第一話 日常
「うん!今日もいい天気だ!」
窓から射し込む太陽の光を浴びて、リスィは目覚めた。ベッドから体を起こし、大きく伸びをする。未だ成長しきっていない体からポキポキと音が鳴り、リスィの目も完璧に覚める。リスィは勢いよくベッドから跳び起きた。
「さて、まずはリズを起こして二人でご飯の準備。準備ができたらお父さんとお母さんを起こして皆でご飯を食べる。その後に洗い物をして食材の仕込みと洗濯と…」
まだ寝ているであろう妹の部屋に向かいながら、リスィはこれからすることを指折り数える。それから毎朝のことながら、面白い反応を示してくれる妹の顔を思い出してニマニマと笑い出した。
「くふふ。…よし、いくか」
リスィは右手に鍋、左手にお玉を持って妹の部屋の前に立つ。そして息を殺して扉の向こうの様子を伺う。物音はしない。聞こえるのはぐっすり眠っている妹の寝息のみ。それを確認して、リスィはお玉を持った左手で扉の取っ手に手をかけた。
そのまま扉を勢いよく開け放つ。
「起っきろーー!あーさーだーぞー!!」
リスィは大声を開けながら鍋をお玉でカンカンと叩く。やかましい音が部屋の中を席巻し、その部屋の主である妹のリズは「うわぁっ!」と言いながら飛び起きた。
「うっるさぁーーい!兄ちゃんその起こし方は止めてっていつも言ってるでしょ!」
「あはは。リズが全然起きないからだよ」
「なにおぅ!私が朝弱いのはしょうがないじゃない!」
「言い訳するなー。リズはこうしないと起きないしー」
リスィはプンスカ怒るリズに煽るような棒読みで答える。目覚めたばかりにも関わらず、元気いっぱいに声を張り上げるリズがおかしくてしょうがない。こらえきれずにクスクス笑いだしてしまい、それでまたリズが怒る。そんなやり取りが10分ほど続いた。
「…はぁ。朝から疲れたよ兄ちゃん」
「僕は楽しかったからいいや」
「楽しんでるのは兄ちゃんだけだからね!?」
目をクワッと見開いて答えるリズに、リスィはまた笑いそうになる。だがそれで笑ってはまた堂々巡りだ。頑張ってこらえる。朝は忙しいのだから、あんまりのんびりもしていられない。
「はいはい。こっち向かない。髪が結べないでしょ」
「むぅー。兄ちゃんはいつもそうやって…」
リズはふてくされているが、心から嫌だと思っているわけではない。あくまで仲のいい兄妹のじゃれ合い、コミュニケーションの一つだ。
「はい。髪結んだよ」
「ありがと」
リズは三つ編みにした髪をピョコンと揺らしながらリスィに向き合う。同じ茶髪でもくせの強いリスィのそれとは異なり、リズの髪は艶やかで真っ直ぐだ。そのおかげかリズのおさげ姿はとても可愛らしい。
彼女の持つ、純朴でいて可憐な容貌が、その印象を際立たせている。
「それじゃ、朝の仕事に取りかかろうか」
「うん」
リスィとリズはまだ子どもだが、家でやるべき仕事は山ほどある。二人は並んで家の炊事場へ向かっていった。
リズの部屋を出たリスィは炊事場に入り、まず竈に火をつけてお湯を沸かし始めた。リスィは手際よく朝食を作り、その間にリズが皿の準備や部屋の簡単な掃除をする。二人の動きはよどみなく、慣れた手順であることが伺えた。
一時間もすると食事も作り終わり、盛り付けまで終わった。リスィは盛り付けまでした皿を持って、両親の部屋まで行く。
「あんなに騒いだのに、まだ寝てるもんなぁ」
部屋を開けると同じベッドでぐっすり眠っている両親の姿があって、リスィは呆れた顔をする。もしかしたら昨夜は遅くまでお楽しみだったのかも、と12歳のませた思考が囁いた。近いうちに弟か妹が増えるかもしれない。
「お父さん、お母さん。起きて」
リスィは作った朝食を両親の鼻先に持って来て小さな声で言った。妹のリズになら気後れすることなく、はちゃめちゃな起こし方ができるがさすがに同じ方法を両親にするわけにはいかない。そもそも父も母もちょっとやそっとの騒音では目が覚めないのだ。
両親を起こすための有効な方法はたった一つ。それが料理だ。
昨日から仕込みをしておいた野菜を使ったスープからは、ほのかに甘い良い匂いがする。眠っていたはずの父の鼻がスンスンと動き、パチリと目を開けた。
「65点。下処理が甘いな」
「えぇー。結構自信あったんだけどな」
「ふん。そうそう100点をくれてやれるものか」
そう言いながら父は半身をべッドから起こし、ぐぐっと伸びをした。その動作はリスィのものと同じで、そんな細かい動作からも二人が親子であることが分かった。
「ほら、いい加減起きなさい」
「んー?もうあなたったら昨日はあんなに…」
「ちょっと待ちなさい。君は何を口走ろうとしている」
母をゆする父は寝ぼけ眼の母の言葉にわずかに焦りを見せた。あー、やっぱり昨日はお楽しみだったかと内心思う。しかし言葉には出さない。父はそうしたからかいを嫌う。出したらグーで殴られること確実だ。もっとも実際に殴られたことはないけれど。
「あら?リスィ起こしに来てくれたの?ありがとう」
母はおっとりとした口調でリスィに呼びかける。眠そうに目をこすりながらも意識はリスィの作った料理の方へ向いている。母も父と同様根っからの料理人だ。
「…36点」
しかも料理に関して言えば、万事厳格な父よりも辛口だ。赤点ギリギリの点数にリスィの肩はがっくりと落ちた。
「ん。でも習い始めたことよりはずっと上手になったわ。匂いは36点だけど、味はどうかしらね」
クスクス笑いながら母はベッドから降りて立ち上がった。その後に続くように父もベッドを下りて着替えを始めた。
*
リスィたち一家は朝晩の食事は家族そろって行うと決まっている。リスィは両親からの厳しいお言葉を受け取りながら、しかし楽しく食卓を囲んでいた。
「リズは8歳だからまだ先だが、リスィはそろそろ料理人の“クラス”につく準備をしないとな」
「あ、あぁ…うん」
「どうした?大人になったら父さんと母さんの後を継ぐ約束だっただろ」
「それは、そうだけどさ」
歯切れの悪いリスィに父は眉を顰める。リスィの両親は町で人気の食堂を営んでいる。幸いにも経営は順調で、昼から夜にかけて、二人の料理を求める客足の後は絶たない。
「でもそんなに早く自分の“クラス”を決めてしまってもいいのかなって…」
「なら他に何がある」
「まぁまぁ、朝からそうカッカするものじゃないですよ」
「む…」
腕組して説教モードに入りかけた父を母が諫める。父は不承不承といった様子で矛を収めた。
「でも他になりたいものがあるのなら、早く言ってね。私達『リブダット料理店』はあなたを跡継ぎにするつもりで今まで育ててきたから。いきなり他のものになりたいなんて言われてもびっくりしちゃうわ」
父からの言及が止まってホッと一息ついたリスィだったが、母からの言葉に少しドキリとした。言われていることは至極まっとう。だが今のリスィにとっては耳が痛い話だ。
「うん…分かってる」
だからリスィはあいまいな返事をしてその場を逃れた。
朝食が終われば店の準備の手伝いだ。リスィはリズと一緒に家ではなく、店の方の厨房の中で右へ左へと忙しなく働く。雇っている若者が何人か来た時点でようやく暇ができ、リスィは店の裏口で一息ついた。
「はぁー疲れた」
「ねぇ兄ちゃん」
「ん?何」
同じように隣でグッタリしているリズが、リスィの顔をしたから覗きこんだ。母譲りの澄んだ赤茶の瞳にリスィの姿が映り、悪いことをしたわけでもないのに何か悪いことをしてしまったような気分になる。
「兄ちゃんは料理人以外のクラスにつきたいの?」
「…またその話か」
リスィはスッとリズから目を逸らす。その態度にリズは頬を膨らませた。
「むー、何よ。私にも話してくれないの?」
「別に…ただこれでいいのかなって思ってるだけで」
「嘘。私知ってるから。兄ちゃんが何考えてるか。一度料理人のクラスについたら…」
「リズ!」
リスィはつい大声を上げてしまった。とっさに周りに誰かいないか見回す。誰もいないと分かり、ほっと一息ついた。
「…ごめん」
「ふんだ。私には全部分かってるんだから。兄ちゃんのいくじなし。へたれ」
プイとそっぽを向いてリズは一足先に両親のもとへ戻ってしまった。その背中を見送って、リスィは深いため息をついた。
「僕だって、分かってはいるんだよ…」
“クラス”とは神が人間に与えたとされる、その人間の才能を開花させるものだ。神殿や神官の前で神に祈ることで一つだけ得ることができる。例えば料理人のクラスを得れば、食材の良し悪しが分かったり、おいしく調理できる方法が感覚的に分かるようになる。大工なら高所でも作業できるように平衡感覚が高まるし、兵士のクラスにつけば、武器の扱い方が得意になり、他の兵士たちと息を合わせた動きができるようになる。呪い師のクラスにつけば魔法まがいのことすらできる。
13歳以上の人間は誰でも何かしらのクラスについている。だがこのクラスも決して万能なばかりではない。料理人や兵士といったいわゆる職業的クラス、下位クラスは誰でもどのクラスにもつくことができる。しかしクラスについたからといって、誰もがその職業につけるわけではない。
クラスはあくまで才能を開花させるためのもの。料理人のクラスについても料理人の才能が初めからなければ、一流の料理人にはなれない。クラスは10を100にする力はあるが、1を100に、あるいは0を1にする力はない。料理人のクラスについても皆が料理人になれるわけではないのはこのためだ。
そしてクラスにつくことの危険性がもう一つ。それこそがリスィが料理人のクラスにつくことを恐れる理由だ。
「あー僕もそろそろ戻らないと。いつまでもここにいちゃみんなにどやされる」
立ち上がりパンパンと尻についた汚れを払って、リスィは忙しく料理をしているであろう両親を手伝うために、厨房の中へ入っていった。




