第八話 兵士
第二章開始です。
才能なんてものがこれっぽちもなくとも、ほどほどに訓練を重ねて、戦闘職系のクラスを獲得すれば、少なくとも生き延びることはできる。リスィは泥で汚れた顔をぬぐい、持った剣の具合を確かめた。
数打ち品の安物の剣。ほどほどに磨かれた刃の表面は曇っていて、見ていてほれぼれするようなアルミタやランの剣とは全く違う。だがべつにそれでも構わない。どうせへたくそな剣術。武器がなんだろうがろくに斬れないことに変わりはない。
「そこ。余所見するんじゃない。俺たちを殺したいのか」
「すみません」
チラリと剣の具合を確かめただけなのに、リスィは小隊長から叱責を受けた。でもそれもしょうがない。
深く生い茂った木々。足元には大地に絡みつくように張った蔦。ここは森だ。それも魔物が発生する場所の一つとされる。
今リスィは他20人ほどの兵士たちと共に、魔物の捜索及び討伐任務についていた。兵士たちは4人一組を作り、距離をとって森を回っている。小隊でのリスィの役割は索敵。リスィ一人が気を抜いて、魔物の接近を許してしまえば全滅すらありうる。
先ほどから小隊長の視線が厳しい。これは後で折檻かな。リスィは小隊長からつけられた、長袖の下に隠された生々しい傷跡を思った。
「はぁ」
チラチラとリスィは周囲の気配を探る。その顔に、後ほどあるであろう苦痛への恐れは微塵にも感じられない。今のリスィはまるで命令に従順に従う心を持たない機械のようであった。
「ん?」
深緑の森の隙間に黒く動く影を見た。リスィは空いた左手で笛を構え、じっと目を凝らす。
木の枝から枝へと移動する不吉な影。猿に似ている。まだ距離はあるから詳しい外見は分からない。だが寸法がおかしい。
猿にしてはあまりに大きすぎる。
「キヒッ!」
リスィは素早く笛を口にくわえ、息を一杯に吸いこんで笛を鳴らした。ピーッ!という笛の音が鳴るのと、魔物がこちらに気づき、飛び掛かってくるのはほとんど同時だった。
「魔物か!?」
小隊長が今更な言葉を叫ぶ。リスィたちは素早く剣を構え、方陣を組む。
「キィ…ハァ!」
猿の魔物は木と木を伝って移動して、あっという間にリスィたちと距離を詰める。そこでリスィたちは初めて猿の魔物を間近で見ることとなった。
体長は2メルトほど。森に紛れるためか、生えた毛皮は緑と黒の迷彩柄だ。その合理的でありながら生物らしからぬ色彩は、生理的な嫌悪感を覚えさせる。
「…」
とはいえそうした不自然さは魔物にはよくあることだ。リスィはすでに嫌悪感を覚える段階など通りこしている。
それにこの魔物の特筆すべきところは他にある。それは手だ。長い、長い手。この猿の魔物の手の長さは、3メルトくらいはある。魔物の身長よりも長い。
猿はその長い腕を使って掴みかかってきた。対象は小隊長だ。
「ひっ!く、くるな!」
小隊長は普段の偉そうな態度が嘘のように取り乱し、持った剣をがむしゃらに振り回す。猿の手はそんな小隊長を嘲笑うように、するすると剣をかわし、ガシリと小隊長の顔を掴んだ。
「お…ぐぇ」
ギリギリと小隊長の顔面に、ニタニタと嗤う猿の手がのめり込む。小隊長は初めこそ抵抗していたが、すぐ力を失い、剣を取り落とす。気絶したようだ。
そこでようやくリスィたち兵士が小隊長のところまで到達した。兵士の一人が猿の腕に斬りかかる。
「キョッ!」
猿はその剣を避けることなく受けた。兵士の剣は猿の腕に半ば食い込んだ状態で静止する。命中はしたが所詮は鈍ら。魔物の強靭な体を斬るには力が足りない。
だが小隊長を猿の手から引きはがすことには成功した。取り落とされた小隊長を別の兵士が猿から引き離し、その間に割り込むようにリスィが飛びこんだ。
一糸乱れぬ連携。これこそが「兵士」のクラスの最大の利点だ。自己を抑制し、兵士同士の連携を高める。圧倒的個の実力を持つ者にとっては障害にしかならないが、弱者にとっては大きなアドバンテージになりうる。
リスィは猿に向けて突きを放った。
「キィ!」
「う…」
だが突きが当たるより先に猿はもう片方の腕でリスィを払い飛ばし、始めに剣で攻撃した兵士もその顔面に裏拳を見舞った。
ぐしゃりと、嫌な音が森に響く。兵士は頭を半ばまで陥没させて絶命した。払い飛ばされたリスィは近くの木に激突し、そのままぐったりと地面に倒れ込む。
『愚かだな』
「黙れよ」
朦朧とする意識の中、リスィはいつもの幻聴を耳にした。しわがれた老人の声。
『力が足りないなら力を使えばよかろうに。お前にはその力がある』
「あんなもの。もう二度と使うものか」
『全く愚かな…』
呆れた様子で老人の声は遠ざかった。入れ替わるように周囲が騒がしくなる。
「魔物発見!ただちに迎撃せよ!」
リスィの鳴らした笛に気づいて、森に散らばっていた他の兵士たちが集まってきたようだ。集まってきた彼らは部隊長の指揮のもと猿との交戦を始める。
「強いな…」
リスィは横になったまま、隊長の戦いぶりを見ていた。つい最近配置換えで来たこの森にいる軍隊の最高指揮官。リスィたちを含めた24人編成の部隊の長でもある彼だが、リスィは彼の名前を知らない。いや着任の時、名乗ったはずだから知らないはずがない。単純にリスィに人の名前を覚えるつもりがないだけだ。
その証拠に、リスィは普段から折檻を受けている小隊長や同じ小隊の仲間の名前も知らない。
隊長は部下たちに的確な指示を出して、確実に魔物を追い詰めていく。しかも隊長自身も魔物の正面に立ち、細身の刀で魔物の肉体を切り裂いている。
兵士のクラスにある者への指揮と自らが前線に立って戦う技量。まず間違いなく彼は上位クラスの持ち主だ。
「これでとどめだ!」
隊長が魔物の心臓に刃を突き立てたことを確認して、リスィは目を閉じた。ひとまず安心。今日も生き残ることができたと。
「君!大丈夫かね!」
隊長が駆け寄り心配する声を聞きながら、リスィは意識を手放した。
*** ***
「貴様のせいだ!」
「ぐ…」
「お前があの魔物を見つけるのが遅れたせいで、俺があんな目に合った!責任だ!責任を!とれ!この!無価値な!ゴミクズ!が!」
「あがっ…」
バチン、バチンと肉を打つ鞭の音が聞こえる。リスィは上半身裸にされ、小隊長から鞭を受けていた。
朝に魔物と遭遇。その後気を失ったリスィはまるで荷物でも運ぶかのように、宿舎に運ばれた。小隊長の手によって宿舎奥にある小部屋まで運ばれたリスィは、冷たい水をかけられて無理矢理に起こされると同時に、罰が与えられ始めたのだ。
小隊長には一応隊員を罰する権利を持っている。今回の理由はリスィが魔物の発見するのが遅れたから。そのせいで小隊長は負傷し、仲間の一人が殺されたからだ。しかしリスィが魔物を発見したのは、一般的な索敵兵では視認することすら難しい距離からだった。
魔物がリスィたちに気づくのと、リスィが魔物に気づいたタイミングがほぼ同時だったのがその証拠である。
リスィに罪はない。だがリスィは鞭を打たれる。要するに小隊長は自分の失態と屈辱を、誰かのせいにしたいだけなのだ。そしこれは何も初めてのことではない。リスィの体にはたくさんの鞭に打たれてできた生傷がある。魔物との戦いでできたものではない。全ては小隊長の鞭によるものだ。
リスィは宿舎の狭い部屋の中で理不尽な罰を受け続ける。助けてくれる者はいない。だがこれは小隊長がよほど上手く、リスィに体罰を与えているからではない。
「死ね!このゴミクズ!」
「うっ」
「どうせ誰もお前のことなんか気にしていない!」
リスィが体罰を受けていることは、兵士のほとんどが知っている。彼らが皆見てみぬふりをしているだけなのだ。リスィは隊の中では最下層の住人だった。
「いい加減その面見てるのも不愉快だ。とっとと消えろよクズ」
ひとしきり鞭を打って満足したのか、小隊長は最後にリスィを蹴り、唾を吐きかけて去っていった。小隊長が扉を閉めると同時にドサリとリスィは倒れ込む。
「はぁ、はぁ。うぐっ」
リスィの全身は赤く腫れあがり、痛々しい傷をさらしていた。治りかけだった傷も鞭のせいでまた開き、真っ赤な血が床を濡らしている。リスィは歯を食いしばって痛みにこらえる。
「つ…。慣れないな。痛みも、これも」
全身から大粒の冷や汗を流しながら、リスィは薄く目を開いて腕についた傷を確認する。ここ数年でついた傷跡は薄く残っており、最近ついた傷も痛ましさとともに残ってはいるが、その傷から流れる血の量は少しずつ少なくなっていった。そして傷の大体が塞がる。
人外じみた治癒能力。治癒の魔法を使っているわけでもないのに、この治癒力は明らかに異常だった。視力だってそうだ。魔物と同じくらいによく見える目。どう考えてもまっとうな人間のそれではない。
「…」
リスィは血で汚れた床を拭くための水をとるために、ふらつきながら部屋の外に出た。その道すがら、廊下の端でこそこそと話す仲間たちの声が聞こえてくる。
「リスィの奴、またやられたのか」
「でもなんであいつ死なないんだ?」
「だよな。小隊長から死んでもおかしくないくらいのことされてんだろ?」
「気色悪…」
「全くだよ。死んだ方がせいせいする」
「ははっ」
彼らはリスィに聞こえないように話しているつもりなのだろう。しかし人間離れしたリスィの耳は、彼らの声をよく聞き取っていた。
(別に…無理して生きていたいわけじゃない。でも死にたいわけでも、ない。だからこうしてクソみたいな毎日を過ごしてるだけだ)
意識的に無表情を作り、リスィは黙々と廊下を歩く。ポタリと袖の端から血が流れ出たが、陰口が増えるだけで誰も声をかけようとはしない。
「…」
宿舎は森の近くにある。そのおかげで飲み水や体に洗う水は事欠かない。喉の渇きに苦しむことはないが、血の跡を拭くのにも困らないわけだ。リスィは水場に行き、持ってきた桶にいっぱいの水を汲み取った。その際、自分の顔が水鏡に映る。
ろくに洗われていないボサボサの髪に、どんよりと沈んだ瞳。肌は黒く焼け、頬はこけて目の下には隈ができている。不健康そうな顔に感情は浮かんでおらず、人間味を感じさせなかった。この人間味の無さは「兵士」のクラスがあるからではないのだろう。
「俺は一体何者なんだ…」
人の数倍はあるであろう視覚や聴覚に、魔物じみた治癒能力。そしてあの忌まわしい異形の力。どれをとっても只の人間にはありえないものだ。
ぎりと、リスィは胸の前で拳を握りしめる。そこでようやくリスィの顔に感情が浮かんだ。しかしその感情は恐怖と嫌悪。明るい感情はかけらにも浮かんではいなかった。




