第十八話 アンリ・ナールラント
兵士編後半投稿します。後半は結構短め。
「そこにリカルドがいるのか?」
一人泣き濡れるリスィに声をかける者がいた。涙で濡れたままの顔をあげると、そこに怜悧な顔立ちの女がいた。
日の光を反射してきらきらと輝く金髪は肩ほどで切り揃えられ、サファイアブルーの瞳は真っ直ぐリスィに向けられている。
歳は30くらいだろうか。幼い少女のような雰囲気はないが、成熟した女らしさもない。彼女は女性でありながら、女性らしいたおやかな部分が欠落していた。かといって男性的でもなく、中性的と表現するのがふさわしい。
瞳の色と同じ蒼と白銀の鎧を纏った彼女は、手に大きな旗を持っていた。
「あなたは…?」
リスィの問いかけに女はすっと目を瞑り、リスィのことなど見えていないように「やはり黒いな」と呟いた。そして。
「すまんな」
と言って、旗を持っていない方の腕で思い切りリスィのことを殴り付けた。
「んなっ!」
出会い頭に殴り付けられ、リスィは避けることもできずに地面に倒れ込んだ。
「何を…」
殴られた頬が痛い。不満を訴えるために体を起こしたリスィが見たのは。
「あなたに深い感謝と謝罪を」
深々と頭を下げる女の姿だった。
立ち上がったリスィに女は自己紹介をする。
「私はフェルリル国対魔神軍第一師団団長アンリ・ナールラントと言う」
姓持ち。つまりアンリは高位の貴族だ。姓持ちの貴族には自由に平民を殺す権利が与えられている。
しかも師団長。リスィの所属するフェルリル国の軍隊は平時より存在する国ごとに分けられた治安維持軍と、時に国をまたいで結成される、魔神顕現時に作られる対魔神軍の二つに分けられる。
対魔神軍は5つの師団と20の旅団。そこから魔窟や拠点ごとに配置される大隊や中隊、小隊と細分化していく。
その中での師団長。師団長の上には総師団長や将軍といった最高指揮官がいるくらいで、つまりアンリは途方もなく偉い。リスィからしてみれば、リカルドも十分上司だったが、師団長クラスになると最早雲の上の存在だ。
以前の投げ槍だったリスィなら、師団長のアンリに対しても粗雑な態度をとったかもしれない。しかし今のリスィはリカルドの生き様を見て、死にたくないと思っていた。だから慌てて平伏しようとしたが、アンリはそれを手で制した。
「あぁ、構ってくれるな。いつも通りでいい」
「でも…」
「なら命令だ。いつも通りにしなさい。クリナスタット大森林大隊所属のリスィ」
分かりやすい上官命令。しかもこの声にはなぜか逆らいがたいものがあった。リスィは深呼吸を一つして姿勢を正す。そして気づいたのだが、近くを歩いていたはずの他の兵士たちは皆平伏していた。
アンリもそのことを当然のこととして受け入れている。周囲の人間が皆平伏している中、立っているのはアンリとリスィだけ。
気まずいことこの上ない。
「あの…」
「ん?どうした?」
「あなたはリカルドさんのことが…」
「…あぁそのことか」
先程アンリはリカルドがそこにいるのかと聞いた。それはつまりアンリには、リカルドの姿が見えていないということ。
しかしアンリはリカルドのことを認識していた。リスィですら、リカルドのことは意識していないと認識から滑り落ちそうなのに、これはおかしなことだ。
そういった意味を含めての問いだったが、アンリは悲しそうな顔をして、わずかに目を見開いてから唇をかみしめ、薄い微笑みを作った。
瞬きほどの時間にアンリは様々な表情を見せる。
「大丈夫だ。今ようやく見えた」
アンリはリスィに抱きとめられたままのリカルドのもとへ歩み寄ると、彼の顔を愛おし気に撫ぜた。
「ここでは話しにくいな。場所を変えようか」
その言葉はリスィの発した問いについての答えか。アンリはあくまで会話のペースを保ったまま、テントの一つを指さした。
リカルドの亡骸は抱いたまま、リスィはアンリの指さしたテントに入った。このテントはどうやらアンリが普段使っているものらしい。リスィが寝かされていたテントも十分小綺麗に見えたが、このテントはそれよりもずっと清潔で広々としていた。
急ごしらえのテントだからか、調度と言えるほどの物は置いてなかったが、テントの布地一つをとっても質のいいものが使われていることが分かった。
(でも…)
白い天幕に同じく白いベッド。机と椅子は切り出した木のままの色で、余計な装飾はない。
師団長が使っている部屋にしては、あまりに殺風景だ。
「余計なものが部屋にあるのが嫌いなのだよ。贅沢も嫌いだ」
リスィの考えを読み取ってか、アンリはそう答え、リスィを椅子に勧めた。しかしアンリが立っているのにリスィが先に座るわけにはいかない。第一リスィはリカルドを抱きかかえたままだ。
「あぁ、そうか。リカルド…。どうするか」
しばしの間考えた後、アンリは持っていた旗布を床に敷き、そこにリカルドを乗せるように言った。
「いいんですか?その」
「構わない。リカルドは命を賭して魔神と戦った。そんな男を床に置くわけにもいくまい」
最初から血でテントが汚れるとか、そういったことは頭にないらしい。どこか噛み合っていないことを自覚しつつも、リスィはリカルドを旗の上に置く。傍に黒く変色した血が染みていくが、アンリはそれを気にする様子はない。
ふいにリカルドの手にあった刀が落ちて、リスィの足元に転がり込んだ。
どうして今?リスィはリカルドの手に刀があったことに気づいていなかったが、何気なしに刀を拾い上げた。そして眉を細める。
「なんだこれ」
魔神との戦いのさなか、中ほどで折れてしまった刀は、刀というよりも短刀と呼んだ方が相応しいものだ。だがその短刀は元の白銀の輝きを失い、黒く濡れた色をしていた。
リカルドの亡骸同様、いやそれ以上に存在感が希薄な短刀はリスィの手に妙に馴染んだ。リスィが短刀の様子を確かめていると、アンリが複雑な感情の色を含めて言った。
「リカルドの刀は“業物”になったか…」
「“業物”?」
首を傾げるリスィに、アンリは一つ頷いた。
「“業物”とは“業”を背負った者が長く使った武器や、業が武器に写し取られることで“業”が移った武器だ。その刀はリカルドが長年使っていた物。そして魔神との戦いで業を纏って使ったのだろうな。故に、リカルドの“業”と業が乗り移ったのだろう」
それは君が使うといい、とアンリは言う。
「いいん、ですか?」
「それがあいつも喜ぶだろう。君のことは手紙を通じてリカルドから聞いていた。自分と同じ“業”を背負った青年だと」
アンリの口ぶり、そしてリカルドがリスィのことを手紙で知らせていたことと言い、リカルドは彼女のことを信頼していたことが分かった。
だからこそ、リスィは改めて質問を投げかける。
「あなたはリカルドさんの…」
「勘違いしてくれるな。私はリカルドと恋仲であったわけではない」
リスィの邪推をアンリはばっさり否定する。
「そうですか。それは失礼…」
「しかしリカルドと私は同輩で、親しい間柄にあったことは紛れもない事実だった」
そう答えたアンリの顔にはやはり、紛れもない悲しみが浮かんでいた。
「では改めて、私はあなたに深い感謝と謝罪を述べるよ。リスィ」
今度は頭を下げないまま、アンリはそう告げた。
「…何が、何に感謝をすると。俺は」
しかしリスィにはアンリに感謝も謝罪もされる言われはない。リスィは何もできなかった。魔神討伐という千載一遇のチャンスを逃し、リカルドを殺してしまった。
侮蔑され、謝罪するべきはリスィの方だ。
「リカルドは君の存在に救われていたよ」
だというのにアンリの言葉に揺らぎはない。リカルドに目を向けたまま、アンリは薄い微笑みを浮かべる。
「すく、われた?」
「そうさ。リカルドは誰とでも深い関係になれば必ずと言っていいほど、相手に憐れまれてきた」
それは“業”を背負った者が悲劇的な運命をたどることから、憐れまれるという話だろうか。
「ならあなたも、リカルドさんを憐れんでいたんですか?」
「そう、だな。きっと憐れんでいたよ。剣士として誰よりも才能があったのに、あいつは代償のせいで『前衛指揮官』を選んだ」
「なぜ、存在感が薄れることと『前衛指揮官』をクラスに選ぶことに何の関係が?」
以前リカルドに問うても答えてくれなかった質問。アンリはささやくように答えた。
「『指揮官』のクラスを得た人間は存在感が増すからさ」
その答えのむごさに、二人は揃って顔を苦痛に歪ませた。だが、とアンリは苦渋の表情のまま言葉を続ける。
「だからこそ私は君に感謝を言いたかった。リカルドにとって君が初めてだったんだよ。“業”を背負っていることを知って、憐れんでこなかったのは」
「それは…そんなの」
リスィは言葉につまらせる。リスィからしてみれば、リカルドは強い光を持って常に前を行く人だった。リスィはリカルドが『前衛指揮官』を選んだ理由なんて知らなかったし、リカルドの抱く恐れの訳も知らなかった。
リスィがリカルドを憐れまなかったのは、一重にリスィが無知で同じように“業”を背負っていたからだ。
それを伝えてなお、アンリは悲しげな微笑みを崩さない。
「それでも、さ。君と出会ってからのリカルドと私は会ったことがない。それでも分かったんだ。手紙に書かれた君のことから、どれほどリカルドが君のことを大事にしているかがさ」
だから私は君に感謝を言おう。アンリの言葉には澄みきった感謝の念があった。
「…」
アンリの感謝にリスィは何も答えられない。彼女の言葉を受けてもなお、リスィは自分がリカルドの救いになったとは思えなかった。
「ならあなたの言う謝罪とは」
これ以上その話題を続けたくなかったので、リスィは違う話を振ろうとした。だがそれより先にリスィはテントの外から一直線に、こちらへ向かってくる足音を聞いた。
アンリは首を傾げている。だがすぐに彼女も足音がきこえたらしく、うんざりしたような顔を浮かべている。
「師団長!何油を売ってるんですか!そろそろ会議が始…ま」
一人の女がテントの入り口を勢いよく開けて入ってきた。彼女はアンリとその近くにいるリスィを交互に見比べてわなわなと唇を震わせる。
おそらくリスィのことを不都合な形で勘違いしているのだろう。けれどリスィはそれどころではなかった。
「お、お前は…まさか師団長の愛人か!?」
「はぁ、どうしてそうなる。知己のことを聞いていただけだ」
呆れた様子のアンリの声も耳に届かない。リスィの目は入ってきた女に釘付けだった。
長い黒髪を後ろに一つでまとめた女。黒い瞳は凛々しさと意志の強さを感じさせ、事実彼女が強い意志を持っていることをリスィは知っている。
ピシリと軍服を身に纏った彼女は、リスィに怪訝そうな顔を向けている。彼女の意識はさきほどからチラチラと腰に佩いている長剣に向けられていた。隙あらば切りかかるつもりだ。
「アルミタ…」
「ん?誰だお前は。どうして私の名前を知っている。さてはお前、私のつきまといという奴か?」
初対面の男に名前を呼ばれ、アルミタは目に強い警戒心を浮かべる。目。知ったはずの幼馴染から向けられた敵意の視線に。
「あ、あぁ…あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
リスィは聞く者全ての胸を引き裂くほどの、悲痛な絶叫を上げて気絶した。




