第二十話 物語は続く
「…」
「…」
気まずい沈黙が二人の間に漂う。作り出したのはリスィだ。ならば空気を壊すのもリスィがしなくてはなるまい。
「は、初めまして。先日は失礼しました。俺はクリナスタット大森林前総指揮官リカルドの副官リスィです。あの時はすみません。ちょっと、昔のトラウマを思い出しまして…」
上手く言えただろうか。気分の悪さを必死に押し隠してリスィは言う。
「あ、あぁ。いや、あなたが私のせいで不快になったのではないかと心配でな。アンリ師団長からは行かない方がいいと止められていたのだが…すまないな。一度私の口から直接謝りたかったんだ」
アンリのさりげないフォローが意味をなしていない。リスィはこっそり微苦笑する。
「もう大丈夫です。ご心配なさらないでください。それで…要件はこれで」
「いや、要件はそれだけではないんだ」
そこでようやくリスィは気づいた。アルミタは笑っていた。先ほどまでの相手を労わるそれとは全く違う。その笑みは女の浮かべる笑みとしては好戦的。アルミタが彼女の父ランと本気で手合わせしている時とそっくりだ。
まさか。リスィがアルミタの考えに思い至ると同時に、アルミタが口を開いた。
「私と手合わせをしてほしい。魔神と相対して生き残った実力を是非見せてほしい」
変わらない。アルミタは本当に変わらない。剣の道を極めようとひたすらに努力していることも。そのためなら割と手段を選ばないことも。
(なら俺は?俺はあの日から変わったのか?)
その答えは出ない。リスィの頭の中でさえずっていた老人の声ももうない。リスィは全てが終わり、変わってしまったあの日のことを思い出していた。
*** ***
「このあたりでいいか」
「はい」
テントから少し離れた開けた場所で、二人は向かい合う。そこへ行く道すがら、リスィは武器庫へ寄って一条の槍を取り出していた。
「ほぅ。得物は槍か」
「…」
アルミタの興味深そうな言葉に答えない。無言のまま槍を構える。
「心臓狙いの中上段。古風な構えだ」
「昔、同じことを言われたことがあります」
「昔、か…」
アルミタは剣を抜きながら、懐かしそうに目を細める。
「…アルミタさんは、昔はどうだったんですか?」
「む?どう、とは?」
「あ…いえその」
何を口走っているのだろう。リスィは謝ろうとしたが、それに先んじてアルミタが答えた。
「昔話をご所望か?実はな、私は『始まりの町』出身なんだ」
「『始まりの町』…」
そういえばリスィが生まれた町はそういう名前がついたのだったか。魔神が顕現してから一度目の魔物の大量襲撃。それで大半の村や町は壊滅するが、リスィたちの町は住民の7割が魔物に殺されたが、襲撃を免れることができた。
そのかげにリスィの存在があったことを、アルミタたちは知ることはない。
「準備運動から始めよう。リスィはどこの出身だ?」
「…田舎の小さな農村ですよ」
ゆっくりとした速度でアルミタがリスィに斬りかかる。リスィは半ば下ろしかけていた槍を使って剣を受ける。
双方ともに無駄のない美しい動きだ。アルミタが「くふふ」と笑いをこぼす。
「いいな。いい槍だ」
「どうも…」
数合の打ち合い。まだ準備運動の段階であるからか、技量の差はまだ分からない。ただお互い高い実力を有していることは分かる。
「そうか。…とすると魔物にやられたのか?」
「はい。家族を失いました」
「なるほど…。私は襲撃で家族を失っていないから。ところで君は驚かないんだな」
「何をです?」
「私が『始まりの町』の出身であることだ。見ての通り私はまだ小娘」
次第に剣速は上がってゆく。それに応じてリスィの槍さばきも速く、鋭くなる。
「当時私は12だった。そんな小娘、魔物に殺されてしかるべき。そうでなければ誰かに守ってもらったか。軍に入った時はよく言われたよ。怖くないのか、と」
「思いもしませんでした」
「ふぅん」
アルミタは何かを見定めるように目を細め、右半身になって剣を突き出す。急に上がった速度にリスィは驚きつつも体は動く。
「しっ!」
突き出された剣をリスィは槍で絡めとる。そのまま上に剣を飛ばそうとしたが、それより先にアルミタが剣を引いた。
「すさまじい技量だ。今の突きを避けずに巻き取るか」
当たり前だ。リスィの槍術は彼自身が培ったものではない。リスィの前世の、“業”にくっついてきたものだ。
この槍術があったからこそ、リスィかあの日を生き残ることができた。
「アルミタさんも、強いんですね」
「まぁな。私にはこれしかないから。私の町に魔物が襲撃してきた時、私はたくさんの魔物を殺したよ。だが同時に実力不足を感じたんだ」
ユラリ、とアルミタの体が揺らぐ。ゾアっとリスィの背中に鳥肌が立つ。
瞬間、リスィは複数の刃を幻視した。上下左右。あらゆる方向から包み込むようにアルミタの剣が迫る。
(まぼろ…っ!)
無論幻などではない。剣の輝きが目に入る。これはアルミタの鍛え抜かれた剣技と、『剣士』のコールにより至った一つの境地だ。
“業”により、ずば抜けた槍の使い手であるリスィだが、彼の技術は文字通り“業”によるものでしかない。とっさに対処法が思いつかなかったリスィに取れた行動は、後ろに下がって回避することだけだった。
「くっ」
「避けたか…」
リスィのいた場所に斬撃が走る。もしあの場所に留まっていたら。リスィは額に冷や汗を流す。
「確かに私は何十もの魔物を殺した。しかし私の父は何百と殺した。それでも殺した魔物の数が合わないのは不思議な話だったが…。ともあれ、あの日の私は弱かった。父がいなければ、私も物量に押されて殺されていただろうな」
「そうやって自分の弱さに向き合えるところが、アルミタのいいところだよ」
「何か言ったか?」
リスィは首を横に振る。アルミタは本気なのだ。いつでも、自分の弱さと真っ直ぐに向き合い、高みを目指している。
その場に留まり続けるリスィは大違い。だからこそ。
「俺は…」
(くそったれの“業”。俺に力を寄越せ)
リスィは内に存在する“業”から経験を引き出し、己の血肉へと変えていく。これまでは表層に現れる技術だけを使っていた。こうやって“業”に自ら手を入れるのは業を使ったあの日以来だ。
『ふん』
冷たい老人の声が遠くで聞こえた気がした。
「はぁっ!」
攻守交代。リスィは攻め手に転じ、アルミタの心臓めがけて槍を突き出す。
「これしき!」
雷光の如き一閃を、アルミタは獰猛な笑みをこぼしながら剣で払いのける。そしてその笑みが硬直した。
「なっ…」
「ああぁ!」
リスィは槍を払いのけられた勢いを使ってアルミタとの距離を詰める。槍を左手に持ち、右手は拳を握る。
(拳撃だと!?)
意表をついた攻撃にアルミタの動きが一瞬止まる。その一瞬は戦いにおいて致命的だった。
「ぬぐっ」
「はっ!」
荒々しい拳がアルミタの腹にめり込む。アルミタの骨の軋む感覚が拳を通じて伝わってくる。
「俺だって」
リスィは本気だ。アルミタが本気の剣撃を浴びせたように、リスィも本気の一撃をアルミタに見舞った。
「前に進むんだ」
息を荒げるアルミタに向かって、リスィは追撃すべく距離を詰めた。
*** ***
アルミタの知らない過去がある。リスィはアルミタに果断に攻めながらあの日のことを思い出す。
妹が殺され、人型の魔物を殺し、群れを成して襲い掛かってきた魔物たちをリスィは業を使って撃退した。
フラフラのリスィの周りにあるのは魔物の死体の山。使っていた槍は折れ、生きも絶え絶えなリスィは逃げた住民が集まっているはずの町中央部に向かった。
別に称賛を求めていたわけではない。ただただリスィは疲れていた。疲れていて、だからアルミタや両親の顔を見たくて中央部に行ったのだ。
あの日の記憶はあいまいだ。思い出したくないがあまりに、リスィが自分で自分の記憶に蓋をしてしまった。
無理もないことだ。12歳のリスィにはあの体験はむごすぎる。
「お前は誰だ」
リスィに浴びせられた言葉。それはリスィのよく知る人から言われた。
「僕はリスィだよ!」
叫んだ言葉は誰にも受け入れられない。リスィは町の皆を知っている。けれど町の皆はリスィのことを誰も知らなかった。覚えていなかった。
魔物が町を滅茶苦茶にしたことで、町の住人は疑心暗鬼に陥っていた。そこに血まみれの少年が知人のような顔で来たのだ。恐怖にかられるのも無理はない。
「気味が悪い」
と友人に言われた。
「貴様が魔物をけしかけたのか」
とランに言われた。
「この人でなし」
とアルミタに言われた。
「娘をどうした」
と父に言われた。
「娘を返して」
と母に言われた。
「お前なんて知らない。化け物は死ね」
と住民の皆から言われた。
リスィの業の代償は「忘却」。世界や誰かから何かを忘れさせる代わりに、リスィを知る人の中からリスィの記憶が失われるのが彼の代償。リスィは身に余る業を使い過ぎた。だから町の人々の中からリスィのことが消えてしまった。
言ってしまえばそれだけのこと。力の対価を払っただけのこと。でもそんなことリスィは知らない。パニックと、恐怖と、焦燥と、恐怖と、恐怖に襲われた。だからリスィは。
全てをなかったことにしようと、わけも分からぬまま業を使って、化け物と呼ばれたリスィの存在を住民から奪った。
リスィに関する記憶を失って朦朧とする人々を前に、リスィは逃げ出した。逃げ出して、国の兵士となってクリナスタット大森林の兵士となった。リスィが忘れ去られることを恐れて人と関わることを止めたのも、この頃からだった。
*** ***
あの日の恐怖は今も揺らいでいない。けれどリスィは前に進みたい。だから彼は槍を振るってアルミタと戦う。縦横無尽に槍を巡らせ、アルミタを攻め立てる。
アルミタはリスィの攻めを受け流しながら、冷静な目でリスィを観察していた。
後頭部目がけて飛んできた石突を剣で受け、膝狙いの下段蹴りを身のこなしでかわしてアルミタは短く息を吐く。
(見事なものだ…。だがためらいが見えるな)
アルミタは剣に光を纏わせて首に向かって薙ぐ。リスィは上半身を大きく反らして回避。不安定な姿勢のまま。足を切り落とそうと槍を払う。
槍自体に手加減はない。殺意こそないが、高い戦意をにじんでいる。
「全てではない、な」
薙いだ剣が鋭角を描いて槍をぶつかる。二人の戦いに、ついに槍が耐えきれなくなったのか、スパッと槍が断ち切られた。
「ここまでか…」
「いい槍だった。あなたに感謝を」
武器を折られ、両手を上げて降参したリスィを見て、アルミタは剣を鞘にしまったて頭を下げる。
「どうした?」
頭を上げるとリスィが何か言いたげな様子だ。アルミタが問うと、リスィはためらいがちに言った。
「アルミタさん。俺をあなたの副官にしてもらえませんか?」
「いいよ」
言った自分が驚くくらいにすんなりと、アルミタはリスィの頼みを受け入れた。
*** ***
*** ***
「さてさて。面白くなってきたね」
クリナスタット大森林の奥深く。そこで一人の少年が目を瞑っていた。
「くひひ」
目を開けて、その顔に浮かぶのは笑み。まるで一番の好物を目の前にした少年のようだ。
しかしその笑みは嘲笑。あらゆる人間を嘲り、侮蔑する笑みだ。嘲笑を浮かべる少年―魔神はリスィとアルミタを遠視して愉しそうに嗤う。
だがその笑みは唐突に消えた。魔神の耳が遠くから聞こえる足音を察知したのだ。
「つまらないな。いらない客だ」
どうやら森を捜索している兵士のようだ。雑魚相手に逃げるのは性に合わない。魔神は指を鳴らして魔物を召喚する。カメレオン型の魔物を3体。どうやら兵士たちは皆上位クラスの持ち主のようだが、ステルス性能に優れるカメレオン3体に勝てるほどではないだろう。
「さて、これでよしと。次はどうやって遊ぼうかな。楽しみだなぁ…リスィ君はいつ僕のところにたどり着くのかな。そしてそのためにどれくらい忘却を重ねるのかな」
遠くから聞こえてくる悲鳴に満足そうにうなずいて、魔神は次の遊びに頭を巡らせた。
物語は続きません。




