第十話 森林
魔窟、魔物が生まれる土地として確認されているものは現在41。その中の一つ、クリナスタット大森林には約120名の兵士と彼らを支える後方支援の班が詰めており、日々魔物の捜索と撃退に励んでいる。
その軍隊の中でリカルドは120人を率いる長、リスィは120人の底辺にいる一兵卒。本来口を利くことすらないはずの二人は、奇妙にも対等にすら見える形で話をしていた。
「このクリナスタット大森林は他の魔物発生地に比べると危険度は低いとされている」
リスィが森の話をする前に、リカルドがそんな話を口にした。
「そうなんですか?」
「あぁ。毎日命がけで戦っている君からすれば、中々実感が湧かないかもしれないがそうだ。森は広大だが、そのわりには出てくる魔物の数は少ない。それに虫系の魔物が多かったと聞く。虫系の魔物は毒があるが中途半端に小さい固体が多いからな。対処はまだ容易だ」
毒は危険だが、そもそも魔物の攻撃はどれを受けても重症だ。得心がいってリスィはコクリと頷いた。
「だがここ数か月。森を取り巻く環境に変化が生まれている」
リカルドの顔に険しいものが見える。それについてもリスィは頷いた。
「今日の猿の魔物。あれは今まで見たことのない魔物でした」
リスィはそれを皮切りに、自分が今まで見てきた魔物のことを話し始めた。その話をリカルドは真剣な面持ちで聞いている。
(見事なものだ)
そして内心、リカルドはリスィの話す内容に舌を巻いていた。
「…森で一番よく見たのは百足に羽を生やしたような魔物です。我々はそれを『羽百足』と呼んでいました。色は胴体が黒に、そこから伸びた足は赤みがかったオレンジ。胴体の節ごとに生えている羽は羽虫のそれで、色は白濁した透明です。大きさは2メルトから3メルトほど。羽を使って浮いて、長い胴体で締め付けて攻撃します。その際足の先端から麻痺毒が分泌されます。これは人を殺せるほどの威力はありませんが、抵抗を弱め、確実に相手を葬るために使われているようです。個体差はほとんどありません。人間を認識したら即座に飛び掛かってきます。それだけにパターンを覚えてしまえば対処は楽で、兵士の中でも殺された者は数名いるかどうかです」
「…一度だけ見ただけですが、巨大な蜻蛉のような魔物を見たことがあります。色は空のような青色。大きさは1メルトと小柄。特徴はとにかく速いこと、羽が刃になっていることです。毒などはありませんが、速度と羽の切断力を生かした攻撃で兵士が何人もやられました。ただ間抜けなところもあったようで、木に羽が挟まり抜けなくなったところを仕留められました」
リスィの話はまさしくリカルドの求めていたものであった。主観を含めた客観的な情報。リスィの情報は分かりやすく、しかも的を得ていた。
(なぜ彼は兵士の底辺にいる?)
リカルドにとって、それがあまりにも疑問だった。人事の資料によれば、リスィは難民から兵士になった口。つまりは志願兵だ。クリナスタット大森林は魔物の発生数が少ないとはいえ、ただの志願兵が魔物と戦い続けることは楽ではない。大抵は一年経たずに魔物に殺されるか、負傷や精神的な理由で戦えなくなってしまうことがほとんどだ。一年を乗り越えたら素質ありとされて、志願兵から一般兵に所属が変わることもある。だから末端の兵士の入れ変わりはかなり激しい。
現に魔神顕現から今に至るまで、末端の兵士として前線に居続けるリスィは異端だ。
それなのにリスィの評価は軒並み最低だ。実力がなく、人付き合いが悪く、さぼり癖がある。いつも陰鬱で見ているだけでイライラする。リスィに否定的な評価は多くとも、肯定的な評価はまずない。
だがよくよく話を聞いてみれば、おかしな点はいくつも出てきた。実力がないから索敵兵になったと言うが、その索敵の精度がおかしい。あの小隊長が言うには魔物が見つけるのが遅れたせいで被害が出たらしいが、それは正しくないのだ。
魔物と人が同時にお互いを認識する。そんなことはまずない。知覚に関しては魔物の方が圧倒的に優れているのだ。視界が悪い森などでは特に、魔物に間近まで接近されてからでないと人は魔物に気づけない。索敵兵の笛はその小隊が全滅することを引き換えに鳴らされることを前提にしているのだ。実際、森でもリスィのいない小隊はそのようにしていた。
リスィを上手く活用しないのはあまりにももったいない。クリナスタット大森林は危険度の低い森であったが故に、リカルドのような上位クラスの配置人数が少ない。それを志願兵の数で補っているのが現状だ。リスィは末端の使い捨ての兵士として運用すべきではない。索敵の頭として動かすべき人材だ。
リスィの不自然な点はもう一つ。それは人事の資料の備考欄に記載のあった項目だ。
「なぁリスィ君」
「…何でしょう」
一通り森についての話を聞いて、リカルドはリスィに射貫くような視線を向けた。リスィはその視線に警戒したような顔をする。
(やはりだな。この視線にこの反応。リスィは実力を隠している)
リカルドが視線に含ませたのは警戒とわずかな敵意。リスィはその敵意を敏感に感じ取ってみせた。
敵意を消して、リカルドは一つの提案をした。
「私の副官になるつもりは…」
「お断りします」
ないかな?その言葉を待たずにリスィは即答した。上官のお願いを、有無も言わさず跳ね除ける。場合によっては処罰もありうる対応だ。しかしその答えにリカルドは頷くことしかできない。
「リスィ君。君は…」
なぜなら暗く淀んだリスィの目に浮かんでいたのは、底なしの恐怖だったからだ。
*
「ふぅ。今日は疲れたな」
自室に戻り、リカルドはため息をついた。彼の部屋は宿舎の中でも特に広く、少々値の張る机などが置いてあった。末端のリスィの部屋と比べると雲泥の差だ。
その机の上に紙を置き、リカルドはリスィから聞いた話をまとめる。
紙に情報を書きとめながら考えるのは、森の変化とリスィのことだ。リカルドは元々クリナスタット大森林の近くにある、危険度の高い魔窟で職務についていた。そこでの日々を多くは語るまい。ただ苦しくも充実した日々だったことは間違いがない。
上位クラスの人間だけを集めた騎士選抜部隊の一員として、魔物との生存競争に身を置いていたリカルドに、配置換えの話が来たのは今から一か月前。クリナスタット大森林の戦死者数が急増しているという話が出てきたからだ。
聞けば森の魔物に変化があったのだという。魔神が危険度の低かった森に何かしたのかもしれない。それで優れた指揮官だったリカルドが森の責任者についたのだ。
以前の環境があまりに良かったからだろうか。クリナスタット大森林に来て、リカルドは人というものに少しだけ失望した。クリナスタット大森林はリカルドが以前いた魔窟とは悪い意味で全く違っていた。質の低い兵士にやる気のない上官。軍内部には不必要なヒエラルキーが発生していて、余計なしがらみや訳の分からない慣習も多かった。
本気で魔神と戦うつもりがあるのか、不安になるくらいだ。前任者が残した資料はあらが多く形式的で、実用的とは到底言い難い。森の魔物も虫系統が多いくらいのことしか分からなかった。
さては戦死者の増大は今までの怠慢や歪みが爆発しただけではないか、そう思った矢先のあの手長猿とも言うべき魔物の襲撃があり、リスィから聞いた森の実態があった。それでリカルドは、森の実情を正しく把握することができた。
魔物は多種多様だ。形や知能、攻撃方法に至るまで個性豊かで節操がない。とはいえ魔物は現存する、あるいはした生物をモチーフにされている節がある。そして魔物を生む魔窟は大体虫から虫、獣なら獣と、同じ系統の魔物を生む。虫系統と動物系統を同時に生むなんて話は聞いたことがない。
これがただの偶然ならいいのだが。例えばあの手長猿はどこかから紛れ込んできたか、魔窟の中に小規模な別の魔窟が生まれたか。…そんなわけがない。魔神がそんな優しさを持っているとは到底思えない。
「そろそろ明かりをつけないとな」
考え事をしながら書きものをしていると、太陽が沈み、次第に字を書くことが難しくなっていった。リスィから聞いた話を忘れないうちに書きとめるため、蝋燭に火を灯した。
明日も早朝から森に入らなければならない。早めに眠りたいが、ここはすこし頑張ってみるとしよう。
蝋燭の淡い明かりに照らされながら、カリカリと紙にインクを乗せ続け、リカルドはようやく聞いたことを全て紙に書き写すことができた。凝り固まった体をほぐすために伸びをしていると、視界の端に人事の資料が見えた。そこからリスィの資料を取り出す。
『リスィ 男 17歳 クラス『兵士』 コール不明』
「コールが不明、ね」
隠されたリスィの実力。その一端はこの不明とされるコールにあるのだろう。リカルドは指揮官として多くの兵士のデータに目を通してきたが、コールが不明という記載は初めて見た。コールは記載があるか、「なし」とされるのが通常。不明ということは神官がコールの有無すら測れなかったということだ。
神官はコールに関して偽りを述べることはできない。不明ということは、本当に不明なのだ。
こんな異常を生み出すような代物を、リカルドは一つだけ知っている。
「“業”を背負っている、か。今度折を見て話をしてみるか」
リスィの衣服の下に隠された生傷を思い出して、リカルドは痛まし気に眉を顰める。あの閉鎖的で排他的なリスィの態度が、背負った“業”にまつわるのならば、リカルドは『先輩』として導いてやらねばなるまい。
*
あのリカルドという上官が信頼できるか否か。それはまだ分からない。けれど彼はやや過剰なくらいにリスィに接してきたが、悪い人間ではないことは分かる。
リスィはつけられた傷の手当てをしてから、ドサリと薄い布団に倒れ込んだ。
「…5年ぶり、か?」
生まれ育った町を出て行ってから、あんなに長く話したことはなかっただろう。それほどまでにリスィは自分の周りから人を遠ざけていた。
『感傷にふけっているのか?』
「…最近お前はよくしゃべるな」
脳裏に響くのはしわがれた老人の声。度々リスィに話しかけてくる、リスィにしか聞こえない声だ。
リスィの知らないことを度々口にするから、おそらく幻聴ではない。むしろそうであったらどれほど良かったことか。
『ふん。かく言うお前も少し元気になったのではないか?』
「かもな」
ベッドに横たわったまま、不快感をにじませて答える。リスィはこの老人が好きではなかった。なにせあの忌々しい力をリスィに押し付けたのはこの老人だからだ。そのせいでリスィは…。
お前なんて知らない。誰だお前。お前がやったのか。この人殺し。この町から出て行け。死ね。消えろ。消えろ。消えろ。兄を返せ。父を返せ。母を返せ。…妹を、娘を返せ。
「うぐっ」
あの日のことを思い出して、リスィはこみ上げてくるひどい吐き気に襲われた。手で口を押さえるが吐き気を抑えることができず、床に吐瀉物をぶちまけた。
カチカチと歯が鳴り、寒さに凍えるように体が震えた。怖い。怖い。怖い。あの日見た光景があの日の体験がどうしようもなく恐ろしい。
恐怖。純粋な一つの感情にリスィは支配される。
『そういえば、あの人間、我らと同じ匂いがしたな』
だから老人の呟きもリスィの耳に届くことはなかった。
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