第20話:諜報部隊の悲劇
第20話「諜報部隊の悲劇」
夕闇が迫り、タリムへの道中。二万の軍勢は街道沿いに広大な野営地を築いていた。
無数のテントが並び、炊き出しの煙が立ち上る中、若き騎士たちは明日の開戦に備えて武者震いしていた。……が、その中心部にある、場違いなほど優雅な「移動式リノの部屋」の中だけは、別次元の混沌が渦巻いていた。
カレン「マキ様〜、あーんちてくだちゃーい。はい、あーん! もぐもぐ、おいちいでちゅかぁ〜? マキ様は本当におりこうさんでちゅ〜」
カレンが、うっとりとした表情で離乳食をマキの口に運ぶ。
リノの思念『マキ様、よかったですね。カレン様はすぐ前方の馬車ですから、こうして頻繁に遊びに来てくれますよ』
マキ(おのれ、この変態軍師め……。優しく慈愛に満ちた言葉の暴力で、私の騎士団長としての精神が次々と破壊されていく……。まさに「静の変態」……!!)
リノの思念『ふふ、そして私は「動の変態」。マキ様、この芸術的な指使いで、後でたっぷり絶頂させてあげまちゅからねー?』
マキ(ひいいっ!? 貴様は今から戦地に向かう自覚はあるのかっ!? しかもさらっと自分で変態だと認めておるし!!)
カレン「うふふ、マキ様は見れば見るほどお可愛いわ。まさに天使ちゃんでちゅね〜?」
頬を染めてマキを愛でるカレンに、背後から野太い、しかしどこか弾んだ声が重なる。
「うむ。確かにこの愛くるしさはたまらんな。戦の前の最高の癒やしだ」
カレン「あら、貴女みたいな野蛮な脳筋でもマキ様の可愛さが理解できるなんてね……。……って!? セシリア!? あんた何でここにいるのよ! 自分の陣はどうしたの!? 貴女は前線の指揮官でしょうが!!」
セシリア「ワッハハッハ! 心配するな、若手の隊員の中に似たような体格で私のそっくりさんがいたから、鎧を着せて代理をさせておるわ!」
カレン「あ、あ、あんたって人は……どこまでバカなのよ!! 呆れた!! 敵と接触するかもしれないのよ、さっさと戻りなさい!!」
セシリア「断る!! 私だってマキ様のお傍についていたいのだ! お前ばかりズルいではないか! 私もマキ様と居たいのだ!それを帰れとか職権乱用だ、軍師失格だぞ!!」
セシリアは唇に指を当て、顔を林檎のように赤らめながら、上目遣いでうるうるした瞳をしてカレンを睨みつける。
カレン「うっ……。……あんたは昔からいつもそうなのよね。……まあ、どうせ言っても聞かないし、今回だけは特別なんだからねっ!!」
マキ(あわわわわ……ついに「変態副長」まで来てしまったではないか!!! ていうかセシリア、お前はその無自覚な『美少女ポーズ攻撃』をやめろ!! マジで心臓に悪いわ!!)
リノ「うふふ、セシリア様。夕食はもう召し上がられましたか? まだでしたら今すぐ温め直しますよ?」
セシリア「なにっ!? 良いのか!? 実は腹が減って死にそうだったのだ!! かたじけない!!リノは心の友だな!!」
セシリアは両手の手のひらを頬に当て、乙女のように恥じらいながら目を潤ませて歓喜する。
マキ(だから……お前のギャップは怖すぎるのだって!!! ……タリム王国よ、すまない。援軍のトップたちがこの有様だ。救援は無理かもしれない……。もう、勝手に滅んでくれ……)
マキが絶望の淵で白目を剥いている横で、最強の女たちは和気あいあいと夜食の準備を始めるのだった。
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最前線よりも遥か先、闇に紛れることすら忘れたかのような静寂の中。ハナ率いる諜報師団は、ついに野営中の帝国軍前衛部隊をその視界に捕捉していた。
副師団長「ハナ様、敵部隊は約150人。偵察、あるいは我々と同じ諜報部隊かと思われます」
保存食のアップルパイをリスのように頬張りながら、部下の報告を聞くハナ。
ハナ「150人程度ならサクッと倒しちゃってもいいけど、カレン様の許可なしに『戦闘』はできないもんねー。……まあ、戦闘じゃなければいいんだけどさ!」
副師団長「ハナ様、まさか……」
ハナ「へへへ〜、何でもないよ〜?何でもない、へへへ」
部下の嫌な予感は、この後、帝国軍の幕舎で現実のものとなる。
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### 帝国軍・諜報部隊の幕舎
リーダー格の十数名が、和気あいあいと食事を楽しんでいた。そこへ、いつの間にか赤髪の少女が紛れ込み、当たり前のように席に着いている。
「隊長、このまま突き進んで、あのセシリアの陣に奇襲をかけませんか?」
副隊長が気炎を上げるが、隊長は慎重に首を振る。
「まあ急くな。あの騎士団は団長不在で身動きが取れん。無理をする必要はないぞ」
「えぇっ! ダメなんですか? 本当に隊長は頭が固いんだからもう……」
「わかる! ボクにはその気持ち、痛いほど分かるよ!」
ハナが相槌を打つと、副隊長がガシッと彼女の肩を抱いた。
副隊長「おおっ! 分かってくれるのか? 赤髪、お前はいいヤツだな!」
ハナ「それよりこのハーブチキンめっちゃおいしいね! ボク、この味付け大好きなんだ!」
副隊長「だろ? これも俺のオススメなんだ。お前本当に分かるヤツだな! まだあるからたくさん食え!」
すっかり帝国兵と意気投合したハナは、副隊長と帝国東部地区特産の赤ワインを飲みながら話が盛り上る。
明日以降アレクサンド騎士団を倒してタリム王国を占拠する夢、赤ワインによく合うハーブチキンを食べながら楽しく熱く夢を語り合った。
そんな折、ハナはチキンを頬張りながら、さりげなくテーブルの上の書類を指差した。
ハナ「あ、副隊長さん。ここの資料ってこれで全部なの?」
副隊長「うむ、そうだ。軍の配置から暗号表まで、だいたいこんなもんだな」
ハナ「じゃあこれ、ちょっと借りるね。ボク、新人だからしっかり頭に叩き込んどかないといけないんだ、よーし!徹夜で全部憶えるぞ〜」
副隊長「赤髪、お前は勉強熱心だな。近いうちに立派な諜報部員になれるぞ! 夜食用にハーブチキンも全部持っていけ!たくさんあるからな!いっぱい食べないと大きくなれないぞ?」
ハナ「やったぁ!!嬉しい!!いいの!? 副隊長さん、イケメンの上にこんなに親切だなんて! ボクもいつか副隊長さんみたいな立派な諜報部員になれるように頑張るね!!」
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### 数分後・ハナの陣
ハナ「ほら、資料だよ。すぐ写しを取ってカレン様に送っといて。あ、それとこれ、ボクからみんなに差し入れね。帝国軍のハーブチキン、めっちゃ美味しいんだ」
ハナがニコニコと山盛りのチキンを差し出す横で、部下たちは真っ青な顔で撤収作業を始めていた。
副師団長「ハナ様……そんなことより、一刻も早くここを離れますよ! 敵陣は今、資料の紛失と『身に覚えのない赤髪の新人』の存在で大騒ぎになってますから!!」
ハナ「えー? 明日はあそこの人たちと戦わなきゃかな? ちょっとやりづらいけど、ま、いっか!」
食後のスイーツを口に運びながら、ハナは他人事のように呟いた。
かつてマキをして「幹部の中でもある意味、一番敵に回したくないほど恐ろしい」と言わしめた諜報師団長。
その真骨頂は、暴力ではなく「あまりに自然すぎる侵食」にあった。
その頃、豪華馬車の中。
リノ「マキ様、夜食にハーブチキンはいかがでちゅかー?」
リノの差し出すチキンが、実はつい先ほどまで帝国軍の鍋の中にあったものだとは、マキは知る由もなかった。
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カレンは、ハナから届いたばかりの機密資料に目を通していた。手には同じく届いたばかりの「ハーブチキン」を握りしめたままで。
カレン「ハナのヤツ、相変わらず無茶苦茶しちゃってもう! でも本当にあの子は仕事が早くて助かってまちゅよー? ね? マキ様」
カレンはマキにチキンを小さく千切って食べさせながら、軍師としての鋭い視線を書類に走らせる。
セシリア「うむ! この一緒に送られてきたチキンもすごくうまい、ハナは本当に気が利くヤツだな!」
カレン「セシリア! まだいたの!? あんたって人は!! 諜報師団は既に敵と接触してるのよ!? 早く自陣に戻りなちゃーーい!!」
怒鳴られたセシリアは「ちぇっ、分かったよ」と渋々席を立ち、伊達メガネをかけて「下っ端新人モード」の変装で馬車を後にした。
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### セシリア師団・本陣近く
その頃、帝国軍諜報部隊のあの副隊長は、決死の覚悟で騎士団の制服を奪い、単騎でセシリアの本陣へ潜入していた。
副隊長「もうこれしか俺に残された道はないんだ……。あの大失態、敵の総大将セシリアを暗殺し、刺し違えて償うしかない。あの赤髪のせいで……!」
遠眼鏡でセシリアの幕舎を覗きながら、涙ながらに決意を固める副隊長。
「どうした? 貴様、死相が出ておるぞ?」
背後から声をかけられ、副隊長は心臓が止まるかと思うほど飛び上がった。
そこには、伊達メガネをかけ、下っ端の階級章をつけた金髪の「自称・新人隊員」が立っていた。
副隊長「くっ、見つかったか! 総大将に届く前にこんな下っ端に見つかるとは……俺もつくづく運がないな‥‥」
セシリア「なんだなんだ!? 大の男が情けない! とにかく私でよかったら話ぐらい聞いてやるぞ!? ていうか話せ! 絶対話せ!!な? な? 話さないと殴るぞ!?」
セシリア(変装中)は頬を朱く染め、イタズラっぽく上目遣いをしながら耳に手を当てるポーズをとった。さらに「叩いちゃうぞ〜?」と言わんばかりの可愛らしい仕草までセットである。
絶望した副隊長は、この「お節介な新人」に、ハナに騙された一部始終と、自決同然の暗殺計画をすべて打ち明けた。
セシリア「そうか! 大失敗して、もうセシリア(私)暗殺しか道はなくなったと言うのか!」
副隊長「ああ、笑えるだろ? あの赤髪にまんまと騙されて、軍法会議行きだ。それならイチかバチか……って時に、お前みたいなマヌケそうな新人に捕まってよ……」
セシリア「何を言うか! 貴様の潜入ルートの選び方は結構良い筋しとったぞ!? それに気配の消し方も悪くなかった!バカか!! 男のくせに一度の失敗でクヨクヨしおってからに!! 煮え切らないヤツめ、腹が立ってきたぞ!!!」
激しい口調とは裏腹に、セシリアは『お仕置きしちゃうぞー?』という、もはや凶器に近い「可愛いポーズ」を繰り出す。副隊長は死を前にして、思わず吹き出してしまった。
副隊長「……俺の短い人生の最後に、お前みたいな面白い新人に出くわした。ある意味、運が良かったのかもな。お前に捕まるなら悔いはない。殺せ」
セシリア「ダメだ!! 貴様は死なせん!!! 貴様のそのナヨナヨした腐った根性を、一から叩きのめして鍛え上げてくれるわ!!!」
頬を膨らませて『ぷんぷん!』と怒る下っ端新人(?)に、首根っこを掴まれて連行される副隊長。
その様子を、ハーブチキンを食べ終えておむつを替えられているマキは、冷や汗を流しながら感知していた。
マキ(セシリア……お前、それはもはや勧誘ではなく、ただの拉致だ。……タリム救出の前に、敵の副隊長を洗脳してどうするつもりなのだ……)
王国騎士団の「更生」という名の地獄が、今まさに始まろうとしていた。
今回もご覧いただいた方がおられましたら、本当にありがとうございます。
個々の登場人物に思い入れが出てくると、いろいろイメージが浮かんでくるものなんですね。
今後とも何卒長くお付き合いくださると嬉しいです。




