第4話 手袋の寸法
茶会の朝は、手紙から始まる。
奥様の部屋の小卓に、紙が積んである。見舞いが十九通、招待の返礼が八通。宛名はどれも「クレスウェル公爵夫人アデライド様」で、中身もだいたい同じだ。ご快癒をお祈り申し上げます。近いうちにお目にかかれますよう。
わたしは椅子を引いて、上から順に開けた。
返事は奥様の字で書く。細くて、行の終わりに向かって下がっていく字だ。今は自分の字より速い。
十九通のうち十四通に返した。残りの五通は、返すとすぐ次が来る相手だから二日置く。返事の途切れた日が、屋敷の外から見た奥様の亡くなった日になる。途切れさせなければ、当分そういう日は来ない。
一通だけ、毛色の違うものがあった。
ヴィエラ伯爵夫人からで、王都に腕のいい医師がいるから紹介したい、近いうちに一度お見舞いに伺ってもよろしいか、と書いてある。字が丁寧だった。丁寧な人は本当に来る。
わたしは三度書き直した。快癒に向かっていること、医師はすでに屋敷に置いていること、夏を越えたらこちらから伺うこと。断りの文面は、断っていると読ませてはいけない。読ませると、次は報せずに来る。
書き上げてから、日付のところで手が止まった。夏を越えたら、と書いた。越えたころに、この屋敷はどうなっているのだろう。
返礼の八通にも同じように返した。封をして、盆に伏せる。今朝は二十二枚の宛名を書いて、わたしの名前は一度も要らなかった。要らないのが正しい。要るようになった日に、この屋敷は終わる。
前掛けの隠しに、畳んだ紙が一枚入っている。二日前にこの小卓から拾ったものだ。去年の秋の席次を、奥様が自分の手で写した紙。端に小さな染みがある。
広げて、窓のほうへ向けてみた。染みは紙の裏まで抜けていて、爪で擦っても薄くならない。落とすなら水と灰汁がいる。そうすると、字のほうが先に死ぬ。
畳んで、隠しに戻した。
◇
支度は昼の一刻前から始める。
薄い青のドレスを着て、髪を上げて、最後に手袋をはめる。順序は十年変わらない。変わったのは手袋のほうだ。
「入りませんね」
ミルカが横で言った。
「入るわ」
「入ってませんよ、それ」
右の親指の付け根で止まっている。昨日裂けたほうはもう繕えないので、今日は予備を出した。予備も同じ寸法だから、同じところで止まる。押し込むと、縫い目が内側で鳴った。
「手、小さくなりませんか」
「なりません」
「冷やすと縮むって聞きましたけど」
「それは羊毛です」
「じゃあ手袋を伸ばすほうで」
「伸ばすと指の股が浮くのよ。卓の上でいちばん見えるところ」
ミルカは前掛けの端を折り畳んだ。
「外して出たらどうです」
「公爵夫人は、卓で手袋を外しません」
「めんどくさい家ですね」
「めんどくさい家に雇われてるのよ、二人とも」
押し込むのをやめて、裂けかけた縫い目を内側から縫うことにした。針を持つと、ミルカが燭台を寄せてきた。昼だが、衣装部屋は北向きで暗い。
「レイルさん」
「なに」
「その手袋、十年前の寸法ですよね」
「そう」
「奥様の」
「そう」
「じゃあ、合ってないやつを十年はめてたんですか」
わたしは針を止めた。
「合っていることにしていたの」
「あー」ミルカは燭台を持ち替えた。「うち、そういうの多いですね」
「多いわね」
「あたし、給金の紙も合ってることにしてます」
「それは読んであげるって言ったでしょう」
「読まれると、合ってなかったときに困るじゃないですか」
「レイルさん、昨日破けたほうは捨てたんですか」
「隠しに入れてある」
「片方だけ持っててどうするんです」
「寸法の証拠になるわ」
「何の証拠ですか」
「十年、同じ紙で頼んできたという証拠」
「それ、誰に見せるんです」
「誰にも」
「じゃあ捨てましょうよ」
「捨てないわ」
わたしは糸を切った。針の穴に通し直しながら、この子の言い分はときどき屋敷の家令より筋が通っていると思う。
「ミルカ」
「はい」
「今日、東の間で茶を運ぶとき、卓の南から順に回って」
「北からじゃないんですか」
「南から。それと、わたしが右手を挙げたら、給仕の頭に伝えて。それだけでいいわ」
「何が起きるんです」
「たぶん、何も」
「起きるやつじゃないですかそれ」
ミルカは前掛けの端を折り畳んだ。折って、伸ばして、また折った。
◇
繕い終えて階下へ下りると、玄関の間に旦那様がいた。
朝から遠乗りに出ておられたらしい。外套の裾が濡れている。丘を下りて戻るまでのあいだに、王都のほうで雨が降ったのだろう。
「お帰りなさいませ」
旦那様はうなずいて、乗馬用の手袋を外した。それから、外套の内側から平たい紙包みを出した。紐が一本かかっている。
「これを」
「……何でございましょう」
「開けてから訊いてくれ」
わたしは玄関の間で紐を解いた。使用人が三人ばかり残っていたが、みな見ていないふりをした。
中は手袋だった。白い、指の長い、留めが手首より少し上にくる形のもの。茶会向きだ。
はめた。
入った。
親指の付け根で止まらない。指の股も浮かない。留めが手首の骨のちょうど上に来て、そこで一度きゅっと締まる。
わたしは自分の手をしばらく見ていた。
「寸法が」
「合わないか」
「……いえ」
「なら結構だ」
旦那様は濡れた外套をオズワルドに渡して、階段のほうへ歩いていった。
仕立て屋の手違いということはある。十年ぶん同じ寸法で作らせてきた家に、たまたま違う寸法のものが届く。あるいは、旦那様が王都で目についたものを適当に買われた。どちらも起こる。
偶然はある。二十六人ぶんの手のかたちを覚えているわたしが言うのだから、間違いない。
わたしは指を一本ずつ曲げてみた。全部曲がった。
◇
東の間の卓を最後に見て回っているとき、オズワルドが来た。
「一名、欠けました」
「どなたが」
「ヴィエラ伯爵夫人が姪御をお連れになる予定でしたが、取りやめに」
「では二十五に」
「一名、増えます」
わたしは名札の列から手を離した。
「どなたでしょう」
「セラフィナ・クレスウェル様」
「……招いておりません」
「招いておりません」オズワルドは同じ言葉を返した。「先ほど、馬車が丘を上がっております」
「旦那様は」
「ご存じないはずです」
叔母上は旦那様の父君の妹にあたる。五十八になられる。年に一度、家門の帳面を検めに屋敷へ来て、そのたびに使用人の数を数えていく。数えるだけで、名前は呼ばない。そこは家令とよく似ている。
もうひとつ、この人には十年前がある。婚礼の日、東の控えの間の前の廊下に、わたしと同じ側に立っていた人だ。あの朝、扉の中と外に誰がいたかを、わたしは並びで覚えている。
「オズワルドさん」
「なんですか」
「叔母様は、去年の秋の茶会にはいらしていません」
「おりません」
「一昨年の冬にも、その前の夏にも。家門の帳面のとき以外、この屋敷の卓についたことがありません」
オズワルドは帳面を閉じるときと同じ手つきで、袖を直した。
「本日は、おつきになるそうです」
「本日、何をお検めになりますか」
「茶会に検めるものはありません」
「帳面のときはお検めになります。本日は帳面をお持ちになりません」
「持たずにいらっしゃる日もございましょう」
「十年、一度もございません」
オズワルドは答えなかった。
「菓子を三種から二種に減らします」
「なぜ」
「叔母様は甘いものを召し上がりません。三種お出しすると、召し上がらない方の皿だけが空きます。空いた皿は、卓のどこからでも見えます」
「二種でも空きます」
「二種でしたら、空いているのが皿ではなく好みに見えます」
「席を」
「そちらの判断で」
わたしは名札を一枚、卓から抜いた。取りやめになった姪御のぶんだ。裏は無地で、表の字を削り落として彫り直せば、昼までに間に合う。
人数は変わらない。お客が二十六、奥様を入れて二十七、旦那様を足して二十八。
白い木の札が、これで三枚になる。読める者は名前で探す。読めない者は木の色で覚える。どちらの目にも、今日の卓には新しいものが一枚増えたことになる。
卓は、全部組み直しになる。
【本日の席次】東の間・長卓ひとつ。招待客二十六に奥様で二十七、旦那様を足して二十八。うち一名は、招いておりません。
手袋の話を少し。この時代の礼装用の手袋は「卓で外さないこと」が作法で、外すのは誓いを立てるときと、相手を殴るときだけ——というのは半分嘘です。要するに、卓の上で手のかたちを見せないための布でした。手は年齢と労働がいちばん出るところなので、隠す口実はいくらでもあったほうがよかったのでしょう。
十年ずっと合わない布をはめてきた人の手が、今日はじめて締まりました。買ってきた本人は、何も言わずに階段を上っていきました。
次回、茶会です。叔母上は、十年前の婚礼にいらしています。




