第十四話 選択
第二章前半。いよいよ佳境に入ります。
リカルドは魔人を名乗る少年と対峙していた。リカルドは体中から冷や汗を流しつつ、魔神の動きを観察しているが、魔神は呑気にあくびなどしている。
(どうする?私はどう動けばいい?)
この少年が異形の存在であることは疑いようがない。見た目は普通でも、そのあり方は明らかに普通ではない。あの少年は前戦った羽根付きカメレオン同様、認識するまでは気配が希薄だった。しかし一度認識してしまえば、無視できないほどの存在感を放っていることが分かる。
そして何よりこの少年の顔に浮かんでいる嘲笑は、魔物が一様に顔に浮かべるそれと同じだった。少年の笑みは魔物の笑みと似ている。いや、魔物の浮かべる笑みが少年のそれと似ているのだろう。
魔物を作ったのは魔神。それを思えば何もおかしくはない。
「…お」
「ん?何々?質問かい?いいよいいよ。今の僕はとっても機嫌がいいからね。いくらでも答えてあげる。何でもとは言わないけどね」
嘲笑を浮かべる少年に、リカルドは震える声で問う。
「なぜ、森にいる人間を消した」
「つまらないから。面白いから」
リカルドの問いに、魔神は相反する二つの言葉で答えた。
「それは…」
「僕がさらった人間は足掻く力もない、心の弱い人間だった。僕が見たいのは強い人間の心が折れる様。最期まで足掻いてでも望み敵わず息絶える時の人間の顔。プライドをかなぐり捨てて、泣き叫んで救いを求める姿なんだ。あれらじゃ僕の見たいものは見れない。だから消した。でもおかげで面白いものが見れたよ。少しずつ組織に亀裂が入っていってるのに、頑張ってまとめようとしている君の姿は、けれど上手くいかずに壊れていく君の姿は本当に楽しかった。今回は中々僕を見つけてくれなかったからさ。いい暇つぶしになったよ」
にこやかな表情でありながら、吐きだされる言葉は邪悪そのもの。こみ上げてくる感情は怒りよりも先に立つ吐き気と嫌悪。
「な、なら…兵士たちが、仲間が消えたことに」
「何の理由も、陰謀もないよ。強いて言えば僕の暇つぶし。本当に退屈だったんだ」
「貴様…」
「あれ?怒った?怒っちゃった?いいね。そんな風に感情を燃やす姿は美しいね。そしてその怒りが絶望と恐怖に変わる姿はもっといい」
「戯言を!」
魔神の言葉で自らの心を奮い立たせる。リカルドは立ち上がり、そばに置いてある刀を手に取った。魔神は依然として顔に嘲笑を浮かべて、ベッドに座り込むばかり。
「戯言ととるならそれでもいいよ。君らにとってはそうなんだろうしね。だけど僕の考えは変わらない。僕は善神みたいにいい子ちゃんじゃないからね。見返りもなく、祝福は与えない」
「何を言っている?」
見返り?祝福?こいつがいつ人間に何かを与えたと?こいつは一体何を口走っている?
「ま、それは関係ないか」
「もう一つ、聞かせろ」
「なんだい?」
「お前はどうして私の名前を知っている?」
「あはっ!」
これ以上魔神の話を聞きたくなくて、話を変えるべくリカルドはさらなる問いを投げかける。それを聞いた魔神は愉しくて仕方がないというような嗤いをこぼした。
「それはね…」
ニタリと嗤って魔神は答える。リカルドはその答えを聞いて、短く息を吸いこんだ。
「そんな…そんなことが」
「質問はこれまでかな。んじゃ、始めよう」
呆然とするリカルドから視線を外し、魔神はパチンと指を鳴らす。それと同時に宿舎の中が悲鳴で満ちた。その悲鳴を聞いて周囲に視線を彷徨わせるリカルドの様を見て、魔神はニタリと嗤う。
「さぁ、ぼぅっとしている暇はないよ。今宿舎の中に人型魔物をばらまいたからね。このままだとみんな死ぬ。…本当に『兵士』のクラスは分断に弱い」
焦りを顔に浮かべたリカルドに、愉悦ににじんだ声で魔神は語る。
「君はきっと仲間を助けたいんだろう?でも行かせない。特別に僕が相手をしてあげよう。ってあれ?これってもしかして大チャンスなんじゃない?ここで僕を殺せたら、世界はその時点で救われる。なんてこと。君は英雄だ」
演技がかった口調で魔神は語る。その語り口は見事で、おぞましい誘惑にリカルドの心は揺れる。
「ありゃ。でも僕を倒しても魔物は消えない。あーとすると君が英雄になるためにはここの人達をみーんな生贄にしないとね。まぁーもっとも?僕を放置したらこれから先、何千、何万と死ぬからその程度の犠牲…」
「ふざけるなぁ!」
ケタケタと嗤いながら語る魔神。魔神の言葉はリカルドの誘惑を振り払うに十分すぎるものだった。強い意志で誘惑を払いのけたリカルドに、魔神は口を三日月状にして嗤った。
「やっぱり君は素晴らしい」
リカルドは魔神に刀を向ける。その胸の内には英雄になりたいなどと言う虚栄心はない。
一刻も早く仲間と合流しなければ。その気持ちだけが浮かんでいた。
刀を薄く発光させ切りかかるリカルドに、魔神は至極愉しそうに嗤って両手を広げる。
「いいねいいね。それでこそ人間!それでこそリカルドだ!」
「死ねっ!魔神!!」
魔神の背から生え、包み込むように迫る純白の翼を、リカルドは刀で弾き飛ばした。
*
剣を手に取り、リスィは自室を飛び出した。聞こえる悲鳴はますます大きくなり、リスィの鋭敏な聴覚を刺激する。
「何だこれ。…くそっ!まずはリカルドさんと合流を…」
『後ろだ馬鹿者!!』
老人の叱責が頭に響いた。とっさにリスィは前転して回避する。ドゴンと、リスィがさっきまでいた場所が陥没した。
「お前…」
『勘違いするな。願いを叶えるまで、私が消えたくないだけだ』
老人の一声がリスィを助けた。驚きを覚えたリスィに、老人は冷や水のような言葉を投げかける。
「…そうか」
『そうだ。それよりも集中しろ。敵は待ってくれるほど優しくない』
今度はリスィの判断で回避できた。リスィが身を伏せると首のあった位置に斬撃が通り抜ける。
「ケヒャヒャヒャハハハハハハハ!」
嗤い声の主はリスィを攻撃した魔物だ。目の前で哄笑するのは槍を手に持った魔物。頭は犬、胴体は猿の魔物だ。石突の部分が武骨なハンマーになった武器を振り回しながら、犬猿の魔物は嘲笑する。
「ケヒャヒャヒャハ…ハァ!!」
笑い続ける犬猿は笑い声のまま、口から衝撃波をまき散らした。元々ぼろだった宿舎の廊下が砕ける。リスィの部屋を含めた宿舎の一部が消え、代わりに木クズの散乱した広い空間ができあがる。
「ひっ!」
魔物から目を離せないリスィ。しかしその後ろから情けない悲鳴が聞こえてきた。いつもリスィをいたぶってきた元上官だ。彼は魔物の姿を見て腰を抜かしてしまったようで、ペキンと倒れ込み木クズを壊す音が聞こえた。
『どうするつもりだ?剣ではあれに勝てんぞ』
「今日はえらく親切だな」
『ふんっ。本願を果たせるかもしれんからだ』
「本願?」
『…』
今日の老人はいつになく饒舌だ。前方には人型の魔物。後方にはすくんで動けない元上官。頭の中にはおしゃべりな老人。周囲は破壊され、犬猿の魔物が槍を使うには最適な環境。
『どうする?あの男を助けるために死地へ飛びこむか?それともあの男を犠牲にしてリカルドを追うか?』
試すかのような老人の問い。そんなもの、迷うこともない。
「た、たすけっ!」
元上官が必死の叫びを上げる。犬猿の目線が元上官の方を向いた。その隙にリスィは一目散にその場から離れようと身を翻す。信じられないといった様子の元上官の顔が、視界の端に映る。
『当然だな。お前はあの男に恩どころか怨すら感じていないからな』
リスィが彼に対して抱いているものは徹底した無関心。どうでもいいと思っている男のために、命を張る理由はない。
「う、うそ…ひっ!いやだ!!」
ゆったりとした歩調で犬猿は元上官を追い詰める。名前すら知らない彼はリスィにすがるような目を向ける。
「どうして助けないといけない」
小さな声でリスィは呟く。名前すら知らない人間を助けることに価値を見出せない。別にいいだろう。誰だって10年後の人類の行く末よりも明日の自分の命の方が大事なんだ。自分が生き残るために、誰かを犠牲にすることの何がいけない。
『妥当な選択だよ』
しわがれた声。リスィはそのまま先に行こうとして、チクリと胸が痛むのを感じた。
『だが本人の意志を無視してそれを強要するほど俺は落ちてはいないさ』
『どうした?』
踏み出した足が止まる。老人の声ではない、別の声が頭をよぎる。リカルドの言葉だ。自分よりも他者のことを気にしていたリカルド。彼はやつれて疲労していても、リスィに槍を持ち、業を使って戦うことを強制しなかった。
それはある意味愚かで、馬鹿な行い何だろう。使えるものがあるなら使えばいいのだ。下手な意地を張らずに、命令してさせればいい。リカルドにはリスィを屈服させる力があるし、元々最底辺にいたリスィを虐げても誰も何も言わない。
けれどリカルドはリスィの意志を大切にした。もしここに自分ではなく、リカルドがいたら?リカルドはどうした?
「…俺は」
『そうか。お前は愚かだよ。だが…』
老人の最後の呟きは聞こえなかった。リスィは持っていた剣を犬猿に向かって投げつけた。剣は今まさに元上官を殺そうとしていた魔物の頭部に当たり、鋭い目がリスィに向かう。
「来いよ化け物。俺が相手だ」
「ヒャハァ…」
犬猿は目を細め、リスィのもとへ走り寄ってきた。リスィは犬猿のターゲットが自分に映ったことが分かり、背を向けて今度こそ逃走に移った。




