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名無しの英雄と忘却の手記  作者: クスノキ
第二章 17歳〈兵士の頃〉
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第九話 上官

 あの全てが変わってしまった日からもう5年が経った。無垢な少年が汚れるには十分すぎる時間。リスィも世間擦れして、理不尽に対しても文句ひとつ言わない立派な軍隊の歯車と化していた。かつて、恋や将来など、年相応の悩みに悩んでいた少年の面影はどこにも見られない。


 此度の魔神顕現から早や5年。未だに魔神は討伐されていない。おろか顕現した場所すら特定されていなかった。無尽蔵に増殖を続ける魔物の数は留まるところを知らず、ゆっくりと、しかし確実に人の住む領域を侵していった。

 これは今までにはなかったことである。前回までの魔神は顕現してから大体3年ほどで位置を特定され、それから大体10年かけて討伐されてきた。かつて発生した魔物の数を見ても、現在確認されている数と比べれば明らかに少ない。


 もしかしたら魔神は今度こそ人を滅ぼそうとしているのでは?そんな噂がいくつもの国を駆け巡っていた。

「でもそんなことは関係ない」

 部屋に帰る道すがら、リスィは一人呟く。魔神が人を滅ぼそうとしているとか、いないとか。そんなこと、末端の人間には何ら関係ないことだ。10年先の人類滅亡よりも明日の自分の生死。そちらの方が何倍も大事だ。


 魔物との戦いで命を落とす兵士の数は少なくない。しかし兵士の総数が減ることもない。なぜか。それは魔物に町や村を襲われて、滅ぼされた生き残りの多くが兵士になるからだ。

 理由は様々。食べていくための手段がないからだったり、魔物やその親玉である魔神への復讐心からだ。そしてそんな不健全な感情ばかり持った人間で構成された集団が、健全な環境を作れるはずがない。

 すれ違いざまに舌打ちをされる。ついでにジロリと睨まれる。よくあることだ。昔はジクリと痛んだ胸も、今となってはチクリともしない。慣れた、というよりは感覚が麻痺して、摩耗した。


 軍隊の中では単純な職務上の上下関係以外に、かなり厳密に決められた序列がある。それは体の大きさや殺した魔物の数、外見などで決められる。要するに非公式の序列であり、柄が悪く、横柄な人間が上位につく類のものだ。

 その中でリスィは、ほとんど最古参の兵士であるにも関わらず、ダントツの最下位。あらゆる兵士や上官から侮蔑され、蔑まれる立場にある。理由は知らない。ただ人付き合いが悪く、戦わせても弱く、不景気な顏をさらしているのが理由だろうとは、漠然と検討がついていた。


「すまない。少し聞きたいことがあるんだが…」

 だからリスィに声をかけるような変わり者はここに来たばかりの者、それも専業戦闘職の上官に限られる。不愛想な顏のまま、声の方向を見るとそこにはつい5日ほど前にここに来たばかりの、先ほどの戦いで見事な戦いぶりを示した上官が立っていた。

 リスィの心がわずかにさざめいた。



「はぁ。それで、聞きたいこととは?」

 リスィは片手に持っていた桶を床に置き、無表情に上官に答える。それを見て上官は苦笑いをした。

「はは。君、少しは愛想よくしたらどうかね。それだと相手に嫌われてしまうよ」

 もちろん分かっている。嫌われたくてやっているのだ、とはさすがに言わない。だから代わりに余計なお世話だと言わんばかりのしかめっ面を作ってみせる。それを見て上官の苦笑いが深まる。

「そうですね」

「くく。そうだと思ってもいないという顔だな。…リスィ君。君は面白いね」

「…名前、覚えていたんですね」


 当然のようにリスィの名前を口にした上官に、リスィは少しだけ驚く。上官はお茶目にウインクをした。

「もちろんだとも。君だって私の部下だ。名前を覚えるのは当然だろう?例え君が私の名前を覚えていなかったとしてもね」

「…」

 痛いところをつかれ、リスィはバツが悪そうに顔を背ける。ニヤリと笑う上官の顔が横目に見えた。

「当たりか。なら改めて自己紹介をしていこうか。私はフェルリル国対魔神軍所属『前衛指揮官』のリカルド中佐だ」

「リスィ、です」

 『前衛指揮官』とは恐らく彼の持つ上位クラスだろう。人好きのする笑顔を見せるリカルドに対して、リスィはやはり嫌そうな顔のまま自分の名前を答えた。

 そして不意に疑問に思う。この男が話しかけてくるまで、人間離れした知覚を持つ自分が彼の存在に気づけなかったな、と。


   *


「それで、聞きたいこととは」

 場所をリスィの部屋に移して、ぼそぼそと問いかける。だがリカルドはリスィの問いには答えず、きょろきょろとリスィに与えられた部屋を眺めていた。

「君の部屋は…随分と物がないね」

「そうですね」

 リスィ達の住む宿舎は、なぜかやたらと広く、ヒラの一兵卒であっても一人一部屋あてがわれる程度には部屋数が多い。とは言うものの、部屋自体は小さいためリスィと大柄なリカルドが入ると、それだけで部屋は一杯一杯になってしまう。

 そしてリスィの部屋には余計なものがない。ペラッペラの布団が乗った小さいベッドに普段使っている剣や鎧、それに傷の手当てをするための包帯を除けば何もない。4年以上過ごしてきた部屋にしては、あまりにも殺風景な部屋だ。


「聞きたいこと…」

「お金は仕送りをしているのかな?」

「…はぁ」

 わざとらしく話を逸らしてき中々本筋に入ろうとしないリカルドに対し、リスィもまたわざとらしくため息をつく。するとなぜかリカルドは面白そうに目元を緩める。

「ふふふ。いいじゃないか。部下のことを知るのも上司の務めだよ」

「それはまた…上司の鑑ですね」

「そうだろう?」

「はい。大変素晴らしいと思います。だから早く要件を言ってください」

「あっはっは!リスィ君は本当に面白い!最高だよ君は!」

 棒読みに近いリスィの語りと感情の起伏に富んだリカルドの語りはまるで対極だ。だがその対極は徐々に崩れ始める。リスィがだんだんと苛立ってきて感情を表に出し始めた。


「なけなしの給料はそこに転がってる包帯代で消えてしまいます。それに食事と衣類は無料で出てきますし、何の問題もない」

「ふむ。だが治療費も無償で出るはずだが?」

「魔物と戦った時限定ですよ」

「なるほど、そうだな」

 寸の間、リカルドの目が鋭く光る。もしかしたら余計なことを言ってしまったかも知れない。魔物と戦ってできた傷しか治療班は手当てをしてくれない。しかしそれは当たり前のことだ。何せ兵士が手当ての必要があるほどの怪我をするのは、魔物と戦った時くらいなものだからだ。だがリスィはそれ以外の何かで怪我をしていると、他ならぬ自分の口で言ってしまった。

 これまで話した感じだと、リカルドはリスィのことを放っておいてはくれなさそうな気がする。


「まぁいい」

 リスィがどう誤魔化そうか考えていると、話題をリカルドの方から打ち切った。拍子抜けしてリスィは眉を顰める。

「ようやく人間らしい顔をするようになってきたじゃないか」

 リカルドは最後にリスィの神経を逆なでするようなことを言ってから、本題を切り出した。


「私が聞きたいのはこの森についてだ。クリナスタット大森林。ここは世界に41ある魔窟の一つとして数えられているが、如何せん資料が役に立たなくてね。長いこと兵士として森に入っている君に話を聞きたかったんだ」

「なら俺の隊の…小隊長に聞けばいいのでは?彼も俺と同じ頃にここに配属されました」

 ヘタレで剣の腕も立つとは言えないが、持ち前の悪運だけでここまで生き延びてきた男だ。彼とはよく考えてみれば配属されて以来長い付き合いとなる。

 リスィは彼の名前すら覚えていなかったが。


「彼は駄目だ」

 思いの他、強い言葉が返ってきたことにリスィはたじろぐ。

「聞いてはみたが、あまり有用な情報が得られたとは言えないな。自分を売り込むことに必死でろくに話もできなかった」

 リカルドに必死でごまをする小隊長の顔が思い浮かんで、リスィは内心苦笑する。器の小さい彼がいかにもやりそうなことだ。

「そもそもどうして資料が使えないんですか?」

 ダメダメな小隊長のことは置いておいて、リスィは気になったことを口にする。リカルドの言う資料とはおそらく、以前森の軍隊の元締めであるリカルドの地位についていた者たちが残した報告書のことだろう。一兵卒でしかないリスィには縁のないものであるが、おおよその内容の検討はつく。森の地理や出現する魔物の情報が書いてあるのだろう。


 リスィの質問に、リカルドは恥じるように頭を掻いた。答えないか。そう思ったが、意外にもリカルドはリスィの質問に答えてくれた。

「あぁ…この五日間、私が森で見た状況と資料にあった情報の齟齬が大きいんだ」

「それは…どうして?」

 リスィの記憶ではリカルドの前任者たちは、きちんと森に出て隊を指示していたはずだ。熱心に働いていたとは言えないが、さぼっていたわけでもない。情報に齟齬があるはずないのだが。

「ふむ、すまない。齟齬という言葉がまずかったか。正確に言えば『足りない』んだ」

「足りない?」

 リカルドは渋い顔で首肯する。


「そうだ。私が知りたいのは森の中のどこで魔物と遭遇することが多いか、その種類と個体差はどれほどか、それに森の中での戦闘はどのようなものか。そうした実戦に即した情報が欲しい。だがこの資料には」

 リカルドはどこからともなく資料を取り出した。何もないところから資料を取り出したように見えて、リスィは狼狽する。

 その様子をリカルドは鋭い目つきで観察していた。だがそのことにリスィは気づいた様子はなかった。

「そうした情報が一切載っていない。上っ面だけの魔物の種類と出現数。それに討伐数だけだ。これではクソの役にも立ちやしない」


 リカルドは資料を忌々し気にパンパンと叩き、床に放り捨てる。それでようやく溜飲が下りたのか、フンと短く息を吐いた。

「だから私は、このクリナスタット大森林の最前線で戦い続けた君の意見を聞きたいんだ」

 それでようやくリカルドは満足げに微笑んだ。その自信に満ち溢れた笑顔にリスィは何かを諦めたかのように一つ、肩をすくめた。

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