↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたしは、奥様の代わりです  作者: 夜凪ユリエ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/18

第12話 墓のない葬儀

 氷が足りなくなった。


 地下の氷室は、冬に切り出した氷を夏の菓子まで持たせるための場所だ。人を置くようにはできていない。二日目から一日に二度、板の下へ足してきた。夏に入って三日で、残りが半分になった。


 厨房の氷は菓子にも要る。叔母上が屋敷におられるあいだ、菓子を出さない日は作れない。出さなければ、なぜ出さないのかを訊かれる。


 医師は昨日も来なかった。鐘楼の東へ使いを出した者がいる。呼んで来ないのか、来られないのかは分からない。分からないことは数えられないので、氷のほうを数えた。


 氷室の氷は、夏を越さない。切り出しは冬で、次の冬までは足せない。あと何日、という数え方はしなかった。日を決めれば、その日に間に合わせる段取りを組むことになる。組めない段取りは、組まないほうがいい。


 板を数えているとき、階段の上からミルカが覗いた。


「これ、もちませんよね」


「数えたの」


「数はかたちが少ないので」


「誰かに言った」


「言ってません」


「言わないで」


「言いません」


 それだけ言って、上がっていった。手には空の桶を持っていた。この子は、用のない場所へ来るときに必ず何か持ってくる。



 オズワルドは北の廊下で捕まえた。食器室では銀を数えていて、手を止めない。


「お墓のことでございます」


「なりません」


「では、地下の氷が」


「増やしなさい」


「切り出しは冬でございます」


「では買いなさい」


「どちらから」


「氷屋は丘の下にございましょう」


「夏に出せるのは二軒でございます。二軒とも、叔母上様のご実家に納めております」


「では、名を出さずに買いなさい」


「夏に公爵家が氷を買えば、帳面に載ります」わたしは言った。「載った紙は、あとで誰かが読みます」


 オズワルドの足が止まった。


「そちらは、帳面のことをよく分かっておいでだ」


「十年、あなたの帳面のために卓を組んでまいりました」


 彼は答えなかった。


「お届けと、お墓を」


「なりません」


「理由を伺えますか」


「申し上げることが、ございません」


 オズワルドは廊下の先へ歩いていった。三歩目で止まった。


「埋めれば、紙が要ります」


 それだけだった。振り返らずに、角を曲がっていった。



 その晩、書斎で申し上げた。


「氷室の氷は、夏を越しません」


「そうか」


「お墓を、家令が許しません」


「知っている」


 旦那様は机の抽斗を開けて、紙を一枚出した。使いに持たせる書付だ。


「王都へ人をやる。役所の受付簿を写させる」


「写しは、いかがなさいますか」


「君が読め」


 わたしは頭を下げた。下げてから、下げすぎたことに気づいて戻した。


「三日で戻る」


「もし、お届けが出ていなければ」


「出ていない」旦那様は言った。「出ていれば、叔母上はここにいない」


 そのとおりだった。届けが出ていれば、叔母上はもっと早く、もっと堂々と丘を上がってきている。あの人が屋敷に居座って厨房の帳面を繰っているのは、紙のほうに何もないからだ。


「明日の夜にする」


「……何をでございましょう」


「葬式だ」


「墓がございません」


「屋敷の中でやる。人は三人だ」


「三人」


「君と、私と、厨房の子だ」


「……承知いたしました」


「要るものを言え」


「部屋を一つ。北の棟の礼拝の間が空いております。先代の代から使っておりません」


「掃除は」


「明日の昼に。厨房の子と二人で、半刻あれば足ります」


「厨房には何と言う」


「北の棟の窓を検めると申します。雨のあとには、必ず一度見ますので」


「灯りは」


「燭台を二つ。三つ点けますと、高い窓から外へ届きます」


「刻限は」


「鐘が三つのあとに。それより早いと、洗い場に人が残ります」


「そうか」


 わたしは膝の上で指を組み直した。それから、頭の中で卓を組みはじめた。三人。東の小食堂、長卓、十四席。



 翌日の夕方、北の棟の古い礼拝の間を開けた。


 先代の代から使っていない部屋だ。石の床に、高いところへ窓が一つ。埃を掃くのに半刻かかった。ミルカが箒を持ってきて、何も訊かずに掃いた。


「ここ、何する部屋ですか」


「昔は、祈る部屋」


「今は」


「今は、何でもない部屋」


「じゃあ、ちょうどいいですね」


「ちょうどいい」


「誰の部屋でもないほうが、入りやすいです」


 ミルカは箒を持ち替えて、埃のたまった隅をもう一度掃いた。何を掃いているのかは訊かなかった。


 夜になってから、二階の東の端の部屋の窓を開けた。


 薬の匂いが出ていった。十九日、開けずにきた。開けてしまえば、あの部屋は誰の部屋でもなくなる。それが今夜の段取りの最初の一つだった。


 旦那様が運ばれた。ミルカが扉を押さえた。わたしは布の端を持って、廊下の角で二度、持ち替えた。北の棟までは廊下が三つと、階段が一つある。庭番の見回りの刻限は、昼のうちに半刻ずらしておいた。


 石の床に麻布を四枚重ねて敷いた。二枚では透ける。六枚では重くて、階段の折り返しで持ち替えられない。氷は運ばない。運べば溶けて、床に跡が残る。


 跡は、拭けば拭いた跡になる。何もしないほうが残らない。


 礼拝の間の扉に錠はない。先代の代に外したきりだと庭番が言っていた。わたしは戸口の内側に椅子を一つ置いた。錠にはならないが、置いておけば、誰かが入ったときに動く。



 東の小食堂の長卓は、十四人ぶんの長さがある。


 三人で使うには長すぎる。今夜も詰めなかった。


 わたしは席を組んだ。北の上座は空ける。十年、そこに座っていたのはわたしで、その席についていた名前は奥様のものだ。今夜は誰も座らない。


 残りを西の辺に三つ並べた。同じ辺に三人を並べるのは作法に反する。反するが、今夜の卓に格の要る者はいない。


 向かいを作らないほうがいい。向かいは、顔を上げれば目が合う。


 旦那様は南の上座の椅子を自分で引いて、西の辺の三つ目まで運んでこられた。わたしが二つ目。ミルカが一つ目になった。


「あたし、座るんですか」


「座って」


「立ってるほうが楽なんですけど」


「今日は座るの」


 ミルカは座った。座ってから、前掛けの端を折り畳んだ。


 卓の南の端に、白い花が一輪あった。


 皿も椅子もない。卓布の上に横たえてある。旦那様が屋敷にお戻りになった晩には必ず置かれるもので、十年、一度も欠けたことがない。今夜は戻られた晩ではない。それでも、そこにあった。


 誰が置くのかを、わたしは訊いたことがない。


 今日この部屋に入った者は三人しかいない。卓布を敷いたのはわたしだ。燭台を運んだのはミルカだ。残りは一人になる。


 庭の白い花は、北の塀ぎわに一株だけある。今朝そこへ行ったとき、切った跡が一つ、先にあった。


 わたしは北の端へ行って、昼のうちに庭で切っておいた白い花を一輪、卓布の上に置いた。皿は置かない。同じ置き方にした。


 卓の端が、両方とも埋まった。


 それから、三人とも動かなかった。何をすればいいのかを、誰も知らなかった。


「あたし、お経とか、そういうの知らないです」


「わたしも知らない」


 旦那様も何も仰らなかった。


「じゃあ」ミルカが言った。「名前、呼びましょうか。名前なら言えます」


 誰も反対しなかった。


「アデライド様」


 ミルカが先に言った。字の読めない子が、いちばん先に。


「アデライド様」


 わたしが言った。十年、この名で呼ばれてきた。呼んだ回数のほうは、たぶん数えるほどしかない。


「アデライド」


 旦那様が言った。


 それで終わりだった。誰も続けなかった。続け方を、三人とも持っていない。


 ミルカが立ち上がって、椅子を卓の下へ入れた。わたしも入れた。旦那様は自分で椅子を南の上座まで戻された。運んだものは元へ戻すのが、この屋敷の決まりだ。


 食事を出す段取りを組み忘れていたことに、わたしは翌朝気がついた。



 三日目の夕方、王都から人が戻った。


 旦那様は封を切らずにわたしへ寄越された。


「読め」


 役所の受付簿の写しだった。二月ぶん、クレスウェル家から出た紙を書き出したものだ。わたしは廊下の窓の下で紐を解いた。


 三件あった。


 一件目は丘の下の水路の届け。二件目は馬の登録。三件目は、四半期ごとの財の管理報告。日付と、出した者の名と、署名者の名が書いてある。


 死亡の届けは、なかった。二月のあいだ、この家から役所へ、奥様が亡くなったことを報せた紙は一枚も出ていない。


 三件目の署名者の欄に、名前があった。


 クレスウェル公爵夫人 アデライド・クレスウェル。


 日付は二十二日前。奥様がまだ息をしておられた日だ。三日あとに、あの部屋の寝台のかたちが動かなくなった。


 書いたのはわたしだ。何の紙かは、書いたときに読んでいない。読まずに署名した紙が、この十年で何枚あるのかを、わたしは一度も数えていない。


 窓の下はもう暗かった。写しの字は、まだ読めた。

【本日の席次】東の小食堂・長卓・十四席のうち三席。三席とも同じ辺に並べました。北の上座は空席。卓の端には、花が二本。


葬儀というのは、悲しむための行事ではなく、段取りの集まりです。誰を呼ぶか、どの順に立つか、何を置くか、いつ座っていつ立つか。段取りがあるから、悲しみ方を知らない人でもその場に立っていられます。


この三人は、段取りをほとんど持っていませんでした。持っていたのは、名前を呼ぶことだけでした。


次回、二度目の評議です。叔母上は、下座をご所望だそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。