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我が名は燐

 彼女が指差した先――。

 カタカタと音を立てて蓋を開け始めた木箱から、まばゆいほどの青白い光のオーラが溢れ出した。


 その光の渦の中から現れたのは、小さな、見たこともない奇妙な動物だった。その体からは、じいちゃんの家特有の、あの懐かしい石鹸の香りが微かに漂っている。


 その動物は、驚愕する僕とさきを一瞥すると、部屋の床に散らばっていた古い和紙の束へとトコトコと歩み寄った。そして、驚くべき器用さで筆を前足で握り締めると、サラサラと激しい勢いで文字を書き殴り始めたのだ。


「待って、あれって……」

 さきが息を呑み、スマホのライトで和紙を照らす。


 そこに書かれていたのは、一見するとおどろおどろしい崩し文字、しかし明確なメッセージだった。


『福田の血を引く者よ。ついに門が破られた。あるじが倒れた今、この街の「とが」を抑える力は底を突く。急げ、継承の儀を始めねば、あのどす黒い影が街を飲み込むぞ』


「……文字を書いてるのか……?」

あまりの非現実的な光景に足がすくみ、言葉を失う僕の前で、その動物は筆を置いた。


 そして、信じられないほど澄んだ、しかし威厳のある人間の声で、今度ははっきりとしゃべり出したのだ。


「我が名はりん。お主の祖母が全国を巡り、石鹸という『形』に変えて集めてきた、人々の清らかな祈りの残留思念を守護する存在。……そして、お主のじい様が命を懸けて縛り付けてきた、この『門』の番人よ」


 燐と名乗った動物は、光る瞳で真っ直ぐに春人を見上げた。


「じい様が倒れたのは病ではない。門の封印が弱まり、溢れ出た『黒い影』に直接命を削られたのだ。お主が今日、病院に行く途中で電話をかけても出なかった千田の娘……彼女の家系は、我が福田家を陰から支える『観測者』の血筋。さきよ、お主も自分の役目を思い出したようだな」


 さきは青ざめた顔でこくりと頷いた。

「……私の家には、古くから『福田の家が光を放つ時、世界の境界が崩れる』って言い伝えがあったの。春人、じいさんの言っていた『奴らが来る』っていうのは、この門から出てくる化け物たちのことよ。ばあちゃんが全国を回っていたのも、石鹸を売るためじゃない。世界中から『穢れ』を洗い流すための霊力を集めていたんだわ……!」


 すべての点と線が、春人の頭の中で急速に繋がり、強烈な破滅の予感へと変わっていく。

 幼い頃に聞いたあの悍ましい叫び声。近づいてはいけなかった廊下。じいちゃんの優しい嘘と、ばあちゃんの帰らない旅。


 その時、家全体がミシミシと大きく軋んだ。

開かれた引き戸の向こう、玄関の方から、あの病院で壮介が目撃したという「どす黒い影」の気配が、冷気と共に廊下を這って近づいてくるのがわかった。じいちゃんを倒した“奴ら”が、もうここまで来ている。


「春人! 迷っている時間はないわ!」

 さきが叫ぶ。


「選ぶが良い、少年」

「このまま日常へ逃げ帰り、じい様と街が見捨てられるのを待つか。それとも、このことわりを受け入れ、福田の跡取りとして門を統べるか!」


 春人は、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 特定の部活に縛られるのが嫌で、自由でいたくて帰宅部を選んだはずだった。今日から普通の、どこにでもある高校生活が始まるはずだった。


 しかし、自分の目の前には、命を懸けて自分を育ててくれたじいちゃんの秘密と、世界の裏側の真実が広がっている。


「……縛られるのは大嫌いだけどさ」

「じいちゃんを見殺しにして、自分だけ普通を気取るなんて、もっと嫌だ!」


 春人が中心の木箱に手を伸ばした瞬間、青白いオーラが爆発的な光を放ち、彼の身体を包み込んだ。

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