第四章 逃れ得ぬ対面
思いもよらぬ言葉がファベクの口から出て、ナギョンは愕然とした。
「……それ、どういう意味? お父様の仇を知ってるって……」
「言葉通りさ」
クス、と楽しげな笑いを零したファベクは、いたずらっぽく人差し指を唇に当てて続ける。
「お父上の仇の名は、イム・シア。今は香月楼って妓楼にいるかな。十代半ばだけど、髪の毛が白銀だから、すぐに分かる」
「……でも、お父様は……ある方を守って、亡くなったって……」
「フィセさんに、お父上の死因をどう聞いてるかは知らないけど、フィセさんの言う『ある方』は、その白銀の髪を持つ子だ。お父上は、白銀の髪の子に殺されたんだよ」
「でも、守って亡くなったなら、手を下したことにはならないでしょ」
「そうだよ。白髪の子を救おうとして死んだんだ。彼に殺されたようなものでしょ? その上、彼を救う為に、お父上は君たちを捨てたんだから。彼さえいなければ、今頃まだお父上は生きて、君たちの傍にいたよ。違う?」
ナギョンは、沈黙した。どう言葉を返せばいいか、分からない。
彼の言ったことは、間違いではないだろう。
フィセ、ことユ・フィセは、詳細は言わなかった。その『ある方』は、尊い身分の方で、父がその方を守って亡くなったのは、寧ろ名誉なことだと。だから、誇りに思えと。
けれど、フィセにそう言われた時、ナギョンの胸に突き上げて来たのは、反感だった。
根本の本音として、ファベクが言ったことが、心の奥底にあった所為かも知れない。
フィセが父の遺体を家に運び込んで来た時には、フィセに言われたことへの不満が、巧く言語化できなかった。しかし、今ファベクに言われて、自分が思っていたことがどういうことだったのかが、はっきりした。
(……イム・シア――……)
たった今、ファベクに教えられた名を、噛み締めるように脳裏で呟く。
彼に、会わなくてはならない。
仇だとしても、そうでないとしても、とにかく会わなければ――無意識にきつく拳を握り締める自分を、ファベクが面白そうに見つめていることなど、ナギョンは知る由もなかった。
***
ユ貰冊店からの帰り道、フィギルの邸宅に寄るかどうか迷ったが、結局足を向けることはしなかった。
ソボンが一応、ハン家から手を引いたこともある。が、今シアがフィギルの遺族に接触するのは、いつどこから、誰が見ているか分からない状況では、危険性が高いと判断したからだ。
また、影契の者が随時、ハン家を見守っていることによる安心感も手伝い、今、危険を冒して訪ねる必然性と緊急性を感じなかったことも、理由の一つだ。全部、コトが終わってからでも、遅くはないだろう。
――と思っていたのに、翌日、当のフィギルの末娘であるハン・ナギョンが、寸分の狂いもなく、シアが潜伏しているこの香月楼に、選りに選ってシアを名指しで訪ねて来たと報せを受けた時には、盛大に目眩を覚えた。
「……って言うか、何で俺がここにいるって知ってんだよ」
空になった朝食の膳に、突っ伏さんばかりに俯く。
「いくら父さんの実の娘だからって、俺会ったこともねぇのに……」
「どうなさいますか、大君様」
同席していたシベクが、早々と水を向けた。
「どうするって……どうすりゃいいと思う?」
「これが真剣を持った相手との立ち会いなら、大君様はもう死んでますよ」
ぅぐ、と喉の奥で呻く。
「……ってか、それとこれとは関係ねぇだろ」
「直接の関係はありませんがね。性格や習慣というものは、自ずと戦い方にも現れます。大君様は自覚なさっておられないでしょうが、いい機会ですので、一つご忠告を」
「……何だよ」
「わたくしも、大君様の武術指南を引き受けてから気付きましたが、大君様はいつも、相手の出方を見てから対応を決めるクセがおありのようです。しかし、その戦法はあくまでも、力量的に自分よりも格下の相手であれば通じるもの。相手が自分と互角、もしくは格上なら、相手に先に攻撃させた時点で負けは決まったようなものですよ」
話が明後日の方向に行ったが、シベクの言うことは、それはそれで大事なことだ。未だ、ハンとの再戦を果たしていない今、耳に痛い助言は、正直ありがたい。
「……肝に銘じとく」
やはり喉の奥で、ボソボソと呟くと、「じゃ、話戻して」とフェイジェンがパンと一つ手を叩いた。
「とにかく、会うしかないんじゃない?」
「……父さんの末娘にか?」
「そう」
「いや、でも……」
「昨日は、彼女たちの身の安全を優先して、会わずに戻ったのに、って?」
「……そう、だけど」
「でも、どうせ全部終わったら会うつもりだったでしょ?」
シアは、ピクリと肩先を震わせた。それを、フェイジェンに口に出して言ったことはないのに、どうして分かったのだろう。
すると、それも察したのか、フェイジェンは微苦笑を浮かべた。
「分かるわよ。あんた、いつもどっかで、フィギルおじ様に関係することはずっと、後ろめたい気持ち、持ってるでしょ。いずれご遺族にも、きちんと謝罪とお礼がしたいって思ってない?」
「……んー……まあ……」
否定しないけど、とまた口籠もるようにモソモソと続ける。
どうしてこんなに、何でもかんでもお見通しなのか。
無意識に、拳で口許を隠してチラリとフェイジェンを見ると、彼女は苦笑を深くしながら、「どうする?」と伺うように小首を傾げた。
「最終的に決めるのはシアだけど、多分そのナギョンって子、あんまり先のことまで考えられない性分じゃないかな」
「って言うと?」
「彼女が、シアの居場所を突き止めた経緯は分からない。だけど、シアの所に直接来たってことは、シアとフィギルおじ様の関わりも、ある程度把握してると思う。シアの素性まで知ってるかどうかも分からないけど、おじ様の死因まで知っててここに来たとしたら、彼女自身の行動で情勢がどう変わるかを想像する頭がない、ような気がしない?」
「……仮にも父さんの実の娘だし、確か補盗庁の現役茶母だって聞いてるから、そこまで頭がないとは思いたくないけど……」
「そうね。でも、仮にそこまで頭が悪くないとしても、自分のお父様がご遺体で戻って、冷静でいられる子どもは少ないわ。亡くなった経緯が分かる可能性があるとしたら、回りくどいことはしないで、手掛かりの所に直行したくなるでしょうね」
シアは、思い切り眉根を寄せた。
自分に置き換えてみると、シアの実父は、シアが二歳の頃に亡くなっている。そして、死因はどうやら暗殺らしいことも知っている。
実行犯も薄々は分かっているが、今すぐにその実行犯――キム・ゲシの所へぶっ飛んで行って、胸倉を引っ掴んで真相を質したいかを自問するなら、答えは『否』だ。
それは、シアにとって父は『父』という名が付いただけの、他人に近い感覚だからだろう。
ただ、これがフィギルのことになると、恐らく話が違って来る。
無論、シアはフィギルの死の真相くらいは知っている。彼が死ぬところまで目の前で見て、看取ったからだ。
ただ、もしもフィギルと離れた瞬間でもあって、その間に彼が死んだとなれば、きっと今頃、血眼になって彼の死の原因と、仇を捜しているだろう。
そして、手掛かりを掴んだなら、それが生きている人間が相手なら、確かに回りくどいことなどしない。一目散に、その手掛かりの所に走って行って、拷問してでも真相を吐かせるに違いない。
よしんば、相手が『今日は会えない』とか、『今日は帰って欲しい』などと言ったとしたら――
(……うん、間違いなく刀抜いてる)
抜かないまでも、相手の家が分かっていれば、会ってもらえるまで座り込みか、毎日その家へ通い詰める。
その行動を、ナギョンがそっくり実行したとしたら、シアがナギョンの家に行くよりも危険度は高い。それでなくとも、彼女の背後にはイチョムが目を光らせているのだから、イチョムの間諜も、今頃ナギョンの行動に、首を傾げているかも知れない。
(……ッ、あ~ッ、クソ! しょうがねぇな!)
はあっ、と重い溜息を一つ吐いて、シアは報せを持って来た妓楼の私婢(という名目の影契の構成員)に、ナギョンを奥の部屋まで連れて来てくれるように頼んだ。
***
妓楼の裏口から一番近い部屋のある棟にナギョンを案内した、と伝えられたシアは、少し迷った末に、本来の性別の格好で、その部屋へと向かった。
一緒に行こうか、とフェイジェンに問われたが、断った。
相手がいくらフェイジェンでも、立ち入られたくない――と言うより、頼りたくない、と言ったほうが正確だろうか。
養父に関することは、シアにとっては、今はまだ、可能ならば触れたくないことの一つだ。許されるなら、死ぬまで頭の端っこ、心の奥底にしっかりと閉じ込めて蓋をして、厳重に鍵を掛けたまま放置しておきたい。
もっとも、それはできないことだと、安山までソボンが押し掛けて来た時に悟っている。今更、避けて通るつもりはない。
けれど、それに向き合う時、傍にフェイジェンがいたら、きっと自分は頼ってしまうだろう。甘えてしまう、と言い換えてもいい。
彼女がいたら、自分でも思わぬ弱音を曝け出してしまいそうだったから、敢えて同行の申し出を拒んだ。
シアの返答に、フェイジェンがどう思ったかは分からない。が、彼女がそれ以上重ねて同行を乞うことはなかった。
通路の行き止まりが近付くと、部屋の外に、初めて見る少女が所在なげに立っているのが目に入る。
「――失礼。ハン・ナギョン嬢か?」
声を掛けると、少女――ハン・ナギョンは、弾かれたように、こちらへ顔を振り向けた。
年の頃は、シアとあまり変わらない。フィギルが言っていた、シアと同じ年頃の娘というのは、やはりナギョンのことのようだ。
小振りの輪郭に、勝ち気そうな大きな目と、ツンと上向いた鼻、ぽってりとした薄桃色の唇が配置されている。
長い黒髪は、一般的な未婚の少女がするような三つ編み――側頭部に小さな三つ編みを施し、後ろで一つの三つ編みに纏める髪型――に結われていた。
手に長衣を下げた彼女は、身体ごと正面を向くと、静かに会釈する。
「初めまして。ハン・ナギョンと申します。イム・シアさんですか?」
「……そうです」
シアは、これもしばし逡巡し、口調を改めたまま返事をした。
「ひとまず、中へ。多分、込み入った話になるでしょうから」
言いながら、障子戸を開け、中へ入るよう促す。ナギョンは、瞬時戸惑ったように視線を左右させてから、先に入室した。そして、シアが障子戸を閉じる間に、更に迷うような素振りを見せたのち、上座でも下座でもない場所へ腰を下ろす。
シアも、特に何も言わずに、彼女の対面へ座った。
向かい合って、刹那の沈黙を挟んだが、すぐに彼女のほうがその沈黙を破る。
「……単刀直入に伺います。シアさんは、あたしの父をご存知よね?」
「……あなたのお父上が、ハン・フィギル殿のことなら、……はい、存じております」
シアが頷くと、ナギョンは強張った顔のまま続けた。
「じゃあ、ク・ファベク様をご存知?」
「ク……ファベク?」
(ファベク兄上のことか?)
内心で眉根を寄せるが、シアの知る『ファベク』と言えば、綾陽君しかいない。
「……ファベクという名に心当たりはありますが、それが私の知るファベク様かどうかは、何とも言えません。その方が、どうかされたのですか?」
反問すると、ナギョンは一瞬怯んだような表情を見せた。が、すぐにまた言葉を重ねる。
「その方に、聞いたの。あなたと、あたしの父との関わりを」
「どんな風に、ですか?」
「あたしの父は、あなたの所為で死んだと」
あまりにも直線的な言葉に、喉の奥が詰まったような錯覚に陥る。そんなこちらの心情に頓着なく、ナギョンは言葉を継いだ。
「ファベク様は、言ったわ。あなたを救おうとして死んだのだから、あなたに殺されたようなものだって。あなたさえいなければ、今頃父はまだ生きて、あたしたちと生活を共にしてたはずだって」
嫌でも血の気の引くのが分かる。無意識に、胸元を掴んだ。
ナギョンの言ったことは、多分確かに綾陽君が発した言葉なのだろう。加えて、シアが常々思っていたことでもある。
けれど、自分で自覚するのと、他人の口から発せられるそれを耳から聞くのとでは、受ける精神的な痛手が桁違いだ。
他方、もちろんナギョンは、シアの内心の葛藤には気付かないようで、更に(彼女自身は恐らく意図していないであろう)口撃を続ける。
「それに、ほかの方からも話を聞いたの。ユ・フィセ様をご存知?」
ホン・ソボンのことか、と訊こうとして、危うく問いを呑み込んだ。
ユ姓を名乗ったことからすると、ソボンは自身の素性を、恐らくハン家の女性たちには告げていないのだろう。
「……ええ。誰のことかは、分かります」
何とか絞り出した声は、動揺から微かに上擦っていたが、ナギョンは相変わらず頓着しない。
「あの方はウチに、父の遺体を届けてくださったのだけど、父の死の経緯については、詳しく仰ってくださらなかった。ただ、父は、『ある方』を守って亡くなったって。その『ある方』は、尊い身分の方で、父がその方を守って亡くなったのは、寧ろ名誉なことだから、誇りに思えって」
こちらの反応を伺うように言葉を切ったナギョンは、掬い上げるようにこちらを見ていた。シアが、言葉での反応を示さないと見ると、続けて口を開く。
「お二人の話を考え合わせると、フィセ様の仰った『あの方』って言うのは、多分あなたのことよね。あなたは、何者? 尊い身分って何? どうして父はあなたを救おうとした果てに亡くなったの?」
矢継ぎ早に畳み掛けられる合間に、シアの呼吸は徐々に上がっていく。答えなければ、と思うのに、口に出そうとすれば動悸が激しくなる。
向き合う覚悟は、とっくにしていたはずだ。様々な危険の可能性さえなければ、すぐにもハン家を訪ねようとしていたのだから。
だのに、いざ遺族の一人を目の前にすると、養父の死の経緯は疎か、自分の素性さえ口に出せない。
(声が、出ない)
我知らず、喉元を押さえる。
こういう時に、『まだ話せない』と言う人間の精神状態を、やっと理解したような気がした。
話したくても、声が出ないのだ。思い出すだけで、息が詰まる。
いずれ話せるようになるのかも知れないが、今はまだ、養父の死に関する詳細を語ろうとするだけで、呼吸がせり上がる。
養父の死を語るということは、今のシアにとっては、そう遠い出来事ではない養父の死を、追体験することに他ならない。
とは言え、姉たちに話した時には、こんなことはなかった。遺族が相手だから、詳しく話さなければと思ったのが原因なのか。
「ッ、……!」
制御する間もなく、視界が霞んで、頬に雫の感触が転がり落ちる。とっさに、嗚咽が漏れないよう、口許を抑えるのが精一杯だ。
ナギョンの反応を、確認することもできない。
詫びの言葉さえ出ない。けれども、ここを立ち去ることは誠意のない対応だということだけは分かる為、立ち上がることもできない。
進退窮まった間合いで、障子戸がスッと滑るように開く気配がした。
思わずそちらを見ると、フェイジェンが障子戸に手を当てて立っている。
「……こうなるかもって思ってた」
短くそう言った彼女は、シアが反応する隙も与えず肉薄する。流れるような動きでシアの傍へ膝を突くと、柔らかくシアを抱き寄せた。
「……だから、一緒に行くって言ったの」
「ッ……」
悪い、と口の中だけで呟くと、無意識に彼女の胸元へ顔を埋める。他人の目の前だったが、考える余裕はなかった。
「あの……」
戸惑うように声を発したナギョンに、フェイジェンはシアを抱き締めたまま答える。
「あたしは、……ノ・ガオン。彼の妻よ」
以前、シアの母から『ノ・フィヨン』を名乗るよう言われていたが、フェイジェンは以前の偽名を名乗った。ノ姓を使ったのは、母への遠慮からだろうか。
「えっ、妻って……嘘、もう結婚してるの?」
「悪い?」
「いや、悪いとは言わないけど……」
「ごめんなさい。話は全部外で聞いてた」
ナギョンの言葉を早々に遮ったフェイジェンは、先を続ける。
「フィギルおじ様の亡くなられた時の話は、きっとまだ彼にはできない。あたしでよければ、知っていることは話すわ。知りたいことは、彼の素性と、おじ様がなぜ彼を助けて亡くなったのか。その二つでいい?」
「……え、ええ……」
困惑するような声音で応じたナギョンの答えを聞くと、フェイジェンは、「シアも、いい?」と耳許へ囁く。
シアへの問いの意味は、明白だ。シアの素性を話してもいいかどうかを訊ねているのだろう。そう見当を付けたシアは、小さく頷いた。
(……こうなる気がしたから、コイツ同席させたくなかったのに)
脳裏でぼやくが、まさか声が出なくなるとは思わなかったから、もうどうしようもない。
今となっては、無断で付いて来てくれた彼女の判断に、感謝するしかなかった。
シアの了承を取り付けたフェイジェンは、幼子をあやすように、ポンポンとシアの肩を叩きながら、口を開いた。
シアの素性が、先王唯一の嫡男であり、かつては永昌大君と呼ばれていたこと。政争に巻き込まれる形で、江華島へ流刑となったこと。
その約一年後、シアの息の根を止めるべく、イチョムから下された暗殺の命を届けたのが、ナギョンの父・フィギルであること。
そのフィギルが、当時の江華島府使であり、現左補盗庁大将であるチョン・ハンと共に暗殺の現場に立ち会いながら、結局助けを求めるシアの声を無視し切れず、炎の中へ助けに入ったこと。
その後、大火傷を負い、記憶を失ったシアを我が子として育て、守りながら逃亡の旅を続け、今から半年ほど前に、追っ手との戦いの果てに亡くなったこと――
それらがフェイジェンの口から語られる間、ナギョンはただ黙って聞いていた。フェイジェンの腕に包み込まれる形で彼女の胸元へ顔を埋めていたシアは、ナギョンの表情まで見ることはできなかった。その為、ナギョンがフィギルとシアの約八年間を、どう聞いていたかは分からない。
室内に沈黙が戻って少しして、ナギョンが震える声で反応した。
「……それで……父を殺したのは……?」
「……イ・ヂョンピョって男だ」
何とか動悸も落ち着いたシアは、喉元を押さえて答えてみる。
やや掠れてはいたが、まともに声が出たのを確認し、そっとフェイジェンの腕から抜け出すように身体を起こした。
「シア」
大丈夫だ、と短く言って手を挙げると、髪を掻き上げるようにして、居住まいを正す。
「……すまない。見苦しいトコ見せたな」
視線を上げ、改めてナギョンを見ると、彼女は目を見開いてこちらを見ていた。その表情に、どんな感情が込められているのかは、読み取れない。
シアの謝罪に、何か答えを返すことなく、ナギョンは「その……イ・ヂョンピョって男は今、どこにいるの」と低い声で問うた。
「すでにあの世だ。父さん……フィギル殿と相討ちしたんでな」
すると、ナギョンの眉尻がピクリと跳ね上がる。と思った直後には、彼女はまた、喉の奥から絞り出すような低い声音で言った。
「……気安く息子面しないでよ。実の息子でもないクセに……」
その言葉に、シアは思考が停止するような錯覚に襲われる。そんなこちらの感情に構うことなく、ナギョンは唐突に声を荒らげた。
「最初からあんたが生まれてなければ、こんなことになってなかったんじゃない!!」
©神蔵 眞吹2026.




