第十九話 もう初めましてと言われたくないし、言いたくない
あの日、リスィは生涯忘れられない光景を見た。焼ける生まれ育った町。首のなくなった男。むごたらしく殺された妹の亡骸。
でもそんなことはどうでもいい。
この世界で一番恐ろしいことは、世界で何よりおぞましいことは、そんなことじゃない。今まで積み上げてきたものが消えてなくなる感覚。積み木を高く、高く重ねてそこから歪に積み木を抜き取ったのに、立ったままでいられるはずがないのに積み上がったままの感覚。
「お前は誰だ」
「お前なんか知らない」
「ここから消えろ」
「化け物」
「気持ち悪い」
「怖い」
「誰」
「誰」
「誰」
「僕は、誰だ」
「娘を、リズを返せ」
父と母の、怨嗟の表情。
欠けた積み木は得体の知れない何かで埋められて、世界は今日も積み木を積んでいく。世界はリスィを忘れて過ぎ去っていく。
この世界にお前は不要だ。そう言われた気がした。
*** ***
「目が覚めたか。驚いたぞ」
既視感を感じる言葉だ。リスィはゆっくりと目を開ける。視界にアンリの顔が映った。
「全く…それで何があった?アルミタは猪突猛進なところもあるが、相手に恐れを抱かせるような顔はしていないはずだ」
心配そうなアンリの言葉が、リスィの胸に重くのしかかる。
「やっぱり…あの人はアルミタか」
「ん?アルミタを知っているのか?」
「…はい」
逃れられない過去と愚かさの代償は、アルミタという形を伴って手を伸ばしてきた。リスィは頷き、顔を手で覆う。
「アルミタは、俺の幼馴染です」
「なんだと?だがアルミタは君のことを…いや、そうか。そういうことか」
それだけで全て察してくれたのか、アンリはそれ以上の言及を止める。その察しの良さに今は感謝だ。
「…この話はもうやめにしよう。君がアルミタと出会って丸一日気を失っていたからな。大規模な異変から数えてももう十日だ。いい加減私も情報に餓えている」
「随分と俺は…」
眠っていたものだ。リスィは傷跡も後遺症もない右肩を眺める。大穴が空いていたはずの怪我が十日ばかりで完治する。これは魔神の業の力か、それともリスィの人外じみた治癒力故か。
いずれにしても、リスィが“業”を背負った人間の中でも特異な存在であることはアンリに知れている。
「君が何を見たのか。そしてリカルドが何を為したのか。私に教えてくれないか?」
アンリの頼みを聞いて、リスィは自分の見た魔神とリカルドの戦いを語った。
*
魔神とリカルドの戦いをリスィから聞き終えて、アンリは深いため息をついた。
「そうか。リカルドは魔神と対等以上に渡りあったか」
「ごめんなさい。俺があの時…」
「言うなリスィ。全ては終わったことだ。私たちは君が業を使えなかったことを責めるつもりはないよ。むしろよく生き残ったと褒めたい気持ちだ」
100名以上いた兵士たちの内、生き残った兵士はたった10名程度なのだという。それ以外は皆魔物に殺されてしまった。
生き残った者たちも皆リスィ同様重傷を負っていたそうだ。
「それにリカルドの要請を受け入れられていれば、こんな事態にはならなかったのかもしれない。それを考えれば君の仲間を大勢殺したのは私だ」
それはおそらく師団長としての判断だったのだろう。リカルドも言っていた。クリナスタット大森林の異変は他の魔窟の異変に比べればまだ容易なものだと。上の判断は間違っていないのだと。
その上の一人がアンリであることにリスィはようやく思い至った。とはいえアンリへの怒りの感情はない。あるのは不甲斐ない自分への情けなさと、追いついてきた過去に対する恐怖だ。
「魔神が魔物を自在に呼び出せるのだとしたら、全ては魔神の手の平の上だったんだと思います。だからあなたが謝る必要はないです」
「しかし結果として私の判断は間違っていたことになる。そのせいでリカルドも死んでしまった。そのこと自体はきちんと受け止めるべきではないか?」
「かもしれませんけど」
「かもしれるよ」
口ぶりや表情は凛々しいままだが、その実かなりアンリは落ち込んでいるようだ。そういえば自分が気を失った後、リカルドの死体はどうなったのかが気になった。
「ともあれ、魔神についての情報は分かったな。外見はただの子どものなり。しかし白黒の翼や双剣を使った戦いをする。今までとはまた違うパターンだな」
「その…」
「なんだ?」
アンリの言葉を疑問に思う。思考に沈みそうになっていたアンリに、リスィは声をかけた。
「魔神って姿や戦い方が毎回異なるものなんですか?」
「あぁ…」
リスィの問いにアンリはそういえばというような顔をする。
「魔神の顕現とはな。何も無から生まれるわけじゃないんだ。魔神はこの世界に生きる誰かを依代にして顕現する。そのせいで容姿や得意とする能力が異なるんだ」
記録に残っている初代魔神は妙齢の女で、空間を歪める力があったという。二代目は中年男性でひたすらに肉体が頑丈だった。
先代は年老いた老人で、精神汚染や魔物の操作に長けていたのだという。ただいずれも何かしらの武器の扱いには秀でているらしい。
「そうなんですか」
「だから魔神に対する効果的な戦法は、毎回試行錯誤しながらやるしかないんだ。魔神は居場所が知れるとその場所に居つく。そして何度も失敗と成功を繰り返して魔神を討伐するんだ」
「とすると」
「あぁ、対魔神軍の本部はここ、クリナスタット大森林に魔神が居ついたと判断した。これからこの森が魔神掃討の中心地となるだろう。我々第一師団はその先遣隊だ。じき他の師団の優れた戦士たちがここに集まってくることだろう」
アンリの言葉にリスィは不安を覚えた。魔神が居つく。リスィが見た限り、魔神は人を嘲り尊厳を踏みにじる怪物だ。それがまるで獣か何かのような行動をとるだろうか。
「それで、君はこれからどうしたい?」
「…どうしたい、とは?」
リスィの思考を遮る形でアンリが問う。
「君は元々クリナスタット大森林大隊に所属する一兵士だった。しかし裏でリカルドが君のことを自分の副官にしていてね」
「知りませんでした」
「だろうな」
リスィはリカルドの副官のような位置にいたが、それはあくまで「のような」に過ぎないと思っていた。まさか上位クラスも持たない自分が大隊長の副官の地位にあるとは思ってもみなかった。
「君には選択肢がある。一つは一兵士に戻って魔神のいる魔窟を捜索する任につくこと。つまりリカルドと出会う前の君に戻ることだ」
アンリは一本ずつ指を立てながら話を進める。
「二つ目はリカルドの副官だった経験をいかして誰かの副官になるもの。あるいは騎士団に入りたいなら、それでもいい。私が君を推薦しよう」
「そんなことできるんですか?そもそも俺に『騎士』のクラスにつく才能があると?」
『騎士』とは上位クラスの中でも『神官』を除く『剣士』、『指揮官』、『魔法使い』を統合したクラスであり、騎士団はそんな『騎士』のクラスにある者たちを集めた中隊だ。
「できるし、ある。」
『騎士』は上位クラスの花形。それだけに適性を持つ人間も限られてくるのだが、アンリはクラスを授ける神官も通さずにそう断言した。
「私の目は特別製でね。色んなものが見えるし、分かる。実はリカルドのことを認識できていたのも、そのおかげなんだ」
「そうですか」
「それで?君はどうしたい?」
「少し、考えさせてください」
突然の選択を決めきれず、リスィは保留の答えを出した。
*
これからどうするか。そんなことを考えるのは子どもの時以来だ。リスィは自分にあてがわれたテントで思考を巡らせる。
あの時は料理人になるか、それ以外になるかで悩み、心の中心にはアルミタがいた。しかしあの日以降、リスィは運命に流されるままに生きてきてここに来た。
一兵卒に戻るのも一つの選択肢であることは分かっている。でもそれを選ぶことは変わらないことを選ぶのと同義だ。リスィの覚悟が、力が足りなかったせいでリカルドは死んだ。誰が何と言おうと、その事実は変わらない。
だから一兵士として過ごすのはなしだ。だがならばリスィは何者になる?
副官か騎士。アンリはリスィに二つの選択肢を与えた。どちらを選ぼうとも人と深く関わることになることには違いはない。
「…」
リスィはもう「初めまして」を言いたくない。「初めまして」とも言われたくない。出会いには別れがつきものだ。そして出会い、親しみを抱いた相手から二度目の「初めまして」を言われることは、身を斬られるよりはるかに苦しい。
「でも、それでも俺は前に進まないといけないんだ」
何度「初めまして」と言われてもいい、なんて風には割り切れない。しかし無力に嘆く自分のままでいたいとも思えない。
「俺は…」
「失礼。リスィ殿はおられるだろうか」
息が止まるかと思った。記憶の中よりも落ち着いた声にリスィはじわりと手足の先が凍てつくような感覚を覚える。
追いついてきた過去、アルミタだ。しかし出ないわけにはいかない。何度か深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、リスィは返事をして入り口から出る。
「先日はすまなかった。いささか取り乱してしまってな、貴殿にも不快な思いをさせてしまったらしい」
「あ、いや…その、大丈夫、です。気にしないで…下さい」
心構えができていたおかげで、アルミタを見ても狂乱して気を失うことはなかった。だが嫌な汗がとめどなく出てくることは止められない。
「む、そうか」
見る者が見れば不自然極まりないリスィの態度だったが、アルミタがそれに気づくことはなかった。相変わらず鈍い。12年間一緒に過ごしてきて、リスィの想いに全く気づかなかったアルミタそのままだ。
「ならば改めて自己紹介といこうか。初めまして。私は対魔神軍第一師団騎士団所属、師団長付きのアルミタだ。よろしく頼む」
アルミタは5年会わない間に随分と綺麗になっていた。真っ直ぐさや純粋さはそのままに、少女らしい弱さが抜けて、代わりに強さとたくましさが増したような気がする。
「そうですか…それで、何か用…ですか?」
「いやな。先日の件が気になってな。もしやあなたに不愉快な思いをさせたのではないかと不安に…いや初対面の人間に対してつきまといなどと言うのは不愉快なことに違いがないな。重ね重ね申し訳ない」
騎士であるアルミタはリスィよりも立場は上のはず。けれどアルミタは生真面目な態度を崩そうとしない。
その生真面目さに懐古の念を抱くよりも、アルミタの発するまるで初対面であるかのような態度がリスィの心に刺さった。
(いや違う。アルミタにとっては初対面なんだ。だから何もおかしくない。むしろおかしいのは俺の方。例えそれが真実でも、誰も覚えていないのなら、それは空想か、妄言でしかないんだ)
張り裂けそうな心の痛みを抑え、リスィは痛ましいまでの笑みを作った。




