第四話 襲撃
「嘘はつかない主義なんだがの…」
子どもたちを帰して、ランは一人道場の奥の間にいた。目の前には一条の古ぼけた槍。その槍を前にランは一人呟く。
「アルマよ。儂はどうすればいいと思う?知った子が“業”を背負っておるかもしれん」
ランは結局、自分の知っていることをリスィに伝えることができなかった。いや伝えたくなかった。もし彼の前でその言葉を口にすれば、それが現実になりそうで怖かったのだ。
違っていて欲しい。それを否定する情報もある。だが歴戦の戦士としてのランの勘が、自分の考えは間違っていないのだと伝えていた。
「伝えるべきなのか?それとも伝えぬべきなのか?…伝えるべきなのは分かっておるのだがの。しかしやはり伝えたくはない。“業”を背負った者の末期など、儂はあの子に語りたくない」
ポツポツと、ランは槍に語りかける。そして徐に槍を手に取り抱き寄せた。灰色に近い黒色の、全長2メルト弱の短い槍だ。見かけは何の変哲もないただの槍。しかしランが触れると同時に、槍が熱を持ち始めた。始めは温かい程度。それが次第に触っていられないほどの、そして火傷してしまうほどの熱を持ち始める。
ランは寂し気な顏で槍から手を離して、また元の場所に戻した。すると熱を帯びてうっすらと蒸気を発していた槍から熱が引いていく。
この槍は俗に“業物”と呼ばれる物の一つだ。“業”を背負った者が愛用していたもの。あるいは“業”の影響を強く受けることでただの“もの”は“業物”に転じる。この槍も元はただの切れ味がいいだけの槍。それがとある業を背負っていたアルマが愛用したことで“業物”へと変わった。
ランとて“業”を背負うことの意味の全てを理解しているわけではない。だがただの“もの”を異形の力を宿した“業物”へと変えることからも、業のすさまじさは分かる。
そしてランは知っている。業を背負った者の、アルマの末期をこの目で見て知っている。
「はぁ」
らしくないため息をついて、ランは道場の奥の間から出た。すると目の前に門下生の一人が正座した状態でランを待っていた。門下生の表情は固く、切迫したものを浮かべている。ただならぬ事態が起こったのかもしれないと、ランは意識を一人の男から武人のそれに切り変える
「どうした?」
「はっ!師範代のお耳に入れておきたいことがございまして」
「何だ?」
ランは門下生の報告を聞く。そしてその顔を驚愕に歪めて叫んだ。
「門下生を全員今すぐ集めろ!」
*
「はぁーあ。結局じじぃは何も教えてくれなかったね」
ランの道場を出て三人は道場からそこそこ離れた食堂に来ていた。ちなみにリスィとリズの両親が経営している『リブダット料理店』ではない。普段店員の一人として働き、表の繁盛も裏の苦労も知り尽くしている店に客として行けるほど、リスィとリズは面の皮は厚くなかった。
「あの顔は絶対何か知ってるって顔だったよ。なのに変に情報出し惜しみして…何かまずいことでもあんのかね」
今の時間は丁度昼を回って小腹がすいた頃。アルミタはおやつがてらに買った串焼きの串を口にくわえて、不服そうにしている。
「ったく。何か知ってんなら教えてくれればいいのに。中途半端に隠されるのが一番腹立つ」
「まぁまぁ。アルミタお姉ちゃん落ち着いて」
バキンと歯で竹串を噛みきったアルミタをリズがなだめる。それでも小さな声で文句を言っていたアルミタだったが、困り顔のリズを見てさすがに居心地が悪くなったらしい。残り一本の串焼きを乱暴に取って、口の中へ放り込んだ。
「ちょ…!それ僕のなんだけど!?」
「知るか!大体あんたの話でしょうが!」
文句をつけたリスィをアルミタはギャンとにらみつける。アルミタの怒りの矛先はランからリスィに向いたらしい。
「これはリスィ、あんたのことよ。なのになんであんたさっきからぼけーっとして!何ふざけてんの?寝ぼけてんの?それとも馬鹿なの!?」
「…言い過ぎじゃない?」
「…そうね。それはごめんなさい」
熱くなりすぎたことは分かっていたようで、アルミタはペコリとリスィに頭を下げる。だがその顔には不満と疑問がありありと浮かんでいた。
「うーんでもさ。どうして兄ちゃんが突然槍を使えるようになったのかは全然分からないよね」
アルミタの表情に同意するように、リズも言葉を重ねる。
「それは僕も…」
「それにせっかく槍が使えるようになったのにあんた、全然嬉しそうじゃない。なんで?強くなりたいって前言ってたよね」
アルミタの強い意志を宿した目がリスィを射貫いた。リスィは昔から暇を見つけては先ほどのようにランに稽古をつけてもらっていた。いくらランが手を抜いていて、半ばどころかほとんど遊びのようだったとしても、明らかに才能がないと分かっている剣の稽古を何年も続けられるわけがないのだ。
そしてその稽古のおかげかどうかは分からないが、今日リスィはランを驚かせるほどの槍の腕前を見せた。それは何があったにせよ、喜ぶべきことのはず。だというのに。
リスィの表情はあまりに暗い。何か知っているのではないかと邪推してしまうほどには。
リスィは暗い表情のまま、蚊の鳴くような声で言った。
「言ったさ。だけど…」
「ん?何言ってんの?」
「あれは駄目だ。駄目だって、思うんだ」
「駄目?駄目って何がさ」
アルミタの問いかけにリスィはゆるゆると首を振る。何が駄目で、この気持ちが何なのか。それはリスィ自身も自覚していない。ただこの力がよくないものであることは、リスィの深い部分で理解していた。
ちらりと、リスィの頭のどこかで、いつか見た光景がかすめた。燃える町と嘲笑う誰か。逃げ惑う人々とそれを追いかける異形の怪物。そして槍を持った自分の姿。
「…っつ」
それ以上を思い出そうとすると、ズキンとひどい頭痛がした。リスィは頭を押さえて顔を苦痛に歪める。
苦痛が引く頃には、リスィは自分がついさっきまで何を考えていたかをすっかり忘れていた。
「…それにせっかく槍が使えるようになったのにあんた、全然嬉しそうじゃない。なんで?強くなりたいって前言ってたよね」
「…え?」
「何よ。あたし、何か変なこと言った?」
リスィは得体の知れない違和感を襲われた。先ほどのアルミタの台詞。強い既視感を覚える。がしかし、その違和感と既視感も次第に薄まり、アルミタへの反論が浮かぶ。
「強くはなりたいさ。だけどあんな風に身に覚えのない感じで強くなれても嬉しくない」
「ふぅん。欲張り」
「なっ!」
リスィの意見をばっさり一刀両断する。
「強いならそれでいいじゃない。何変なこと考えてんの?」
「変ではないでしょ」
「変だよ。身に覚えがないってんなら。あたしのコールはどうなる」
アルミタは自分の薄い胸に手を置いた。
「このコールだって、あたしの前世の人とやらが頑張って手に入れた実力の上澄みだけをもらうものだよ」
「でもそれはコールっていうちゃんとした形があって…」
「そんなの関係ない。あたしの実力の半分は誰かさんのコールのおかげ。ううん。半分は少ないか。もしかしたら七割か八割かもね。でもそのことをあたしは恥じたりはしない」
アルミタはいつも腰に差している剣に手を当てる。10歳の誕生日の時に父親のランからもらったという名剣だ。アルミタには母親がいない。アルミタがまだ物心ついていない時に死んでしまったらしく、しかもどのような死にざまだったかも教えてもらっていないらしい。
アルミタがランに勝つことができたら、彼女の母親がどんな人で、如何なる生涯をたどり、なぜ死んだのかを教えてくれるそうだ。そしてそれがアルミタが強くなりたい理由の一つでもあるらしい。
「強いならそれでいいじゃない。目的を果たせるならそれでいいじゃない。その理由がなんであれ、強いことに変わりはないんだから」
間違っている。リスィは反射的にそう思った。アルミタは自分の考えを微塵も疑っていない。彼女のこの純粋な真っ直ぐさがアルミタの強さにつながっているのだろうけど、それだけに危ういと思う時もある。
強いならそれでいい。目的が果たせるならそれでいい。その考えをリスィは肯定することはできなかった。理由は自分でも分からない。しかし強さや目的を果たすためでも確たる理由が必要なのだとリスィは強く思う。
「それでも…僕はいきなり槍が使えても嬉しくないよ」
「あっそ」
少しムッとした様子でアルミタは顔を横に逸らす。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「ちょっとは喜べばいいのよ。別にあんたが名だたる戦士になったってわけでもないんだからさ。使えたって言っても、精々護身術程度のもんよ」
小さな声で吐き捨てるように言う。護身術程度。アルミタのその見立ては間違ってはいないのだろう。ずぶの素人が身を守れるていどの技術を手に入れた程度。
「無様だ」
リスィは自分が情けなくなった。中途半端な自分。料理人になることが自分にとって一番の未来と分かっていながらも、夢を見てしまう自分。急に槍が使えるようになって、しかしそれも護身術程度でしかない自分。
『ならば力を求めるか?』
遠くから耳元で声がする。リスィは小さく頭を振った。そして立ち上がる。
「帰るよ。リズはどうする?」
「あ…え?」
暗い顔のまま、リスィは立ち上がった。そしてリズに一声かけて店を出て行く。リズはリスィとアルミタを交互に見た後、アルミタに「またね」と頭を下げてからリスィの後を追った。
「馬鹿…」
一人になったアルミタは食べ終わった串をいじくりながら呟く。
「強くなれたんだから素直に喜べばいいんだ。それで誰か不幸にするわけでもないし。変なところにこだわる必要なんてないでしょ」
リスィにはああ言ったが、アルミタには負い目があった。アルミタは道場の門下生の中で一番強い。だがそれは自分だけの力で勝ち取ったものではない、という負い目。他の門下生が血反吐を吐きながら習得するようなことを、アルミタはあっという間に習得できる。それはアルミタ自身の才能というよりも、彼女に『剣士』のコールがあるからだ。コールがなければアルミタは道場の中で未だに最弱だったはずだ。
コールの有無とて才能。コールがあるだけでは意味がない。磨かなければ輝かないとは理解している。だがずるしている気分は消えない。
「はぁ。つっても使わないことはできないんだけどね…」
コールはあくまで才能の一つ。才能は「ある」だけで、「使う」ことはできない。コールは前世の知識や経験を才能として習得していて、そしてそれが神官によって明らかにされているだけだ。無くすことも、変えることもできない。
『剣士』のコールがある以上、剣士の道を歩むつもりではある。分かりやすく才能が提示されているのに、それ以外の道を選ぶ理由がない。
「ああもう、イライラする」
「アルミタさん!」
行き場のない思いにもだえていると、遠くから道場の門下生の声がした。
「どうしたの?」
彼の切羽詰まった様子にただ事ではない何かが起きたことを察する。アルミタは自身の感情を一時置いて、真剣な面持ちになる。
そうした、自分の感情をいつでも切り離せるところは親子そっくりだった。
「町に大量の魔物が接近しています。足の速い奴はすでに町の中に!」
だがいくら感情を切り離しても、感情がなくなったわけではない。門下生の言葉を聞いて、アルミタの顔に驚愕とわずかな恐怖がにじんだ。
「ちょっと!兄ちゃん!?」
足早に先を行くリスィにやっとのこと追いついたリズは、彼の服の裾をぎゅっと握った。乱れた息を整えて、リズはムスッとして話す。
「なんか今日の兄ちゃんおかしいよ。本当にどうしたの」
「別に…いつも通りだよ」
「違うでしょ。何か元気ない」
「…」
リスィはリズから顔を背けたまま何も話さない。そんなリスィを見て、リズは次第に不安になってきた。
「兄ちゃん。ほんとにどうしたのさ」
「僕は」
リスィが口を開いて何か話そうとした時、町の遠くから悲鳴が聞こえてきた。悲鳴と喧騒。そして獣が遠吠えするような声。
「何?この音」
周囲の人々も異変を察し、どよめきが広がる。リズは恐ろしくなり兄の服を強く握りしめた。
「うっ…」
「兄ちゃん?」
兄が小さく呻いた。兄も怖いのだろうか。当然だろう。兄には戦う力はないのだ。リズは兄の顔を見上げる。
「にい、ちゃん?」
しかし兄の顔に浮かんでいたものは恐怖ではなかった。いや、恐怖どころか何の感情も浮かんではいない。まるで時が止まったかのような無表情。リスィは凍り付いた目で遠くを見つめていた。
兄が一体何を考えているのか、リズはついに伺い知ることはできなかった。




