ると言い出さないか、泣いているリリアが不憫で、やっぱり手放したくないとイルローゼが言い出さないか。

 リリアの背中越しに、ヒスイはやや早口に言った。

「イルも来ればいいよ。ほんとに気兼ねしなくていいからさ」


 イルローゼはリリアの頭を撫で、それからヒスイに目を向けた。

「私はこの城から離れられない」

「どうせ誰もいないんだから、好きにすればいいじゃないか」

「この城を捨てれば、城は落ち、夜の均衡を保てなくなる」


 ルディアスの文献には、眷属を集めて地上へ降りてくる、と確かそう書いてあったはずだが、降りてくるのではなく、落ちてしまうのか。しかし文献も今となっては作り話だということがわかったから、信用に値しないが。


「夜の均衡って?」

「闇は魔の者が好む世界だ。本来、地界にいるものだが、時に道が繋がり、人間の世界へ入ってくる。均衡が崩れて二つの世界が融合すれば、人の世界へ魔の者が溢れ出すだろう。だが、人と魔は共存し難い。魔は人に害をなすことが多い」

 淡々とした口調で言うが、内容は不気味で恐ろしかった。

 一緒に来いとは言えない。むしろ、ここにいて欲しいとさえヒスイは思った。

「それがイルの役目なんだ」

 延々と長い年月を、誰にも知られず人の世を守ってくれていたイルローゼが哀れで、だがそうしてくれていたことに感謝の念も起こる。

「私が私として存在したときからそうしている。なぜそうしなければならないのかはわからないが、私はそれをやらなくてはならない」

 何だかよくはわからなかったが、イルローゼにはイルローゼの役割があり、それを放棄することはできないのだな、とヒスイは自己完結した。


「わかった。じゃあ、イルはここにいて。俺が時々遊びに来るから」

 ヒスイの思いがけない提案に驚いたのか、疑問を持ったのか、イルローゼは口を噤んだままヒスイの顔を見つめた。逆にリリアは必死の様子でヒスイに飛びついた。

「是非、是非そうしてください。イル様を一人ぽっちにしないで」

 涙が滲んだままの目でじっと見つめられ、ヒスイは思わずたじろいだ。

「え、あ……うん」

「そして、私にもイル様の様子を教えてください。泣いていないか、寂しがっていないか」


 イルローゼに目を遣ると、当の本人はリリアの心配もよそに、感情の揺れをまったく見せていなかった。

 リリアに執着はしているものの、それをおもてに表すことを知らないらしい。先程の独占欲もまるで嘘だったかのようだ。


「私はお前を見ている。寂しくはない」

「でも、でも、もうイル様に会えない。お話もできない」

 寂しいのはリリアの方らしい。元の世界に戻りたくはあるが、イルローゼと離れることに不安が先立つようだ。それはそうだろう。千三百年も共に暮らしてきたのだ。そばにいて当たり前のようなイルローゼが急に離れてしまうのは不安で仕方ないはずだ。


「俺が橋渡しするから。イルの様子をリリアに伝えるし、リリアの様子をイルに伝える。寂しくないように、俺、何でもするから」

 リリアは泣き顔でヒスイを見、何度も頷いた。


「これは我が眷属だ。安心して行け」

 そう言ったイルローゼにリリアは抱きつき、声をあげて泣いた。

 イルローゼはそんなリリアの頭を優しく何度も撫でた。

「そんなに泣いていてはこれが困るだろう? 笑って安心させてくれ。お前が笑って暮らしていたら、いずれ会いに行こう」

 リリアはしゃくり上げながらイルローゼを見上げ、か細い声で言った。

「ほんとに? ほんとにまた会える?」

「あぁ。だからもう泣くな」

 イルローゼは自分に抱きついていたリリアの腕を外し、それをそのままヒスイに渡した。

 ヒスイはそっとその両腕を受け取り、そしてしっかりと手を握った。


「リリアを泣かせるな」

「わかってるよ」

「お前がくるのを待っている」

「うん」

 ヒスイは大きく頷いた。

「イル様、また会いましょうね。私、泣かないように頑張るから、だからまた会いましょうね」

 言ってるそばから涙を零しているリリアに、イルローゼはどことなく苦笑めいた色をその目に映した。


「じゃあ、また」

 リリアの手を握ったもう片方の手を上げ、ヒスイは帰路に着いた。


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