第12話 墓のない葬儀
氷が足りなくなった。
地下の氷室は、冬に切り出した氷を夏の菓子まで持たせるための場所だ。人を置くようにはできていない。二日目から一日に二度、板の下へ足してきた。夏に入って三日で、残りが半分になった。
厨房の氷は菓子にも要る。叔母上が屋敷におられるあいだ、菓子を出さない日は作れない。出さなければ、なぜ出さないのかを訊かれる。
医師は昨日も来なかった。鐘楼の東へ使いを出した者がいる。呼んで来ないのか、来られないのかは分からない。分からないことは数えられないので、氷のほうを数えた。
氷室の氷は、夏を越さない。切り出しは冬で、次の冬までは足せない。あと何日、という数え方はしなかった。日を決めれば、その日に間に合わせる段取りを組むことになる。組めない段取りは、組まないほうがいい。
板を数えているとき、階段の上からミルカが覗いた。
「これ、もちませんよね」
「数えたの」
「数はかたちが少ないので」
「誰かに言った」
「言ってません」
「言わないで」
「言いません」
それだけ言って、上がっていった。手には空の桶を持っていた。この子は、用のない場所へ来るときに必ず何か持ってくる。
◇
オズワルドは北の廊下で捕まえた。食器室では銀を数えていて、手を止めない。
「お墓のことでございます」
「なりません」
「では、地下の氷が」
「増やしなさい」
「切り出しは冬でございます」
「では買いなさい」
「どちらから」
「氷屋は丘の下にございましょう」
「夏に出せるのは二軒でございます。二軒とも、叔母上様のご実家に納めております」
「では、名を出さずに買いなさい」
「夏に公爵家が氷を買えば、帳面に載ります」わたしは言った。「載った紙は、あとで誰かが読みます」
オズワルドの足が止まった。
「そちらは、帳面のことをよく分かっておいでだ」
「十年、あなたの帳面のために卓を組んでまいりました」
彼は答えなかった。
「お届けと、お墓を」
「なりません」
「理由を伺えますか」
「申し上げることが、ございません」
オズワルドは廊下の先へ歩いていった。三歩目で止まった。
「埋めれば、紙が要ります」
それだけだった。振り返らずに、角を曲がっていった。
◇
その晩、書斎で申し上げた。
「氷室の氷は、夏を越しません」
「そうか」
「お墓を、家令が許しません」
「知っている」
旦那様は机の抽斗を開けて、紙を一枚出した。使いに持たせる書付だ。
「王都へ人をやる。役所の受付簿を写させる」
「写しは、いかがなさいますか」
「君が読め」
わたしは頭を下げた。下げてから、下げすぎたことに気づいて戻した。
「三日で戻る」
「もし、お届けが出ていなければ」
「出ていない」旦那様は言った。「出ていれば、叔母上はここにいない」
そのとおりだった。届けが出ていれば、叔母上はもっと早く、もっと堂々と丘を上がってきている。あの人が屋敷に居座って厨房の帳面を繰っているのは、紙のほうに何もないからだ。
「明日の夜にする」
「……何をでございましょう」
「葬式だ」
「墓がございません」
「屋敷の中でやる。人は三人だ」
「三人」
「君と、私と、厨房の子だ」
「……承知いたしました」
「要るものを言え」
「部屋を一つ。北の棟の礼拝の間が空いております。先代の代から使っておりません」
「掃除は」
「明日の昼に。厨房の子と二人で、半刻あれば足ります」
「厨房には何と言う」
「北の棟の窓を検めると申します。雨のあとには、必ず一度見ますので」
「灯りは」
「燭台を二つ。三つ点けますと、高い窓から外へ届きます」
「刻限は」
「鐘が三つのあとに。それより早いと、洗い場に人が残ります」
「そうか」
わたしは膝の上で指を組み直した。それから、頭の中で卓を組みはじめた。三人。東の小食堂、長卓、十四席。
◇
翌日の夕方、北の棟の古い礼拝の間を開けた。
先代の代から使っていない部屋だ。石の床に、高いところへ窓が一つ。埃を掃くのに半刻かかった。ミルカが箒を持ってきて、何も訊かずに掃いた。
「ここ、何する部屋ですか」
「昔は、祈る部屋」
「今は」
「今は、何でもない部屋」
「じゃあ、ちょうどいいですね」
「ちょうどいい」
「誰の部屋でもないほうが、入りやすいです」
ミルカは箒を持ち替えて、埃のたまった隅をもう一度掃いた。何を掃いているのかは訊かなかった。
夜になってから、二階の東の端の部屋の窓を開けた。
薬の匂いが出ていった。十九日、開けずにきた。開けてしまえば、あの部屋は誰の部屋でもなくなる。それが今夜の段取りの最初の一つだった。
旦那様が運ばれた。ミルカが扉を押さえた。わたしは布の端を持って、廊下の角で二度、持ち替えた。北の棟までは廊下が三つと、階段が一つある。庭番の見回りの刻限は、昼のうちに半刻ずらしておいた。
石の床に麻布を四枚重ねて敷いた。二枚では透ける。六枚では重くて、階段の折り返しで持ち替えられない。氷は運ばない。運べば溶けて、床に跡が残る。
跡は、拭けば拭いた跡になる。何もしないほうが残らない。
礼拝の間の扉に錠はない。先代の代に外したきりだと庭番が言っていた。わたしは戸口の内側に椅子を一つ置いた。錠にはならないが、置いておけば、誰かが入ったときに動く。
◇
東の小食堂の長卓は、十四人ぶんの長さがある。
三人で使うには長すぎる。今夜も詰めなかった。
わたしは席を組んだ。北の上座は空ける。十年、そこに座っていたのはわたしで、その席についていた名前は奥様のものだ。今夜は誰も座らない。
残りを西の辺に三つ並べた。同じ辺に三人を並べるのは作法に反する。反するが、今夜の卓に格の要る者はいない。
向かいを作らないほうがいい。向かいは、顔を上げれば目が合う。
旦那様は南の上座の椅子を自分で引いて、西の辺の三つ目まで運んでこられた。わたしが二つ目。ミルカが一つ目になった。
「あたし、座るんですか」
「座って」
「立ってるほうが楽なんですけど」
「今日は座るの」
ミルカは座った。座ってから、前掛けの端を折り畳んだ。
卓の南の端に、白い花が一輪あった。
皿も椅子もない。卓布の上に横たえてある。旦那様が屋敷にお戻りになった晩には必ず置かれるもので、十年、一度も欠けたことがない。今夜は戻られた晩ではない。それでも、そこにあった。
誰が置くのかを、わたしは訊いたことがない。
今日この部屋に入った者は三人しかいない。卓布を敷いたのはわたしだ。燭台を運んだのはミルカだ。残りは一人になる。
庭の白い花は、北の塀ぎわに一株だけある。今朝そこへ行ったとき、切った跡が一つ、先にあった。
わたしは北の端へ行って、昼のうちに庭で切っておいた白い花を一輪、卓布の上に置いた。皿は置かない。同じ置き方にした。
卓の端が、両方とも埋まった。
それから、三人とも動かなかった。何をすればいいのかを、誰も知らなかった。
「あたし、お経とか、そういうの知らないです」
「わたしも知らない」
旦那様も何も仰らなかった。
「じゃあ」ミルカが言った。「名前、呼びましょうか。名前なら言えます」
誰も反対しなかった。
「アデライド様」
ミルカが先に言った。字の読めない子が、いちばん先に。
「アデライド様」
わたしが言った。十年、この名で呼ばれてきた。呼んだ回数のほうは、たぶん数えるほどしかない。
「アデライド」
旦那様が言った。
それで終わりだった。誰も続けなかった。続け方を、三人とも持っていない。
ミルカが立ち上がって、椅子を卓の下へ入れた。わたしも入れた。旦那様は自分で椅子を南の上座まで戻された。運んだものは元へ戻すのが、この屋敷の決まりだ。
食事を出す段取りを組み忘れていたことに、わたしは翌朝気がついた。
◇
三日目の夕方、王都から人が戻った。
旦那様は封を切らずにわたしへ寄越された。
「読め」
役所の受付簿の写しだった。二月ぶん、クレスウェル家から出た紙を書き出したものだ。わたしは廊下の窓の下で紐を解いた。
三件あった。
一件目は丘の下の水路の届け。二件目は馬の登録。三件目は、四半期ごとの財の管理報告。日付と、出した者の名と、署名者の名が書いてある。
死亡の届けは、なかった。二月のあいだ、この家から役所へ、奥様が亡くなったことを報せた紙は一枚も出ていない。
三件目の署名者の欄に、名前があった。
クレスウェル公爵夫人 アデライド・クレスウェル。
日付は二十二日前。奥様がまだ息をしておられた日だ。三日あとに、あの部屋の寝台のかたちが動かなくなった。
書いたのはわたしだ。何の紙かは、書いたときに読んでいない。読まずに署名した紙が、この十年で何枚あるのかを、わたしは一度も数えていない。
窓の下はもう暗かった。写しの字は、まだ読めた。
【本日の席次】東の小食堂・長卓・十四席のうち三席。三席とも同じ辺に並べました。北の上座は空席。卓の端には、花が二本。
葬儀というのは、悲しむための行事ではなく、段取りの集まりです。誰を呼ぶか、どの順に立つか、何を置くか、いつ座っていつ立つか。段取りがあるから、悲しみ方を知らない人でもその場に立っていられます。
この三人は、段取りをほとんど持っていませんでした。持っていたのは、名前を呼ぶことだけでした。
次回、二度目の評議です。叔母上は、下座をご所望だそうです。




