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依頼人と魔本

 ゴーン ゴーン ゴーン 


 遠くから鐘の音が響いてきた。これは東部の中心にある大聖堂の鐘。重く、底を揺るがすような鐘の音は東部全体に広がるのだ。


 窓から外を確認する。日の高さ的に、今の鐘は正午の合図だろう。


 私はお店の入り口に掛けてある看板を裏返した。『営業中』から『お昼休み』に変更。


 お昼休みは約一時間。早めに昼食を取り、残りの時間で滞った仕事やお客がいる時にはやりにくい仕事を済ませてしまう。


 たまに、看板を無視して入ってくるお客がいる。


 いや、そのような人はお客ですらない。


 ……こほん。


「エレンさんお疲れ~」

 私は一息ついているエレンに声をかけた。エレンの足元には空になった木箱がいくつも積み上げられていて、通り道はふさがれている。 


「サリー殿。お疲れ様、だ」

 エレンはこちらを見て返してくれた。声はしっかりとしているが、どことなく疲労感をにじませている。


 やっぱり頼んだ仕事の量が多かったかな。


「それにしても、ずいぶんと量が多かったな」

 エレンは手の甲で汗をぬぐいながら、空になった木箱を見ている。私が手巾を渡すと、「感謝する」と言って顔を拭き始めた。


「ごめんね、お昼の分も一気にやってもらったの」


「なに、謝る必要はない。まだまだいけるぞ」

 エレンはやる気をにじませた表情でサムズアップをした。


 頼もしい限りである。


「で、なぜお昼の分を今やったのだ?」


「それはね――」


「こんにちは、魔本の受け取りに来たのですが……」


 この間、依頼をしてくれた男性がやってきた。



「こちらがお客様の魔本です。ご確認ください」

 魔本のお渡し日として今日の正午を設定していた。

 

 期日通りに仕事を終わらせることができてよかった。もし期限が過ぎれば依頼人に迷惑をかけるだけでなく、お店の評判を落ちてしまう。


 期日徹底、ホントに大事。

 

「おぉ、これが……」

 依頼人は生まれ変わった魔本を手に取ると、懐かしそうな表情を浮かべた。この魔本と共に過ごした日々を思い出しているのだろうか。それとも、


「これは私の誕生本なんです」

 依頼人は声を震わせた。


 誕生本。それはここスピレーソン王国に根付いている風習だ。魔本が一大産業になったこの国では、生まれた子供に一冊の魔本を与える親が多い。


 与えられた魔本には親から子供への思いが込められるのだ。回復魔法の魔本だったら、「他人を思いやれる子に育ってほしい」という思いだったり。漁師の子には水の魔法が載った魔本、農家の子だったら土系魔本、という感じ。

 

「仕事に追われ、王都のあちこちを飛び回っていた最中に母は亡くなってしまいました。大した親孝行もしてやれず、父に先立たれた母を家で一人にさせてしまっていたんです」

 依頼人は魔本を握りしめ、下を向いた。


「そんな時、偶然見つけたのがこの魔本です。両親からもらった魔本でさえ、私はないがしろにしていたのだと、とんだ親不孝者だと、そう思いました」


「そ、そんなことはない! 現に今あなたは心を痛めているではないかっ……」

 エレンは悲痛な面持ちでそう吐き出す。依頼人はその姿を見て優しく微笑んだ。


「今辛くても遅いのです。この魔本を見つける前は気づきもしなかったんですから」

 依頼人はエレンに視線を移す。しかし、その視線はすぐに私に戻ってきた。


「店主さん、ありがとうございます。綺麗になったこの魔本のおかげで、心が晴れたような思いです」

 そういって頭を下げた依頼人の声は沈んでいた。わずかな望みか、逃避なのか、それが叶わなかったと落胆しているように思われた。


 私にもわかる。


「これはお節介かもしれませんが――」

 依頼人が顔を上げ、こちらを見る。


「魔本は決して新品には戻りません」

 

 依頼人の魔本は、表紙のホコリは取り除かれ、元の鮮やかな色合いが戻っていた。


 閉じ紐は取り替えられ、しっかりとパーツをつなぎ留めていた。


 タバコの匂いは消え、新品のような紙の香りを振りまいていた。


 けれど、当時のまま、というわけにはいかない。長い年月で劣化は進み、痛んでいってしまう。それをまったくの元通りにする手段はない。


 魔本師の仕事は時を戻すことではない。魔本を、生活に役立つ道具を、人生の相棒を、《《生まれ変わらせること。》》


「あなたはこれからも生きていくんです――いえ、生きていってください。その魔本と共に」

 

 生まれ変わった魔本と共に。過去を足場にして、踏み越えて、前へと進む。


「私の仕事は魔本を生まれ変わらせることです。お客様の思いをくみ取り、新しい思い出を作れるように、そして過去と共に先に進めるように」


 そんな願いを込めている。


「その魔本と一緒に、人生を歩んでくださいね」



「店主さん、ありがとうございました。また、来させてください」

 依頼人は私たち二人と握手を交わして去っていった。


 ミミズク型の釣り鐘がカランコロンと鳴る。


 そして静寂。


 …………。


「エレンさん、魔本が好きになったんじゃない?」


「うぅむ……」

 エレンは私の問いかけに窮したようだ。困った表情を浮かべてあらぬ方を向く。


 がくっ、だめかぁ。

 

 私が失敗だったか、と落胆しているとエレンが再び口を開く。


「私はサリー殿に拾ってもらって本当に感謝している。仕事も楽しいし、ここが私の居場所なんだとも思っている」

 さらにエレンは、「だがしかし……」と続けた。


 私の目を見てそう言ってくれるエレンの顔は真剣そのもの。それが心からの言葉なのだとわかる。


 しかし、キリっとした顔には申し訳なさが滲んでいた。


 誠実で真面目。仕事には意欲的に取り組んでくれて頼りになる。エレンのおかげで魔本屋経営が格段にやりやすくなった。


 だからそんな表情をしないでほしいのだ。


「でも分かったことがある」

 

 エレンと私の視線が交錯する。


「エレン殿は本当に魔本が好きで」


 うん。


「好きでたまらなくて」


 うん。


「愛しているんだな」


 ……。


 …………。


 ………………。


「うん!」


「うお!?」


 私は思わずエレンに抱き着いた。いつも身につけっぱなしの胸部プレートが痛い。しかしそれは大した問題ではない。


 私のエレンに魔本を好きになってもらおう作戦は失敗してしまった。


 でも、別にいい。別にいいのだ。


 エレンの居候はまだまだ続く。みっちり仕事を振ってやる。


 焦る必要はない。


 エレンが魔本を好きになってくれるチャンスはこれからいくらでもあるのだから。





 一章、完。

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