もう一人の魔術師
ローゼリアの書斎を出て自室へ戻る道すがら、サイの視界に、家庭教師役を担ってくれているエーリッヒ・セネルス・ブランティスの姿が入った。ローゼリアと同じく貴族の人だが、元平民と見下さない。
国王陛下から推薦されただけあって、理性的で穏和な面を持つ。それが全てでは無いだろうが、少なくともサイを含めたリーヴァ家の皆の前で感情を露わにしたことは無い。
「ブランティス先生」
「サイ君、勉強の時間を過ぎましたので、探していました」
サイは、慌てて時計を見やると、既に十五分も過ぎていた。謝ると理由を尋ねられて母の書斎を訪ねていたことを打ち明ける。エーリッヒは、そうでしたか、と笑って許してくれた。三兄弟の家庭教師の他にも生徒の居るエーリッヒ。忙しい人なのに十五分も時間を無駄にさせたことを再度詫びて、今日から国内の貴族家の家名と爵位。そして領地の勉強に入ることを改めて告げられた。
後継でも無いが、だからといって覚えなくていいわけでもないのでサイは頷く。自室にエーリッヒを招いてもう一度詫びる。エーリッヒは軽く頷き、一冊の本を渡してきた。国内の貴族について掲載されている貴族名鑑というタイトルの本だった。貴族名鑑に沿って貴族名鑑に無い情報を付け足す、というのがエーリッヒの講義スタイル。貴族名鑑はエーリッヒの私物だと言うので、サイはノートに書き込んでいった。
「では、本日はここまで。次の講義も貴族名鑑を基に進めていきます」
エーリッヒが時間になった、と講義を終える。エーリッヒの講義は一日置きで、時間帯は同じである。エーリッヒは伯爵子息と子爵子息と男爵子息を一人ずつに加えてサイを教えているので、四人を一日置きで午前と午後に一人ずつ予定を組んでいる以上、今日のロスは本当に申し訳なく思った。エーリッヒは屈託なく笑って許してくれたが、サイは悄気つつエーリッヒを見送った。
後から執事に聞いたところによると、ローゼリアがエーリッヒに詫びとしてヴェルクンティル伯爵家を通して、王都で有名な焼き菓子店の箱詰め焼き菓子セットを持たせてくれた、という。エーリッヒは妻子持ちなので、きっと喜んでくれることだろう。ローゼリアの気配りに、サイは礼を述べた。
その日は講義の内容を復習しつつ予習も行っておくことに切り替えた。明後日の講義にエーリッヒをがっかりさせたくなかったので。
翌日サイは昨日の講義内容を振り返ってから、改めて魔力量の基準値について思考を巡らす。自分の中で分かり易く考えると、魔力がゼロという者は居ない、と言われているので魔力量が百%が上限だとすると、六十五%が魔術師になれる基準値ということになる。
半分以上って、結構魔術師としての魔力量は必要だと改めて突き付けられる。そりゃあ魔力量が足りなくて魔術師になれないと諦めもする。満たされていれば執拗に勧誘されるのも分かる気がする。
「簡単に魔力量を多くする、と口にしたが。意外と大変か? いや、だけど。ここで諦めても同じことの繰り返しになりそうだしなぁ」
サイはこの一年の勧誘にうんざりしていた。
だから魔力量を多くする魔道具が作れれば自分の環境が変わると思っている。とはいえ、どうすれば魔力量を多く出来るだろう。
普段は貯めておいて魔術を使用するときだけ、放出出来る方がいいのか。
常に自然や動物から魔力をもらい続けていつでも魔術が使える形の方がいいのか。
いや、それだと自然や動物の魔力量が落ちてしまう。自然は枯れて動物は死ぬ可能性もある。人から貰うことも出来るが、人からの魔力を貰って魔術に使用するのは、罪人のみ、と決まっている。
「常に魔力を貰い続けていつでも魔術を使用出来る状態、というのは難しい。となると、魔力を貯めておいて魔術を使用するときに放出する方がいい。それにしても、抑々どうして自分の魔力量だけで魔術を使用出来ないのか。自然でも動物でも魔力を貰わないと魔術が使えないなんて、コスパが悪くないか?」
それに、魔道具というのは、魔力を核という物に貯めてそれを基に組み込まれた魔術を使用した道具だ。それって核に魔力が貯められるって前提が成立しているわけで、別に改めて魔力量をアップさせる魔道具を製作する必要も無い、ということになる。
核って石だって言われているけど、アレはどっちかっていうと水晶だ。そういえば前世でも水晶ってパワーストーンとかなんとか言われていた。国どころか世界が変わっても水晶は力がある石って思われているのは面白いが、つまりそういうこと。
要するに水晶に魔力を貯めておいて、魔術を使用する時に水晶から魔力を取り出して使えばいいわけだよな。魔道具はそういうことだし。
なんで魔術師って誰もそんなことを考えないんだろうか。
などと考えていたら、執事からまた魔術師がやって来たって告げられる。
ライナージンスは大嫌いだけど、今日やって来た魔術師は嫌いなだけ。大が付かないだけマシか。彼は平民出身の魔術師・ダン。平民出身であることから魔術師と言えども貴族出身の魔術師からは見下されている。
ただ、ライナージンスが勝手にライバル視しているようにその魔術師としての能力は高い。古語を死に物狂いで覚えたことで現在の魔術師の中で最も綺麗な発音。そしてかなり多い魔力量。それにより魔術師として扱う魔術は緻密で高度なものばかり。緻密で高度ということは繊細な魔術とも言える。
古語を唱えることで発動される魔術だが、そのアクセントが少しでも違えば、別の魔術が発動するか発動すらしない。
サイの前世の記憶で言えば、英語のRとLの発音で違う単語になってしまうようなもの。Right(右)とLight(光)の差のように。魔術に当て嵌めれば、光を出す魔術を発動するつもりで右に曲がるだけの魔術を発動しているようなもの。或いは魔術が発動しない。古語はそんな微妙な差の発音が多いので、高度な魔術ほど苦労する。
それをダンという魔術師は死に物狂いで覚えた努力家。その辺り、サイは敬意を表しても良いのだが、ライナージンスを筆頭とした貴族出身の魔術師に嫌がらせを受け続け、貴族嫌いになったことを隠しもせずに、サイを勧誘してくる。そういうところがダンを嫌う理由だ。
サイも元平民なのだから、今は貴族でも生粋の貴族は嫌いなはずだ、と思い込んでいるので。
「サイ君、魔術師になる気は無いと言うが、貴族を見返すには魔術師になるのが近道だ」
ダンは初めて会った時から、この言葉で勧誘してくる。見返す気持ちなど無いというのに。
「何度も言いますが、魔術師になる気は有りません。貴族を見返す気持ちも有りません。私を巻き込まないで下さい」
サイも何度もこうして突っぱねる。
「君の家は貴族の身分を得ているのに、元平民と言われ続けているだろう。悔しくないのか」
「全く」
このやりとりも当初から変わらない。
「貴族の仲間入りをしているからと言って、生粋の貴族に認められることは無いんだぞ」
「認められたいわけじゃないですし、成人したら嫡子ではない私は貴族ではなく平民に籍を移します。そのことにこだわりはありません」
七歳のサイがここまで言っているのに、ダンは思い込みで貴族を見返したいはずだ。貴族にバカにされたままでいいのか。と執拗いのも変わらない。それは、ダンがずっと貴族にバカにされてきて悔しい思いをしてきたから、だろうが、それをサイも同じだと思い込んで押し付けて欲しくない、とサイは思う。
「こんなことを言いたくなかったのですが、この一年どれだけお断りしても、貴族を見返そうと私を勧誘してくるあなたに、はっきりと言わせてもらいます。貴族に見下されてきたあなたに同情心が無いわけではないです。でも、それを見返したいのはあなたで、私では有りません。あなたの復讐心を私に植え付けようとするのはやめてください。あなたはあなたで、私は私ですから」
ライナージンスよりも前からサイに勧誘を続けていたダン。彼が平民であることから、貴族出身の魔術師からバカにされ見下されてきたことは分かる。分かるし、同情しないわけではない。でも、その悔しさをバネにして奮起することは良いとしても、それはダン一人がやることであり、サイに望むことでは無い。
抑々、ダンとサイは別人。
ダンの憤りややるせなさをサイに押し付けないで欲しい。
サイが突き付けると、ダンは唖然とした。自分で自覚していたことであれば、正しい指摘をされて恥じらう或いは怒る反応を前世で見たことのあるサイは、ダンの唖然とした表情を見て、全く気づいていなかったのか、と理解する。おそらく、ダンはサイに指摘されるまで、自分の気持ちをサイに押し付けていることを全く気づいていなかったのだろう。そして、サイと自身を同一視していることにも。
「俺は、そんなつもりは」
無かった、と掠れた声で呟く。
指摘されてようやく自分の望みをサイに押し付け、サイを通して小さい頃の自分を見ているだけで、サイ自身を見ていなかったことに気づいたらしい。
「お帰りいただけますか」
ダンがショックを受けていようと、それこそサイには関係ない。淡々と促すと悄然とした状態でフラフラトボトボとダンが帰って行った。
さすがに真っ向から指摘されて漸く自分が何をしたのか理解出来たのだろう。
同情しないわけではないが、押し付けるのはやめて欲しかったので、これでもう来ないだろう、とサイは嘆息した。
時に事実を指摘されると人は激昂することもある。ダンはそうでは無かったが、激昂してもしなくても、自覚の無かった事実を、自分の中の暴かれたく無かった本心を暴かれることは羞恥を起こすだろう。
そして、それはまた、指摘したサイ自身もあまり良い気持ちでは無い。別にそれを指摘して優越に浸るわけじゃなく、どちらかと言えば、言いたくなかった思いの方が強い。けれど、言わなければきっとダンは気づかなかった。それはいつまでも変わらないことになってしまう。だから、サイは敢えて告げた。
仮令今後もう会わない人だとしても、スッキリという感覚にはならなかった。
……絶対会わない、ということも無いかもしれないから余計に。
お読みいただきまして、ありがとうございました。




