第十七話 影法師に悲涙を落とす 影法師は最期に願いを託す
短めです。
暗闇に閉ざされた意識が浮きあがる。底なし沼からゆっくりと浮きあがる感覚。
『お前には失望したぞ』
その最中、真っ暗闇で聞こえる老人の声。その声にリスィは返す言葉を持たない。
『あの時、あの瞬間。あれが魔神を倒す絶好の機会だった。だというのにお前は怯懦に手を止めた。戦うことを止めた。あまりに無様だ』
「…」
『何も答えんか。ふん。お前に期待した私が愚かだったか。全く残念だよ』
「…」
『精々お前は小さな殻に閉じこもって、そうやって縮こまっているがお似合いだ』
その言葉を最後にリスィは瞼を開けた。リスィは、何も答えなかった。
*
「ようやく起きられましたか」
「ここは…」
目を開けると、目の前に白衣を着た女が座っていた。彼女はリスィが目覚めたことに気がつくと、穏やかな笑みを浮かべてリスィの容体を尋ねる。
「具合はどうですか?」
「…悪くはないです」
体を起き上がらせて周囲を見渡すと、どうやらここが宿舎ではなくテントであると分かった。真っ白な天幕に清潔そうなベッド。置いてある小物も白や明るい色彩のものが多い。
兵士になってからの5年で一番いい待遇だ。
(どうして俺はここに…。そうだ。宿舎は魔物の襲撃で壊れたんだ…なんだ?何かがおかしい気がする)
その思考にしばし違和感を抱く。何か忘れているような、大事なものが欠けているような。頭を貫くような頭痛がして、リスィは右手で頭を抱えた。
「あれ?」
そして気づく。気を失う前、リスィの右肩には大きな穴が空いていたはず。あれは一体誰にやられたものだったか。
「魔神…」
そうだ。思い出した。魔神だ。リスィは魔神と相対していた。でも戦っていたのはリスィではない。ならば誰が。誰が魔神と戦っていた?
「…リカルドさん!」
頭に閃光が走る。ようやく思い出した。魔神と戦っていたのはリカルドだ。リスィの上官で、同じく“業”を背負っていた男。
どうして彼のことを忘れていた。リスィにとって、リカルドは決して軽い存在ではなかったというのに。
誰だお前。
トラウマがフラッシュバックする。だがすぐに首を振って否定した。リスィはリカルドを忘れてしまったわけではない。ただ。そうただ。
「あれ…?」
リカルドの顔が思い出せない。リカルドは一体どんな顔をしていた?どんな声で、どんな戦い方だった?リスィとリカルドはどんな話をしていた?
(あれ?リカルドって誰だ?いや俺は何を言っている。リカルドは上官だ。俺に“業”と業を伝え、魔神と戦った尊敬できる人。なのになんで)
思い出せないわけではない。ただただ認識できないのだ。リカルドのことを思い出そうとしても記憶がスルリと抜け落ちてしまう。気を抜けば、彼の存在すらこぼれ落ちてしまうそうになる。
「いかなきゃ…」
「リスィさん?どうし」
混乱する看護師を置いて、焦燥のままリスィはテントを飛び出した。飛び出したテントの外には身なりのいい兵士や騎士が何人もいて、血相を変えてテントから躍り出たリスィを見て目を丸くしている。
「リカルドさん!」
リカルドのことが頭からこぼれてしまわないように、彼の名前を叫びながらリスィは戦いがあったはずの場所へ急いだ。
*
魔神とリカルドとの戦いの場所はテントのすぐ近くだった。どうやらテントは宿舎の跡地にあるらしい。だからリスィはリカルドをすぐに見つけることができた。
「そ…んな」
周囲を歩く人間が不自然にそこを避けて歩く。なのに、誰もそこにあるものに気づいていない。
リスィが気を失って何日たったかは分からない。けれど一時間や一日ではないことは何となく察していた。だというのに。
リカルドの亡骸は死んだ時と全く変わらずにそこにあった。それはまるでリカルドを置いて世界が先に行ってしまったかのようで、震える唇をリスィは強く噛みしめた。切れた唇から温かい血が流れる。
その温もりは生きている証だ。だけれども、リカルドの体は冷たい。もう生きていない。
「リカルドさん」
リカルドの周りには真っ黒な血だまりがあった。彼の体はあちこちに穴が空いており、その周囲は黒く濁ったような色をしている。その姿をリスィは目を凝らして、焼きつける。
それは己の恐怖心がリカルドを殺してしまったことを覚えておくためであり、目を凝らさないとリカルドの姿を見つけられないからだ。
おろおろと近づき、リスィはリカルドの顔を持ち上げる。うっすらと目は開かれていたが、その顔に険しいものはない。
泣きたくなるくらいに、リカルドの顔は穏やかだった。
リスィは優しくリカルドの目を閉じる。こらえきれなくなって、リスィは嗚咽をもらした。周囲を歩く人間の異物を見る目。リスィがなぜ泣いているのかを理解できない目だ。彼らの目にはリスィはどう映っているのだろうか。
リカルドが認識できない彼らには、リカルドを抱いて泣くリスィがどう見えるのだろうか。
「リカ、リカルド…さん。ご、ごめっ。ごめんなさい」
もしあの時自分が業を使えていたら、もし自分がもっと強ければ。リカルドは死ななかった。リスィは無力を恥じ、非力を嘆く。
いくら恥じ、嘆いてもリカルドは帰ってこないと知っていても。
周囲の人間がリスィをおかしな人間を見る目で見る。けれどなんかことはどうでもいい。リスィは悲しみに浸っていて、他者の目を気にする余裕はなかった。
「ぼ、僕。僕は…」
リスィはもう子どもではない。だからリスィは声を押し殺して泣く。この悔しさを、無念を胸に刻みこむために。
リスィは影法師に悲しみの涙をこぼした。
*** ***
*** ***
体のあちらこちらを黒い羽で貫かれる。ケタケタ嗤う魔神の嘲笑。あぁもう助からないな。リカルドはそれが理解できた。
色んな思い出が頭の中を駆け巡る。自分を生み育ててくれた両親。厳しくも優しく剣を教えてくれた師匠。愛すべき兄妹。誰よりも親しかった女らしくない同輩。頼れる部下、仲間、上司。リカルドを支え続けてくれた、折れた愛刀。そして。
影も消え、翼も引き抜かれて、リカルドは力を失って地面に倒れる。その最中、リカルドの目がリスィを捉えた。
リカルドと同じ、いやそれ以上に重い“業”を背負った青年。過去に怯え、恐怖する青年。
魔神はきっとリスィを殺さない。それは同情や憐憫から来るものではなく、ただ単純に自分が楽しむため、さらなる愉悦を求めるためだ。
リカルドは死ぬ。けれどリスィは生きる。生きていればまた次がある。だから。
「生きていてよかったリスィ。後は任せたぞ」
自分が最も信頼する副官に、誰にも届かない願いを告げて、リカルドは長い長い旅に出たのだった。
これにて第二章前半は終了です。次の投稿までまた週間単位で日が空くと思います。(でもちょっとこのくそ重い話書くのに疲れてもしかしたら前から温めてた話とか書いててそっちに夢中になったらもっと期間が空くかもしれませんごめんなさい。でもきっと多分おそらくエタることはないと思います。それに結末は考えてるしそのための道筋も大体決まってるから多分大丈夫なはず大丈夫だよね。うん)…一月くらい空くかもしれません。そうなった場合別の連載が始まるかも…。
ポイント評価、ブックマーク、感想などを頂けたら幸いです。(/ω・\)チラッ




