第87話:見るもの全てに怯えないで
第87話「見るもの全てに怯えないで」
ノルフェア最大のショッピングモール。その煌びやかな一角に、華やかなアイドルショップとは対照的な「悲哀」を漂わせる一角があった。
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パイプ椅子にひっそりと座り、帽子と眼鏡で顔を隠した女性。その周りには、呪いのように高く積み上げられたフルーレフィギュアの山。
エレン「あの……フィギュア……買ってくれませんか……?」
蚊の鳴くような声で通行人に声をかける彼女。ショップに並ぶ幹部パネルと見比べ、不審に思った若い男性客が足を止めた。
男性客「あの、お姉さん……もしかしてセシリア様?」
エレン「(オドオドと首を振り)……いえ……違います……」
男性客「じゃあ、エレン様?」
エレン「…………」
無言は肯定。瞬く間に噂は広がり、野次馬が集結する。
男性客「やっぱりエレン様だ! 本物の幹部が、なんで変装してフルーレ様のフィギュアを売ってるんですか?」
エレン「……これを完売させないと、向こう二年の給料が天引きなんです……。ご飯も食べられないんです……ぐすん」
この「ガチすぎる不幸」が、逆にファンの保護欲に火をつけた。
男性客「そういうことなら買ってあげるよ! でもさ、握手とサインをセットにして原価の倍の六千円にしてもいいんじゃないか? それくらいの価値はあるよ!」
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空前絶後の「エレン・フィーバー」
そこからは怒涛の展開だった。
「本物の龍神エレンと握手できた!」「サイン入りだぞ!」
口コミが爆発し、長蛇の列はモールの外まで伸びた。
フルーレフィギュアは飛ぶように売れ、ついでに店内のエレン関連グッズまでが根こそぎ買い占められる。
店長「エレン様! おかげで今月のノルマを一日で達成しました! これ、お土産の菓子折りと特別手当です!」
エレン「(涙目で)あ、ありがとうございます……」
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ショパンずラボ。集計データを見たカレンは、冷酷なまでに美しい笑みを浮かべていた。
ブキャナン「今日一日だけで、エレン様の売り上げが全幹部でトップに躍り出ていますね」
カレン「あら。……モーツァルトさん。もしあなたが本当に『幹部総選挙』を強行していたら、どうなっていたかしら? セシリアを抑えてエレンがセンター、そしてあなたは他の幹部に八つ裂きにされる……まさしくわたしが想定した中での一番最悪の結末が見えたわね」
モーツァルト「ひいいっ! もう言わないでください……!」
ブキャナン「(ニヤリと笑い)モーツァルト様、やっぱりやりましょうよ。……ね?」
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給料を守り抜き、ボロボロになって宿泊施設に帰宅したエレン。しかし、そこには彼女の帰りを待つ「飢えた狼たち」の姿があった。
セシリア「へっぽこエレンよ、ずいぶん儲かったみたいだな?」
フルーレ「私のフィギュアを売った金っすよね? 私のおかげっすよね?」
ハナ「なんか甘いもの食べたいなー」
リノ「おごってくれるって、風の噂で聞いたんですけどー? てへっ」
シルフィ「青汁の店頭販売の契約書も用意しておきましたよ。ウフフ」
その後、喫茶コーナーの片隅で、手元に残った僅かな小銭(手当)を握りしめ、虚空を見つめて涙を流すエレンの姿があった。
彼女の平和は、まだ、遠い。
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帝都クレイド。鉄の軍律で縛られていたはずの要塞は、今や「健康」と「推し」という抗いがたい奔流に飲み込まれようとしていた。
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皇帝「またしてもカレンか……。よくもまあ、ここまで相手が嫌がることを的確に、かつ徹底的にやれるものだ……カレンという軍師は嫌がらせの天才なのか?」
大臣「陛下、先ほども『歌劇隊信者』を弾圧して参りましたが、隠れ信者が後を絶たず。さらに、奴らは新たな、そして最も『えげつない』戦略を仕掛けて参りました」
皇帝の目に飛び込んできたのは、街中に溢れる鮮烈な「緑」のポスターだった。
**『わたしたち、青汁で肌がスベスベ、超カワイくなっちゃった♡』**
センターのエリーゼを中心に、歌劇隊のメンバー全員が青汁を美味しそうに掲げている。
その眩しすぎる笑顔に、市民や兵士たちの理性が次々と陥落。
「脱水症対策にはアオジリアスだ!」「アイドルとお揃いの飲み物を飲めば俺たちも……!」
街の売店には長蛇の列ができ、クレイドには空前絶後の「青汁ブーム」が巻き起こっていた。
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一方、戦略の拠点であるショパンずラボの歌劇隊控え室。そこには、軍事拠点とは思えぬのどかな、しかしマキから見れば「異常な」光景が広がっていた。
ルマンド「あー! エリーゼちゃんがわたしの青汁飲んだー!」
エリーゼ「エヘヘ、早い者勝ちだよー」
リエール「アオジリアスなら、まだ冷蔵庫にあるわよ?」
ロリィ「あ、それわたしがもう飲んじゃいました!」
シルフィ「ウフフ、喧嘩しなくてもまた作って差し上げますよ? 特製のやつを……ウフフ」
その光景を隅で見ていたマキは、戦慄で肩を震わせる。
マキ「……。な、なんという恐ろしい光景なのだ。アレクサンド騎士団は、いつの間にこんな、『健康志向の狂気』を孕んだ集団と化していたのか……」
戦いでも、魔法でもなく、「日々の習慣(青汁)」から敵を自分たちの色に染め上げていく。
マキは、カレンという軍師の真の恐ろしさを、その喉を流れる青汁の苦味とともに痛感するのだった。
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ポスターのコピーはさらに過激さを増していく。
**『LETS! アオジル!』『I LOVE! アオジル♡』『青汁命♡』**
もはや兵士たちの装備袋の中には、予備の矢ではなく青汁の粉末が詰め込まれ始めていた。
皇帝の命令よりも、「歌劇隊が勧める健康習慣」が優先される。帝都の無血占領は、胃袋の中から着々と進行していたのである。
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帝都クレイドの空気は、もはやカレンの掌の上で弄ばれる旋律に過ぎなかった。
青汁ブームによる弛緩、そして再燃する騎士団幹部への熱狂。一進一退の心理戦が、籠城を続ける帝国軍の精神を確実に削り取っていく。
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大臣「カレンのえげつない嫌がらせが、一周回ってエスカレートしだしたぞ……!?」
シューベルト「テメエらが籠城なんか決め込むからこうなったんじゃねーか!!俺様の言う通り、最初からノルフェアを攻め落としてりゃ、こんな醜態は晒さずに済んだんだよ!!」
苛立ちを隠せないシューベルトは、各部隊の隊長クラスを招集。力による強引な士気高揚を命じる。
隊長たちは部下を並べ、必死の形相で「シューベルト無敗神話」を叫び散らした。
「セシリアが倒したのは、メンデルとショパンだ! 三英雄最強はシューベルト様であることを忘れるな!!」
「無敗の貴公子がいる限り、帝都は不落だ!!」
その叫びは、死に体の帝国兵たちに、かろうじて「希望」という名の麻薬を注入した。
「……そうだ、シューベルト様ならセシリアを倒せる」「あの快進撃を止めてくれる……!」
兵士たちの瞳に、ようやく決戦へ向かう鋭い光が宿り始めた、その時であった。
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近隣都市の奪還に向け、シューベルトが剣を手に取った矢先。兵舎のあちこちに、またしても「アレクサンドの亡霊」が配置された。
しかし、それを見た隊長たちは、驚愕のあまり腰を抜かした。
「な、何だこれは……!? センターが……セシリアじゃない!?」
いつもなら圧倒的な覇気で中央に鎮座するセシリア。
だが今回、その座を奪っていたのは、深紅の隊服に身を包み、黒髪をなびかせ、これまた深紅の剣を構えて悠然と佇む女騎士――。
**『満を持してマキ・クロフォード参戦!』**
「マ、マキ・クロフォード!?あのセシリアより遥かに強いと言われるあのマキも出てくるのか!?」
「セ、セシリアを倒したとしても……その後に、この『赤の災厄』が出てくるのか……?」
「あの『爆炎の支配者』と呼ばれる最強の騎士団長が‥‥ここにきて出てくるとか‥‥」
「……いかにシューベルト様でも、セシリアとマキを連戦で相手にするのは……」
盛り上がっていた士気は、瞬く間に霧散した。
「絶望」が「希望」を上回る。セシリア一人でも手一杯だというのに、同格かそれ以上の「レジェンド」が控えているという事実は、兵士たちの心を粉々に砕くには十分すぎた。
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だが、当のマキは帝都の騒乱など知る由もなく、ショパンずラボの奥深くで「別の地獄」と対峙していた。
マキ「……。私は最初から参戦しておるのだがな。……この、変態との激しい戦にな。チュパ……んぐっ」
リノ(思念)「マキ様ぁ、そろそろ左も吸ってくださいねぇ〜? てへっ♡」
マキ「……。誰か……誰か、帝都の兵士をここに連れてきて、私をこの変態から救い出させてくれ……!!」
過去は戦場に立てば無双の剣士だった、しかし現状では「リノ専用の愛玩赤ちゃん」と化しているマキ。
彼女の凛々しいパネルを見て戦慄する帝国兵たちが、現状の「マキの窮状」を知れば、別の意味で涙を流すに違いない。
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帝都を包囲する絶望の淵で、一人の男が「過去」という名の幽霊と対峙していた。
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ショパンずラボでは、カレンが新たな「戦果」に満足げな笑みを浮かべていた。
カレン「あの写真嫌いのマキ様から、よくこれだけ(パネル用の)写真を撮らせてもらっていたわね。リノ、やっぱりあなたは凄いわ」
リノ「エヘヘ、ずっと前から一生懸命頼んでたら、マキ様も仕方なく撮らせてくれましたよぉ〜。てへっ♡」
マキ「私はまったく身に覚えがないがな!!!!(※おそらく勝手に撮られている)」
リノ(思念)「マキ様ぁ、細かいことを言ってはダメですよー? あんまり騒ぐなら、大人時代の『秘密の着替え写真』や『お風呂写真』も帝都中にばら撒きますよぉ? てへっ♡」
マキ「……っ!! 誰か、誰かこの変態魔道士を捕らえてくれ……!!(絶望)」
カレン「おかげでマキ様の等身大パネルという、最大の精神攻撃が完成したわ。ありがとうリノ。これで無血開城に繋がればいいのだけれど……」
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#### 貴公子の記憶
その頃、帝都クレイドの兵舎前。
ズラリと並ぶアレクサンド騎士団幹部のパネルを、一人静かに見つめる男がいた。三英雄最強、シューベルトである。
シューベルト「……カレンめ。まんまとしてやられたな」
静かに剣を抜き、その不愉快な「戦意喪失の象徴」を切り裂こうとしたシューベルト。だが、刃がパネルに届く寸前、彼はピタリと動きを止めた。
『シューベルト! わたし、アイドルになりたいっ!!』
脳裏に響く、今はもう聞くことのできない懐かしい声。
シューベルトは胸元のペンダントを取り出し、静かに開いた。そこには、まだあどけない、輝くような笑顔を浮かべた幼い少女の写真があった。
『わたしもシューベルトみたいに最強の剣士になりたいっ! ねえ、剣術教えてよー!?』
『バーカ、お前なんかがなれるわけねーだろ……』
『決めた! わたし、アイドルになりたいっ!!』
『アホかお前は。剣士はどうしたよ?』
『わたし、最強の剣士で、最強のアイドルになるっ!』
『アホすぎて言葉もねーわ。最強の剣士になるのは、俺様だ……』
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セシリアが戦い、カレンが策を練り、エリーゼが歌うこの戦場。
そのすべてが、彼にとっては「彼女」が辿り着けなかった未来の残影に見えたのかもしれない。
『……シューベルト……わたし……剣士にも……アイドルにも……もう……どちらにもなれないみたい……。ねえ、シューベルト……お願い……わたしの夢……あなたが……』
シューベルトはペンダントを握りしめ、夜空に向かって高々と剣を掲げた。
その瞳には、かつての傲慢な光とは違う、悲痛なまでの決意が宿っている。
シューベルト「……。最強の剣士はマキでもセシリアでもねえ‥‥俺様だ!!」
たとえその先に待つのが、かつての友との決別であっても。彼は「彼女」の夢の続きを、血塗られた戦場の中で守り抜こうとしていた。
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