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第15話:それぞれの想い

第15話「それぞれの想い」


部屋に戻った二人は、お出かけの余韻に浸る間もなくベッドへ。

そこには、逃れられないいつもの儀式が待っていた。


チュパチュパ……チュパチュパ……。


マキ(って、これはまた「乳離れ絶対拒否訓練」じゃないかー!!! 外の空気を吸っても、結局ここに行き着くのか!!)


リノ「うふふ、マキ様もすっごくお上手になりましたよ? さすがは何事も極めるマキ様です。飲み込みが早くておりこうさんです」


マキ(うるさい!! 褒められても微塵も嬉しくないわっ!!)


激しい抗議の思念を送りながらも、赤ん坊の肉体は残酷なまでに正直だ。リノの柔らかな温もりと、一定のリズムで繰り返される甘美な刺激に、マキは次第に抗う気力を失っていく。


チュパ、チュパ……。

吸い付いたまま、マキの意識は深い微睡みの中へと落ちていった。


リノ「……うふ、相変わらず可愛らしい寝顔ですね。マキ様」


マキの寝息を確認したリノの瞳から、先ほどまでの淫らな光がスッと消える。代わりに宿ったのは、氷のように冷徹で、底知れない知識への渇望だった。


リノはマキの小さな頭を優しく撫でながら、再び魔導書の解読を始める。


リノ「さて……課題は山積みです。私の魔法制御は、まだまだあのヘイマーには到底及ばない……」


あの日、戦場で見たヘイマーの姿。


彼は全く力むことなく、まるで呼吸をするように、世界を書き換えるほどの強大な魔力を操っていた。


マキを赤ん坊に変えたあの術式ですら、彼にとっては「疲れる程度のめんどくさい魔法」に過ぎなかったのだ。


リノほどの天才が、気配すら察知できなかった圧倒的な格上。

ヘイマーはリノの焦りを見透かすように、余裕の笑みを浮かべながら常にリノを見ていた。同じ魔道士であることを嘲笑うかのように。


リノ「マキ様……。私はまだまだ未熟者です。大魔道士を目指すなんて、今のままでは笑い話にしかなりません。もっと、もっと精進しなければ……。貴女を守り抜くために」


自分の胸に無垢に吸い付いたまま、すやすやと寝息を立てるマキ。


その重みを感じながら、リノは禁忌の術式の一行一行を、自らの血肉に変えるべく深淵へと潜っていく。


リノの飽くなき探究心と、マキへの思い。それがいずれ大陸全土に名を知られる大魔道士に上り詰め、長きに渡って歴史上語り継がれるのはまだ先の話。


‐‐‐


リノが手際よく夕食の支度を終え、ふとベッドに目を向けると、マキはまだ深い眠りの中にいた。


リノ「久しぶりにお出掛けして、疲れちゃったんですね」


リノは愛おしそうに目を細めた。


一歳六ヶ月の赤ん坊の姿。あどけない頬や丸い指先は紛れもなく幼児のものだが、その整った顔立ちや、枕に広がる艶やかな黒髪には、二十三歳の凛々しかった団長の面影が色濃く残っている。


それでも、無防備に寝息を立てる今の姿は、ただ守られるべき愛らしい赤ん坊そのものだった。


リノはそっとベッドに潜り込み、マキに添い寝するように横たわった。小さな頭を優しく撫でていると、視界の端で過去の情景がふわりと浮かび上がる。


リノ・ウィリアムズが七歳の時。戦火で全てを失った彼女を拾い上げ、王国直属の児童施設へ入所させてくれたのが、若き日のマキだった。


リノにとってマキは命の恩人であり、同時に絶対的な憧れの対象だった。


マキが近隣の訓練施設で魔法と剣の修練に励む姿を、リノはいつも物陰から盗み見ていた。マキが放つ魔法の軌道、凛とした構え。その全てに胸を躍らせ、幼いリノは必死でその真似事を繰り返した。


自分の髪はマキのような黒ではなくブラウンだったが、それでも憧れを形にするように後ろで一つに束ね、「いつかマキ様のような騎士になるんだ」と幼き日の夢を抱き続けてきたのだ。


ふと、マキの意識が微睡みの中で浮上した。


目の前には、スースーと規則正しい寝息を立てる十五歳のリノがいる。どうやら今度は、リノの方が魔導書解読の疲れで眠りに落ちてしまったようだ。


マキ(まったく、気持ち良さそうに寝おってからに……。こんな格好で、風邪を引いたらどうするのだ)


マキは、今の自分には重く感じる毛布を、つたない赤ん坊の手足を使って一生懸命に引き寄せ、リノの肩までかけてやった。


眠っているリノの口元は、何か幸せな夢でも見ているのか、時折小さく綻んでいる。


マキ(……仕方ない。世話の焼ける部下だ。しばらく添い寝でもしてやろう)


マキは赤ん坊の小さな手で、リノの頭をそっと撫で返した。

蹂躙も、しつけも、階級も忘れた、静かで穏やかな時間が二人の間を流れていく。


---


その頃、夕闇が迫る魔道士師団の野外訓練場では、修復不可能なほどに引き裂かれた結界を前に、副師団長のレイラとサマンサが頭を抱えていた。


そこへ現れたのは、特殊支援師団長のシルフィ・ホワイト。二十歳という若さながら、騎士団の「生命線」を一手に担う女性である。


シルフィ「大体の予想はついていますよ。現時点でセシリア様以外に、ここまで派手に結界を破壊できるのはリノくらいなものでしょう」


シルフィは呆れたように、しかしどこか誇らしげに周囲を見渡した。


シルフィ「何ともまあ、セシリア様さながらの派手な壊し方ですね」


サマンサが恐縮したように口を開く。


サマンサ「シルフィ様、申し訳ありません。今日はもうすぐ日没ですので、修復は日を改めていただいた方が……」


シルフィ「問題ないですよ。今から修復して終わらせますので」


レイラ「は?」


レイラの疑問も無理はなかった。シルフィ率いる特殊支援師団は、回復魔法のエキスパート集団であると同時に、強化、解呪、付与、そして強力な結界構築を担う、騎士団の「矛」を支える最強の「盾」だ。


その頂点に立つシルフィは、透き通るような白髪をなびかせ、可憐な容姿からは想像もつかない桁違いの魔力を有している。


瀕死の重傷者すら瞬時に全快させるその腕前は、戦場では「女神」と崇められるほどであった。


レイラ「前回セシリア様が壊した時は、シルフィ様でも丸一日かけて修復されたはずですが……。今日はご無理をなさらず……」


シルフィ「ふふっ、心配してくれてありがとうございます。では、始めますね」


シルフィが軽く両手を広げた瞬間、訓練場は目を覆わんばかりの眩い光に包まれた。強大というより凄まじい魔力が奔流となって溢れ出し、リノによって焼き尽くされ、凍りつき、引き裂かれた結界の「傷」をみるみるうちに繋ぎ合わせていく。


シルフィ「――終わりました。遠慮なくまた壊していいとリノには伝えてください。ふふっ、今度はそう簡単には壊せないでしょうけど」


数分前までの惨状が嘘のように、以前よりも強固な結界が張り巡らされていた。


「あわわわわ」と腰を抜かす副師団長二人を見て、シルフィは「やり過ぎましたね」と苦笑いし、足早にその場を立ち去った。


一人、帰り道を歩くシルフィの表情から笑みが消える。


シルフィ「リノ一人に、苦労はかけたくありません……。あの日の無力な自分を許せないと思っているのは、私も同じなんですよ」


あの日、ヘイマーの魔法によって目の前でマキが変えられていくのを、自分はただ見ていることしかできなかった。


あれから、彼女は血の滲むような特訓を重ね、半径数十メートルの全団員を同時回復させるという、前人未到の神業すら可能にした。


シルフィ「……でも、まだまだ。まだまだ全然、あの絶望には届いていない」


白髪の天才は、唇を噛み締めながら夜の王宮を見上げた。


リノ、セシリア、カレン、フルーレ、そしてシルフィ。

マキを慕う五人の天才たちが、それぞれの執念と決意を胸に、静かに動き出そうとしていた。


---


「おい、そこをどけ! 担架が五十人分通るぞ!!」


慌ただしい怒号が飛び交い、土煙が舞い上がるその場所は、王国騎士団が誇る剣のエキスパート集団、剣士師団の訓練施設「剣士道場」。


セシリア「次の五十人を早く準備せぬか!! まだまだ身体が温まっておらぬぞ!」


仁王立ちで怒鳴るその人物は、一見すれば美しき金髪をなびかせる華麗な美少女。


守ってあげたくなるような可憐な容姿とは裏腹に、彼女こそが王国騎士団副団長、セシリア・ローランド(21歳)その人であった。


そこではセシリアが提唱する「五十人組手」という、正気の沙汰とは思えない訓練が続いていた。


五十人がかりで一人を包囲し、一斉に襲いかかる――。数的不利を覆すための訓練のはずが、現実に繰り広げられているのは、セシリア一人が五十人を一方的に滅多打ちにしていく凄惨な地獄絵図であった。


背中から身の丈を超え身の幅はある刀身の巨大な剛剣「鬼王」を抜き放ち、セシリアが「百花繚乱」という名の鬼神の如き乱舞を繰り出すたび、熟練の剣士たちが木の葉のように舞い、ズタボロになって転がっていく。


フルーレ「あー、あー。また無茶苦茶してくれちゃってもう。セシリア様、怪我人が増える一方っすよっ」


グレーのセミショートを後ろで髷のように結び、背中に八本もの刀を背負った小柄な少女が、深くため息をつきながら歩み寄る。


フルーレ・フォスター(20歳)。

若くして剣士師団のトップに君臨する師団長である。彼女もまた、マキにその才能を見出され、剣の極致を歩む天才の一人だ。


セシリア「何を言う! フルーレ、貴様が部下を甘っちょろい育て方ばかりしておるから、私が直々に鍛えておるのではないか! それに、怪我をしてもシルフィが何人でも治してくれる!」


フルーレ「そのシルフィは、魔道士師団の結界修理に行ってるから今いないっすよ?」


セシリア「え? ……それじゃあ、この後の五十人組手はどうすればいい?」


フルーレ「みんな担架送りなんすから、もう終わりっすよ。さ、今日はもうおしまい! またいつものスーパー銭湯でも行くっすか?」


呆れ顔で刀を納めるよう促すフルーレ。だが、戦い足りないセシリアの瞳には、まだ獰猛な火が灯っていた。


セシリア「フッフッフ……。フルーレ、貴様何を言っておる? まだ、組手の相手はここに『一人』おるではないか?」


セシリアの視線が、静かに、そして鋭くフルーレを射抜く。


フルーレ「……やっぱり、そう来るっすよね‥‥」


フルーレは苦笑いしながらも、背負った八本の刀のうち、二本に手をかけた。


最強の副団長と、八刀流の天才師団長。


マキ不在の騎士団を支える二人の剣鬼が、夕暮れの道場で火花を散らそうとしていた。


その頃、育児室では――。

リノの腕の中で眠るマキが、ふと、戦友たちの激しい剣気を感じ取ったのか、小さく身震いをした。


今回もご覧いただいた方がおられましたら、本当にありがとうございます。

個々の登場人物に思い入れが出てくると、いろいろイメージが浮かんでくるものなんですね。

今後とも何卒お付き合いくださると嬉しいです。

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