第8話 席次は、家の格である
評議の朝、東の間の扉を開けると、卓がもう組んであった。
長卓ひとつ、名札が十枚。北の短辺が議長、南の短辺が記録役。東西の辺に四つずつ。組んだのはうちの者ではない。招集状に座次の案が添えてあって、オズワルドがそのまま受けていた。
「叔母上のご指定でございます」オズワルドは南の端で羽根ペンを削っていた。「主家が招かれる形ではございませんが、招集の主が案を出すのは作法に反しません」
名札もうちのものではなかった。木が薄く、角が立っている。うちの札は角を落としてある。落としていない札は卓布に引っかかって、隣を倒す。
わたしは卓の東側から歩いた。
北から、セラフィナ・クレスウェル、カリス男爵夫人、その義妹、ロッシュ子爵。西の辺は北から、わたし、ヴィエラ伯爵夫人、アーレン男爵、いちばん南にハーヴェル家。ハーヴェル家は欠席で、札だけが置いてある。欠席の家の席は空けたまま札を残す。これは作法だ。
家門評議の作法は、どの本にも載っていない。十年、卓のそばで見て覚えた。議は下座から述べる。上座が先に述べれば下の者が言えなくなるからだ。同じ段に二人あるときは西が先。述べた議が議事に載るには、隣席の者がその場で同じ議を述べなければならない。向かいは隣ではない。そして載った議が片づくまで、次の議には進まない。
もうひとつある。家の財に関わる議だけは、当主の裁可のほかに夫人の署名が要る。妻の持参財ならば、なおのことだ。
わたしは卓を二周した。
三つ、見えた。
カリス男爵夫人と義妹が、同じ辺で隣り合っている。一家門から二名が出て隣り合えば、片方が述べ、片方がその場で唱和できる。外の誰も動かさずに、議が載る。
ロッシュ子爵は東の辺のいちばん南だ。東の辺に座れば議長は右手になる。子爵の右の耳は遠い。聞こえない席に置かれた人は、異議を出さない。
アーレン男爵の隣は、ヴィエラ伯爵夫人と、欠席の札。男爵が何を述べても、唱和する相手がいない。
春から男爵は、領境の件を評議にかけたがっている。茶会でも三度その話をした。三度とも、卓が別の話へ移った。
「ミルカ」
「はい」
ミルカは壁際で椅子の脚を見ていた。字が読めないので、名札は読ませない。
「札を四枚動かすわ。かたちで言う」
「どうぞ」
「東の辺のいちばん南にある札。西へ回して、いちばん南に置いて」
「西のいちばん南は、もう札がありますよ」
「抜いて、わたしに渡して」
「じゃあ順番、逆のほうが手が少ないですよ」
「そうね」
ミルカは前掛けで手を拭いてから、札に触れた。この子は文字を見ないので、迷いがない。
◇
子爵の札を西へ下ろしたところで、扉が開いた。
「何をしていらっしゃるの」
セラフィナ・クレスウェルは、五十八には見えない速さで卓のそばまで来た。喪の色ではない灰色の襟に、真珠を一列。
「検めております」わたしは札を持ったまま頭を下げた。「主家の卓は、主家の者が最後に検めます」
「案は差し上げたはずよ」
「案として頂戴いたしました」
叔母上の目が、わたしの手の中の札に落ちた。カリス男爵夫人の義妹の札だ。
「それを、どこへ」
「東の辺の、北から二番目へ」
「なぜ」
「一家門から二名がお出ましのときは、隣り合わせに置きません。同じ家の声を二つに数えぬための作法でございます」
叔母上は答えなかった。
答えられない。隣り合わせにしたい理由を口に出せば、二つに数えたいのだと言うことになる。
「叔母上、何かご不都合が」
「……いいえ」
背後で扉が開いた。旦那様が入ってきて、北の短辺の前で足を止めた。
「叔母上。おはようございます」
「ヴァレン。あなたの奥方が、わたくしの案を崩していらっしゃるの」
旦那様は卓を一度だけ見た。それから、椅子を引いた。
「検めよ」
三文字だった。
わたしは手の中の札を、東の辺の北から二番目に置いた。それから残りを動かしながら、動かすたびに理由を言った。言わずに動かせば案の差し替えになる。言って動かせば、検めになる。
「ロッシュ子爵は、右の耳が遠うございます」西の辺のいちばん南へ下ろした札の向きを直す。「東の辺では議長のお声が右から参ります。聞こえぬまま裁可に加わっていただくのは、議事に瑕が残ります。西の辺でしたら、議長は左でございます」
「お隣は、そのままで」わたしは子爵の札の北隣を指した。字のいちばん長い札が、動かさずにそこにある。「係争の当事者は同じ辺に、隣り合わせて置きます。離せば双方が黙り、卓が回りません。アーレン男爵は、子爵の左でございます」
残りは二枚だった。カリス男爵夫人の札を、東のいちばん南へ。抜いてあったハーヴェル家の札を、その北隣へ。
「ハーヴェル家は、先代よりカリス家と縁続きでいらっしゃいます」わたしは札の縁を卓布の目に揃えた。「縁のある家は、近くに」
カリス男爵夫人の席は、北隣が誰も座らない席で、南は短辺の記録役だ。記録役は議に加わらない。義妹の席は同じ辺の北のほうにあって、あいだに欠席の札がひとつ挟まっている。
この席に座った人は、何を述べても唱和されない。
顔を上げると、旦那様がこちらを見ていた。
口の端が、わずかに動いた。それだけで、すぐ戻った。
◇
九つの席が埋まった。
叔母上は東の辺の北から一番目、議長のすぐ隣で背を伸ばしていた。座る前に、卓の全体を見渡してこう言った。
「席次は、家の格である。父はそう申しておりました」
誰も答えなかった。ヴィエラ伯爵夫人が窓のほうを見て、目を細めた。
「では、本日の議を」叔母上は手袋を膝に置いた。「クレスウェル家の財の管理について。先代よりお預かりした持参財を、当主お一人の裁量に置き続けるのは重うございましょう。親族会で分けて持つのが筋かと存じます」
彼女はわたしのほうを見た。
「議決には、夫人の署名を頂戴いたします。持参財は夫人のものですから。——お手は、お動きになりますわね」
「動きます」
わたしは答えた。ほかに答えようがない。
膝の上で、手袋の留めに指を当てた。手首の骨のちょうど上で締まっている。指の股も浮かない。合う手袋をはめて卓につくのは、これで二度目だ。
「では」旦那様が言った。「下座から」
◇
最初に述べたのは、西の辺のいちばん南、ロッシュ子爵だった。
「春の領境の件を、この場で裁いていただきたい」
子爵の声は大きい。耳の遠い人の声はたいてい大きい。今日はよく通った。議長が左にいるから、話も聞こえている。
子爵は座ったまま、左手の隣を見た。アーレン男爵がいる。
「男爵。あなたも同じお考えか」
「同じでございます」男爵は立たずに答えた。「同じ議を述べる。領境の件を、この評議で裁かれたい」
男爵の声は子爵ほど大きくない。大きくなくても、左の耳へは届く。
隣席の唱和が、その場で成った。
議事に載った。
叔母上の手袋が、膝の上で一度動いた。
「議長」叔母上が言った。「順を——」
「下座からだ」旦那様は羽根ペンのほうへ顎を向けた。「記録役、載せよ」
「載せました」オズワルドが言った。
オズワルドは記録の紙に一行足して、羽根の先を布で拭いた。十年、この人は書いたあとに必ず拭く。拭かずに置いたのを、一度も見たことがない。
カリス男爵夫人が腰を浮かせた。
浮かせて、同じ辺の北のほうを見た。義妹は東の辺の北から二番目にいて、あいだには誰も座らない席がひとつある。隣でなければ、唱和は成らない。
男爵夫人は座り直した。
あとは早かった。領境の件は図面と測量が要る。測量には人が要り、人には日が要る。今日この卓の上で片づくものは何ひとつない。載った議が片づくまで、次の議には進まない。
二刻後、旦那様が閉会を告げた。
「続きは次の評議で」
署名の欄は、一度も開かれなかった。
叔母上は最後まで、発言の順が回ってこなかった。上座の隣に座るとは、いちばん最後に述べるということだ。
旦那様は席を立つとき、わたしを呼ばなかった。奥様とも、夫人とも言わなかった。手のひらを上に向けて、扉のほうへ向けただけだった。十年、この人が誰かをそう示すのを見たことがない。
◇
客を送り出す位置は、玄関の間の三段目だ。
送り出す順は、着いた順の逆にする。最後に着いた家から先に帰す。そうしないと、遅れて着いた家が最後まで残って、残った家同士で立ち話が始まる。立ち話は席次の外にあるから、こちらでは組めない。
馬車が二台出て、三台目を待つあいだ、叔母上とヴィエラ伯爵夫人が柱の陰で外套を直していた。声を落としているつもりの声だった。
「あの並べ方を、誰が」
「奥方でしょう」
「十年床にいた人が、ロッシュ子爵の耳を知っているの」
衣擦れの音がした。
「あの女、アデライドではないわね」
【本日の席次】東の間・長卓ひとつ・十席。動いた名札は四枚。署名の欄は開かれませんでした。
豆知識をひとつ。
「下座から述べる」という決まりは、実在の会議作法にもあります。上の者が先に意見を言うと、下の者は反対を言えなくなる——だから下から順に述べさせる。上を守る作法ではなく、下に喋らせるための作法です。
ところがこれには穴があって、上座に座った人は「いちばん最後」になります。格の高い席は、いちばん遅い席でもある。今日それを忘れていたのは、席次を家の格だと信じている人のほうでした。
この作品も下座から述べる方式でして、感想欄はいちばん南の端に置いてあります。作法どおり、下から順に述べていただければ議事に載ります。唱和(栞と評価)は隣席からでも結構です。
次回、叔母上は帰りません。次の評議まで屋敷にお泊まりになるそうです。厨房の帳面をご所望です。




