第十五話 凄惨
壊れかけの宿舎を駆け抜けるリスィの後ろから轟音が響く。犬猿は宿舎を破壊しながらリスィを追う。その途中に見える無駄に広い宿舎の有様は、凄惨たる状況だった。
壁に穴が空き、赤黒い染みが至るところにできた宿舎には何匹もの人型の魔物が跋扈している。魔物たちは逃げ惑う兵士たちを追い詰め、なぶり殺していた。連携の取れない兵士は弱い。彼らは不格好に剣や槍を振り回すが、人型の魔物に対抗するにはあまりに貧弱で何もかもが足りなかった。
非公式の序列の上位に立ち、偉そうにしていた者たちもその中にいたが、上位だろうが下位だろうが関係ない。
魔物を前にしては、誰もが等しく弱者で獲物だ。
お楽しみ中の魔物たちは逃げるリスィにも目を向けたが、背後に犬猿がいるのを認めると、すぐに視線を切った。
今のリスィは犬猿の獲物。平等に楽しもうや。そう言っているかのようだった。
「おかげで助かったけど」
リスィは犬猿の槍槌の猛追をかわしつつ、俊敏な動きで逃げ回る。周囲に広がるむごたらしい光景と、魔物から逃げているこの状況。まるで5年前の焼き直しだ。違うのはリスィが無力な少年ではなく、得体の知れない力を持った青年であることと、隣に妹のリズがいないこと。そしてリカルドとの合流というゴールが見えていること。
リスィが見て、リカルドが斬る。この二か月で二人が身につけたコンビネーション。それがあればこの状況をひっくり返せる可能性はゼロじゃない。
「リカルドさんにこの魔物を押しつけることになるけ…ど!」
リスィは背後から突き出された槍を、見もせずに避ける。動きは獣のように素早く、落ちる木の葉のように柔らかな動きだ。
リスィは今無手。剣を捨てた途端にリスィの体は軽くなった。槍を持っているわけでもないのに、おかしな話だ。
『お前は剣を扱う才能が致命的に欠けているからな。剣を持つと動きが鈍る』
「にしてはあまりに極端じゃないか?」
『それが“業”。それがコールだ。条理のそれと一緒にするな。かくあるものとして受け入れろ』
足は動かしたままリスィは老人と会話する。5年前と似た状況に気分が悪くなることを防ぐため、リスィは感覚をとがらせながらも老人との会話を続ける。
「そうか」
『そうだ』
「なら剣を使うのを止めてくれればよかったのに」
『したさ。私の話を頑として聞き入れなかったのは誰だ』
「…俺だな」
『そういうことだ』
…どこだ。リカルドはどこにいる。リスィは尖らせた感覚でリカルドの位置を探る。だが宿舎の中は戦闘音や魔物の歓喜、犠牲者の悲鳴で激しく、中々リカルドの位置はつかめない。
それにリカルドとリスィの部屋は離れていて、仮に彼が部屋にいたとしてもすぐの合流は難しいだろう。
『別にリカルドを探さずとも、業を使えば倒せ…』
「黙れ殺すぞ」
『ふむ。そうか。まだ割り切れんか』
「当たり前だ」
何気なしにこぼされた言葉にリスィは激しくかみつく。感情が乱れて動きも乱れる。槍の穂先が頬をかすめた。赤い血がこぼれて宙を舞う。
『おい』
「ちっ」
リスィは舌打ちを一つして、足にさらなる力を込めて加速する。そして犬猿の槍が届かない位置まで距離を取る。
「キャケハァ…ハァ!!」
犬猿は苛立ったような、獲物の思わぬ抵抗を楽しむような声を上げた。いずれにせよ、自分が殺されるとは微塵も思ってはいないようだ。その傲慢がかつてリズを殺した魔物を思い出させて、リスィの心をささくれ立たせる。
リカルドは見つからない。リスィ一人では魔物を倒すことはできない。槍。その選択肢が頭に浮かぶ。槍はそこら中に落ちている。元の持ち主の死体と一緒に。しかしリスィの思考を読み取れるはずの老人が何も言わない。槍を使えと言った老人がだ。そのこと自体がリスィに槍を使えと促しているかのようで腹立たしい。
『じきに追い詰められるぞ。どうするんだ?』
「うるさいな。今それを考え…」
おしゃべりな老人の声を跳ねのけていると、リスィの耳が聞き覚えのある声を聞き取った。
「…っ!…、…!!…っ!」
「…見つけた」
『…あぁ、そのようだな。私も見つけたよ』
リスィはリカルドがこちらに近づいていることに気がついた。声の様子から戦闘中らしい。しかもかなり切羽詰まっているようだった。
老人が一体何を見つけたのかが気にはなるが、リスィはリカルドのいる方に向かって走り出す。
「くそっ!ふざけて…」
「あははっ!ふざけてながら殺すのが魔神というものだから…ねっ!」
魔神?その言葉に疑問を抱くよりも先に、リカルドとリスィの距離が縮まった。横の壁が抜けてリカルドの姿が見える。
「リカルド…さん!?」
「リスィか…」
リスィの目に映ったのは白と黒が混じり合った異様な光景。黒はリカルドの業が生み出す影の集まりで、白はリカルドとともに現れた少年から発せられている。
「あははははははははは!!!愉しいねぇリカルドさん!!大事なお仲間と合流だ!!」
「黙れ魔神!」
少年の言葉にリカルドは強い敵意を含めて返す。それを聞いても少年はニヤニヤを嘲笑を浮かべるばかり。
「ふふふ。まだまだ口は元気だねぇ」
「この…くふっ!」
リカルドは口からゴポリと血を吐きだした。リカルドの足元で蠢く影がどす黒くなった血を吸いこむ。
「リカルドさん…」
リカルドはボロボロだった。ふだん使っている刀は中ほどから折れ、黒い影が覆っている。しかもそこだけではない。体のあちこちから血が流れこびりついており、傷を塞ぐために影が蠢いている。
リカルドは己の業である「影」を全力で使っていた。リカルドの足元のみならず、周囲にできている影全てが蠢き、刃のついた触手となって対峙する少年を狙っている。
しかし対峙する少年は無傷で、しかも余裕ありげに嘲笑を浮かべている。彼は背中から純白の翼を生やし、その姿はまるで神の使いのようであった。しかし決して神々しくはない。
なぜなら彼から感じられるのは清らかな神々しさではなく、禍々しいものだからだ。見た目の美しさを塗りつぶす悪意。彼の浮かべた嘲笑が、彼が善ではなく悪であることを証明している。
その歪さにリスィの足はすくむ。そしてなぜか背後から追って来ていたはずの犬猿の気配も消えていた。
それどころか周囲にいたはずの魔物の姿が皆消えている。
「おやぁ?」
少年が立ちすくむリスィを捉えた。その顔に浮かぶのはこれ以上ないほどの愉悦。無くしていたお気に入りのおもちゃを見つけたような顔だ。
「これはこれは。リスィ君と××君じゃあないか」
「え?」
少年はリスィの名前を知っていた。しかしそれ以上に少年が言った二つ目の名前が聞き取れなかったことが気になった。
それはまるで…。
『黙れこのクズが。…だがようやく会えたな』
「そうだねぇ。いやはや××君も中々難儀な性格をしてるよね。ホント。人生損してると思うよ」
『余計なお世話だ。クズめ』
「口が悪いなぁ。××君は」
老人と少年は知己のように話す。『指揮官』のクラスで感覚を共有しているわけでもないのに、老人の声を少年は聞き取れるらしい。そしてやはり少年から紡がれる老人の名前は聞き取れない。
「リスィ逃げろ」
「リカルドさん?」
老人の声が聞こえずとも、少年と老人が会話をしていることを悟ったのか、リカルドがリスィを促す。
「あれは駄目だ。あれはまずい。私が時間を稼ぐ。だからそのうちに」
「そんなことできると思ってるの?」
『そんなことさせると思ってか』
リカルドの言葉を少年と老人が同時に止めた。少年はニタニタと嗤うことを止め、不意に真顔になる。
「せっかくのショーじゃないか。運命的で、悲劇的な出会いの場面。それをつまらない形でしめようなんて、僕は許さない」
『奴は私の怨敵だ。ここで逃げていいはずがない』
「くっ…なら俺にどうしろと」
逃げろというリカルド。逃げるなという少年と老人。リスィは逡巡する。自らの命だけをみれば、ここは逃げるのが正解だ。リカルドの言う通り、全てを捨てて逃げ出せばいい。しかし。
(逃げられるのか?)
声だけの老人が、如何なる手段を持ってリスィを止めるつもりなのかは分からない。問題は少年もリスィをここから逃がすつもりがないということだ。
無傷でリカルドを圧倒するほどの少年。そんな存在相手に逃げきれるとは思えない。それに今此処で逃げ出せばリカルドは確実に死ぬ。あの少年に殺される。
あの少年の正体。リカルドの言葉を信じれば魔神ということになる。その真偽は分からない。しかしあの少年が魔神であろうがなかろうが、リスィでは触れることすら叶わない強敵であることは紛れもない事実だ。
しかし手はある。
「くふふ。迷ってる。迷ってる。恐怖に負けて、すぐ逃げるつもりなら四肢を潰していたぶり殺すつもりだったけど。そこまで落ちぶれてはいないみたいだ」
真顔だった魔神の顔にまた嬲るような嘲笑が浮かぶ。目に映るあらゆる全てを嘲る笑顔。その笑顔はまさしくこの少年にふさわしい。
『業を使えリスィ。お前の持っている“忘却”の力。あれを使えばまだ、あのクズにも対抗できる』
「くっ…」
分かってはいる。今のリスィが持っている戦うための唯一の力。それが業だ。世界や個人から何かを忘れさせる、リスィの持つ異形の能力。忘却の能力を使えばこの場を凌げる可能性は高まる。しかし。
怖い。魔神と相対しても、竦みはしても震えなかった足が震える。めまいと吐き気。思い出したくもない過去が後ろから手を伸ばす。
(いやだいやいだいやだいやだいやだ!僕はもうあんな目には会いたくない。あんな目で見られたくない。あんな顔をされたくない。僕はもう石を投げられたくない)
「リスィ」
冷たい過去に震えていたリスィに、温かな声がかかる。そして乗せられる血まみれの、しかし確かな生きた温もりのある手。
けれどリカルドに触れられるまで、リスィはリカルドの存在に気づけなかった。どうしてだろう。はっきり見えるはずのリカルドの顔が、よく見えない。
「リカルドさん」
「…私は君に無理をさせる気はない。リスィ、君はどうしたい?ここから逃げるか?なら私は命を賭してそれを助けよう。しかし」
「僕、は…」
真摯な表情を浮かべるリカルドに、リスィは言葉を詰まらせる。その様子を魔神は愉しそうに眺めている。
「俺、お…れは」
リスィが口を開いて言葉を発しようとした時だ。
「残念。時間切れ」
魔神が、リスィの肩口に純白の翼をねじ込んだ。
「!!?!!?!!?!?!!?!?」
リスィはその一撃を避けることもできずにくらい、後ろに思い切り吹き飛ぶ。リスィの右肩に大穴が空き、そこからとめどなく血が流れている。
「ぁ…」
「き…さま」
唖然とするリカルドに、魔神は嗤いかける。
「あはは。おかしい。僕が待ってくれると思ったの?そんなわけないじゃん。僕はず~っと待ってただけ。一番悲劇的にするにはどこで介入するのがいいのか待ってただけだよ。ねぇ?どうだった?ずっと殻にこもってきた少年が、ようやく起き上がろうとするその瞬間に、横から入られて夢破れる瞬間は?とっても素敵なショーじゃない?」
ケタケタ、ケタケタと嗤う魔神は気が触れているのかというほど愉しそうで、それ以上にただ邪悪だった。人を弄ぶことが好きで、人が苦しむ様を眺めるのが大好き。外道という言葉では足りない。まさしく邪悪。この世の悪の中心とも言える存在。
「リカルド君。君がリスィ君の闇を払うには、少々役者が足りないんだよね。だから、さ。もう少しリスィ君には苦しんでもらおう。そしてさ」
これ以上ないほどの笑みを浮かべて魔神は言った。
「君には随分と愉しませてもらったよ。だからもう死んでもいいよ」
羽毛よりも軽い言葉と共に、魔神から白と黒に彩られた天を覆い禍々しい尽くすほどの翼が顕現した。
こう…魔神の邪悪さとか、理不尽さが伝わったのなら幸いです。




