第二話 迷い
「おぅ!おっちゃん今日も来たよ!」
「腹減った!ビールと揚げ物くれ!」
昼時になると『リブダット料理店』は満席になるほどのにぎわいを見せる。座席のあちらこちらから店員を呼ぶ声がして、リスィたちは休む間もなく働き続けることになる。
常連はいつもの席に座って同じ料理を頼み、昼間から酒を頼む者もいる。同じ町の人というだけで、貧富もクラスも就いている職業もバラバラな者たちが集まり、混沌とした様子を見せる。
そんな『リブダット料理店』のあり方がリスィは嫌いではなかった。
ようやく一息つくことができたのは、太陽が空の真上を通って大分傾いた頃。大人たちは丁度午後からの仕事が調子に乗ってくる頃であり、子どもたちは小腹がすいて甘いお菓子を食べたくなる頃だ。
そんな昼食を取るには遅く、夕食を食べるにはまだ早い時間。リスィは食堂のテーブルに一人座っていた。厨房では両親と料理店の店員たちが夜に備えて働いている。リズもその隙間を縫うようにしてちょこまかとお手伝いをしている中、誰一人として休んでいるリスィを咎める者はいない。
そもそもリスィは休んでなどいない。彼の今の役割は食堂にいて、とある客たちを出迎えることだ。
「ようやく来たか。今日は随分と遅かったじゃないか」
「ひっどいな。稽古が長引いたんだよ。文句ならじじぃに言ってほしいよ」
カランコロンと、扉のベルが音を立てる。リスィの軽口に同じく軽口で返してきながら入ってきたのは、長い黒髪を後ろでまとめた少女だ。彼女は動きやすい恰好をしていて全身にうっすらと汗をかいている。彼女の後ろには同じような服装をした体格のいい男たち。そして一番後ろには、険しい顔つきをした禿頭の男がいた。
「そうかよ。…いらっしゃいませ。ご注文はいかがいたしましょう」
「その言い方やめてよ。気持ち悪い」
ウインクしながら腰を斜め四十五度に下げて、丁寧に言ったら気味悪がられた。リスィは肩をすくめて入ってきた客たちを案内する。奥から店員の一人があらかじめ作っておいた料理を運んでくる。大きな鍋に入った鹿肉のスープに、鳥肉を揚げて酢を絡めたもの、フワフワというよりもボフボフに中身のつまったパン。質より量と言わんばかりに並べられる料理の量は相当なもので、20人弱の客に出すには多すぎるのではというものだった。だがそのことに言及する者は誰もいない。先頭を歩いていた少女以外、無言のまま席についた男たちは手を合わせ、黙想している。
少女が手を合わせるのを待って、禿頭の男が徐に口を開いた。
「では、我らの血肉となる食材に感謝をして、いただこう」
「「「「応っ!」」」」
そして始まったのは戦争だ。彼の言葉を皮切りに、男たちは先ほどまでの沈黙が嘘だったかのように料理に食らいつく。必要最低限のマナーを守り、しかし最低限のマナーしか守らない。大皿から直に料理を取り、そのまま口に運ぶ。
ゆっくり噛んで食べようとか、味わって食べようとか、そういったものを置き去りだ。俺たちは腹が減ってるんだ。いいから食わせろ。そんな心情が透けて見えた。
先頭を歩いていた少女も男たちの輪の中に混じり、彼らに負けじと料理を持っていく。彼女の整った顔は鬼気迫る思いで歪み、それはまるで血に餓えた獣のようであった。
味わっていないという意味では作った料理を馬鹿にしているようにも思えるが、料理を作った当の二人は食卓の上で繰り広げられる戦いは楽しそうに見ているだけだ。彼らが言うには「急いで食べたくらいで味が分からなくなるほど、自分たちの料理は安くない」とのことらしい。
ともあれ、山ほどあった料理はあっという間になくなってしまい、男たちはその口をようやく食べることではなく、話すことに使い始めた。
やいのやいのと話をしている男たちの横で、リスィは少女に話しかけた。
「相変わらず皆すごい食べっぷりだよね。アルミタ」
「そりゃきっつい稽古をしてるからね。食べないと死んじゃう」
アルミタと呼ばれた少女は誇らし気に自分の胸を拳でトンと叩いた。それだけならかっこいいが、口元が緩んでいるからカッコよさも台無しだ。
「はー。やっぱり剣の稽古は辛い?」
「ん…そうだね」
アルミタはその問いかけに少し考え込むように顎に手を当てる。そしてゆっくりと首を横に振った。
「辛いこともあるけど、辛くない」
「なにそれ禅問答?」
「いやいや、そういうわけじゃないよ。そりゃ稽古をしてれば息はあがるし体は重くなるし、きついし辛いと思うよ。でもね。きつくて辛いその先に、強くなったって実感できる時があるんだよ。一昨日の自分より昨日の自分が強い。昨日の自分より今日の自分の方が強い。そして明日の自分はきっと今日のあたしよりも強いんだ。それを考えたら辛いのなんて吹き飛んじゃう」
アルミタの言葉には揺らぎがなく、自分のことが情けなく思えた。軽い気持ちで発した問いに、思いの他、真剣な答えが返ってきたことに驚きつつ、なんて返そうかと思案する。だがリスィが口を開く前にいつの間にかにそばに来ていた禿頭の男がバンとアルミタの背中を叩いた。
「がっはっは!中々生意気なことを言い寄るわ!が、それがよい!そこがアルミタのいいところよ!」
「うっさいじじぃ」
叩かれた背中を手でさすりながら、アルミタは男をにらみつける。だが男はその視線を気にすることなく、剛毅に笑い続けている。
「がっはっは!」
「うっさいっていってんでしょうが!蹴り飛ばすわよ!」
「ふっ!やってみるとよいわ。ところでアルミタよ。お前は儂に勝ったことがあったかの?」
「こんのぉ!」
男は愉快そうな笑みを顔に湛えてアルミタをからかう。それからわざとらしく手をポンと叩いた。
「あ、すまん。勝ったどころかかすりもしたことがなかったの」
「んだどごら゛あ゛!!表に出ろやぁ!」
「ちょっとアルミタ落ち着いて!…ランさんも店で争われると困ります」
頭に血の昇ったアルミタをどうどうとなだめ、顔に渋面を作って禿頭の男ランを見る。するとさすがにランもバツが悪くなったのか、申し訳なさそうに手刀を切る。
「あぁ、すまんの。アルミタが面白くてついな」
「あぁ゛!」
「いえ、分かっていただけたのならもういいです。それに人をおちょくる面白さは僕もよく知っていますから」
誰のことかは言わないが。厨房の方から「ちょっとどういうこと!」という可愛らしい声が聞こえてきたが、きっと気のせいだろう。よしんば本当のことだったとしても今は接客中。いくら相手が気心の知れたお隣さん親子とその弟子たちだったとしても、公私の区別をつけることは大事だ。
「くはは!やはりリスィ君は面白いなぁ!」
ランはニッと笑って今度はリスィの肩を叩く。リスィはランのお気に入りだった。だからこそ、朝夕毎日来る大口の客であるラン達の接客を任されているのだ。
「ど、どうも」
叩かれた背中が痛い。しかしそれを表には出さずにリスィは愛想笑いを浮かべる。リスィの父は口では厳しいことを言うが、殴ったり、蹴ったりすることはないので、こうして叩かれることに慣れていない。だが嫌な感じではなかった。
「あーあー。もう!こんのいじめっ子どもめ…」
乱れた息を整えながらアルミタは息を吐いた。顔を赤らめ、怒りすぎて目に涙すら浮かべているその姿は、リスィと同じ12歳にも関わらず色っぽかった。リスィの胸がドキンと一度跳ねる。だがそのことを悟られたくなくて、リスィはそっと目を逸らした。
アルミタはランやリスィに便乗してからかってくる他の門下生たちを適当にあしらっている。その様子は堂に入っていて、幼い頃は一緒に遊んでいたはずのアルミタが遠くに行ってしまったような気分になった。
(いや、実際遠くに行っちゃったんだろうな)
ランの経営する道場は荒くれ者や魔物と戦うための、実践的な剣術を学ぶところだ。そして強者は弱者を守り、弱者は強者を助けるというランの考えの元、道場の中には厳格な序列がある。
それは店に入る時の順番にも現れており、師範代のランを除いて序列の高い者から店に入る。そしてアルミタは一番に店に入った。つまりアルミタの序列は道場の中でランの次に高いということだ。これはアルミタがランの娘で、贔屓されているからとか、そういった理由はない。まだクラスにつけない子どもで、しかも女でありながら、屈強な男たちがひしめく道場で一番強いことを意味していた。
ランの道場は決してレベルが低いわけではない。門下生は戦闘系のクラスについている者ばかりだし、軍にいた経験がある者もいる。低いどころか高いと言ってもいいだろう。対するアルミタはクラスについているわけでもなく、しかも体つきはちょっと鍛えた子ども相応でしかない。
そうでありながらアルミタが強いのはなぜか。それはアルミタが『剣士』の“コール”を持っているからだ。
“コール”とは神から与えられた天職とも呼べるもので、クラスとは違って後天的に取得できない。その代わり、クラスと違ってコールは選べないし、まず持っている人自体が少ない。この町でコールを持っている人はアルミタとランの他に、数名いるくらいだ。
人が死ぬとその魂はまた別の人間に生まれ変わるのだという。その転生の中で前世の記憶や経験はまっさらにされるが、生前に名を残すような者の魂は事情が異なる。コールは神の意志によってまっさらにされなかった魂から生まれるのだそうだ。
要するにアルミタの前世は名高い剣豪で、それが今世のアルミタの才に影響して今の実力につながっているということだ。大概の人間は一つだけのクラスで才能を開花させて、それにすがって生きている。しかしコールを持っていれば、クラスとコール。二つの力に支えられて生きることができる。この差は大きい。
アルミタは来年になったら『料理人』や『兵士』のような職業を示す下位クラスではなく、『剣士』や『騎士』のような戦士の力を引き上げる上位クラスにつくのだろう。そうなればアルミタは今よりもっと強くなるに違いない。
「…」
嫌な考えばかりが頭をよぎり、その考えを振り払うようにリスィはわずかに残った料理を口に運んだ。両親の作った料理はとてもおいしい。二人は料理人のコールこそ持っていないが、才能と努力に裏付けられた根っからの料理人だ。でも彼らもきっと昔からそうだったわけではない。
下位クラスにつくとそのクラスに人格が引き寄せられる。すなわち兵士になれば兵士らしい人間に、料理人になれば料理人らしい人間になってしまう。
リスィは料理をすることが嫌いじゃない。いや、好きといっていい。だからこそ料理人のクラスにつくことが怖い。
(僕が料理人になったら、ますますアルミタとの距離が離れてしまう)
アルミタは確かに怒りっぽく、気が短い。でもリスィとアルミタは幼馴染で、彼女のいいところもたくさん知っている。怒りっぽいが情に厚く、気が短いが己の信念は曲げない。そんなアルミタとリスィはずっと一緒にいたいと思っている。
しかしアルミタはいずれかつてのランのように修行の旅に出るか、軍属となってこの町から離れてしまうことだろう。どちらにせよアルミタの才能は小さな町に埋もれされてしまっていいものではないし、コールを持った人間を国も放ってはおかないだろう。
かたや才気あふれる剣士。かたや町の料理人。そしてリスィが料理人のクラスについてしまえば、もっと料理をすることが好きになったリスィは、今以上に料理をすることに傾倒してしまうだろう。アルミタへの想いも薄れてしまうかも。
自分が自分でなくなってしまう。そのことが恐ろしい。アルミタとも疎遠になってしまう。そのことがどうしようもなく怖い。
それがリスィが料理人のクラスにつくと言いきれない理由だった。




