第十三話 嘲笑
兵士編前半。いよいよ佳境です。
「ただいま帰還いたしました」
「…ご苦労。それで」
「はっ!その…2名が、未帰還です」
「また行方不明か?」
「はい。死体はおろか、血痕や身につけていたものすら…」
「そう、か。宿舎に戻ってゆっくりと休むといい」
「りょ、了解いたしました。失礼いたします」
また未帰還か。リカルドに報告を行った小隊長の兵士は、きっちり九十度の礼をして立ち去る。その報告をリスィは玄関近くでこっそり聞いていた。
「リカルドさん」
「リスィか」
立ち去った兵士の後姿を眺めていたリカルドに、姿を現したリスィは声をかける。返ってきたリカルドの声には力がなかった。先ほどまで兵士に力強く答えていた彼と同一人物とは到底思えない。
「…困ったものだな。これで何人いなくなった?20人か?30人か?くそっ。ふざけやがって」
「今日の分を含めれば31人ですね。リカルドさん。言葉が乱れてますよ」
「ふんっ。乱れもするさ。死体もなく、どころか痕跡もない。ただ森の中で人が消える。とんだお伽噺じゃないか」
リカルドは険しい表情で語る。同意するようにリスィも頷いた。リスィとリカルドが羽根付きカメレオンと戦った日から二か月。四日に一度ほどの頻度で兵士が痕跡もなく、いなくなり始めた。
カメレオンと戦った後ということもあって、新種の魔物にやられて笛や救援を呼ぶ暇もなくやられただけではないかとリカルドは最初考えたのだが、その小隊の巡回路に死体がなかったこと。同じようなことが何度かあったことで、リカルドはこれをクリナスタット大森林を取り巻く新たな異変として把握。即座に上層部へ報告した。
リカルドは軍上層部でも評判がよく、また信頼されている指揮官だ。彼の上げた報告ならば間違いがない。すぐ魔窟の調査隊が派遣されるはずだった。
しかし現実は違った。調査隊は今をもってなお派遣されていない。返ってきた手紙には近隣の魔窟全てで同様の変化が起きているため、クリナスタット大森林に人員を割く余裕がない。リカルドの奮戦に期待する、というものだった。
クリナスタット大森林は他の魔窟よりも一足先に異変の兆候があったが、あくまでそれだけ。危険度の低い魔窟が異変によって危険度が上がったことより、元々危険度の高い魔窟の異変の方が優先度は高いという判断だった。
結果としてクリナスタット大森林にもたらされたのは末端人員のさらなる増員。つまりは有能な人材は来ず、使い捨てばかりが増えるだけの、現状と何も変わらないものだった。
「はぁ」
疲労の色濃くリカルドはため息をつく。原因不明の人間消失現象が起きているクリナスタット大森林だが、規律はまだ生存していた。いやむしろ規律自体は、以前よりも良くなっていると言えるだろう。リカルドの能力の高さ故だ。不穏取り巻く森の中で、彼は兵士たちを硬軟織り交ぜて上手く御していた。その手腕にはリスィも舌を巻かざるを得ない。
だがそれもどこかしこに亀裂が走っている。部隊をまとめあげるリカルドはやつれているし、裏で現状への不満を唱える者も少なくない。特に魔物への復讐心を胸に抱いて軍に志願した兵士などは、堅苦しい規律と閉塞した空気に音を上げ始めている。
それでもまだ軍が崩壊しないのは、そうやって心が弱った兵士からいなくなってしまうことに誰もが気づいているからだ。
皮肉にも、敵である魔物や人間消失の怪異の存在が軍を軍たらしめていた。
「人間がいなくなることの…原因はまだ分からないのか」
「はい」
「そうか。…いやすまない。リスィに聞いても仕様のないことだった」
「いえ、リカルドさんも無理しないでください。あなたがいなくなればクリナスタット大森林の兵士たちは空中分解します」
感情を表に見せない声で、リスィはリカルドを元気づけようとする。それにリカルドは弱々しい笑みで答えた。
この二か月間でリスィはリカルドの副官のような立場に収まっていた。同じ“業”を背負う者同士、境遇は違えど通じ合うものがあったこと。リスィの並外れた感知能力が魔物討伐の役に立ったことが理由だ。
リスィは日に日に摩耗するリカルドを思って胸を痛めた。そして胸を痛めた自分に驚く。
(もう誰にも心を開かないつもりだったのにな)
あの日のような想いは二度としたくない。その一心で5年間過ごしてきて、心は澱み凝り固まったと思っていた。事実凝り固まっていたはずだ。けれどその心はたった二ヶ月で解れてきてる。
(だけど)
それでもいいかと、リスィは思う。リカルドから話を聞いて、リスィの恐れている代償は業を使いさえしなければ、発生しないということが分かった。
要は業を使わなければいいだけの話だ。あの忌々しい呪いを使おうとしなければ、いいだけの話。
(二度とあれは使わない。槍も振るわない。それでいいじゃないか)
『否。お前はまた槍を取り、業を使うことになるだろう。それは絶対不変の真理だ』
「黙れ」
「どうした?」
老人への反論がつい口に出てしまっていたらしい。老人の不愉快な声はリスィがいくら無視しようとしていても、無視できるものではない。
怪訝な顔をしたリカルドに手を振る。リカルドは「あぁ」と納得の声をもらした。
「例の声か?」
「…はい」
「そうか。何と言われた?」
「それは…」
リスィは目線を彷徨わせた後、答える。
「お前はまた槍と業を使うことになるだろうと」
リスィはリカルドに昔あったことを話していない。だからリスィが槍を使えることも知らない。
けれど何か理解できるものがあったのだろう。リカルドは強く頷いて言った。
「現状は逼迫している。有用な戦力は喉から手が出るほど欲しい。だが本人の意志を無視してそれを強要するほど俺は落ちてはいないさ」
「ありがとう、ございます」
そんなリカルドの思いやりのこめられた言葉に、リスィは深く頭を下げた。
*
リカルドとの会話を終え、リスィは依然と同じ、何ら変わりない自室へと戻った。その途中でリスィは何人かの兵士とすれ違ったが、彼らは一様にリスィをいないものとして扱う。
しかしリスィは彼らの目に嫉妬や恐怖の色が混じっていることに気がついていた。嫉妬の色が強いのはこの二か月で新しく来た人間。恐怖の色が強いのはそれよりも前からいた人間だ。
救い難い。そう思う。以前のリスィを知らない者は軍の長であるリカルドの副官の位置にいるリスィを羨ましく思い、最底辺にいたリスィを知っている者は蔑んでいたリスィの出世に嫉妬し、それ以上に虐げていたことへの復讐をされることに恐れている。
魔神の跳梁跋扈を愁い、仲間の消失に苦しむリカルドを横目に、彼らは自分の醜い感情を思うことだけで手一杯だ。
リスィは彼らについて考えるのを止め、荷物を床に放りベッドに座り込んだ。そして森に起こっている異変がなんなのかを考える。
「人間がいなくなる。だけど、俺が森を回っている時は何も感じない。もちろん消えもしない。気の弱ったやつから消えていく」
そこから魔物らしからぬ、どこか作為的なものを感じる。魔物は本来、人を見れば見境なく殺して回るものだ。そこに気の弱い強いは関係ない。気の弱さが魔物に見つかるリスクを高めているとしても、不自然すぎる。認識した人間を襲う魔物の習性は、気味が悪いほどに機械的だ。
「なら誰かの介入?魔物じゃなくて、人の介入か?」
それならまだあり得るだろう。森に潜む誰かが痕跡も残さず人をさらっている。魔物が人を選んで攫っているよりはありそうな考えだ。
最もそうする理由がある人間とは、果たして誰かという点が一番の問題だが。
「魔神が魔物をけしかけてるって時にそんなことする余裕があるやつはいるのか?そもそもさらってどうする?いなくなってるのは若い女じゃない。肉体労働以外には使えそうにない男達だ」
そんな連中、町を歩けばいくらでも見つかる。敢えて取り沙汰されそうな軍にいる兵士を攫う理由がない。
何にせよ、あべこべなのだ。まるで答えのない問題を解いているような気分になる。どう見ても筋が通らないからこそ、答えが分からずリカルドも苦しんでいるのだ。
そもそもリスィが思い付くことくらい、リカルドならとっくに思いつき、調べているだろう。人員補充はされなかったからといっても、リカルドは優秀だ。原因解明が簡単なら、とっくの昔に解決しているはず。
ならば答えはリスィやリカルドの思いもしないところにある。予想の範疇の外にある。そして、それを思い付きそうな存在をリスィは知っている。
(でも)
それはしたくない。強情なリスィの、我儘な身勝手だ。
「…」
『どうした?何か用でもあるのか?』
「お前…俺の心を」
リスィの思考を読んでいたのか、丁度思い浮かべていた老人の声が頭に響く。
『無論だ』
馬鹿にしたような老人の声。
『私はお前の中にいる。お前の思考を読むことなど容易い』
「こいつ…」
『話が早くていいだろう?それでこの状況を作っているものの心当たりだが』
いつものようにリスィを皮肉るでもなく、促される前にすんなりと老人は話し始めた。
「あるのか?」
『ある、な』
「なら!」
『だが言わない』
「お前は!」
答えを匂わせるだけ匂わせて結局答えない老人にリスィは苛立つ。やはりこいつは敵だと。しかし続けて言った老人の言葉にリスィは目を見張った。
『言う必要がない。異変はすでに森からこの宿舎に移っている』
「なんだと…」
『そら、そろそろお前の耳にも届くんじゃないか?』
老人が言うのと同時に宿舎の中から悲鳴と物が壊れる音が聞こえた。
『急げよリスィ。お前が行けば救われる命もあろう』
最も、と老人は感情を僅かにも滲ませぬ言葉を吐いた。
『”業”を背負いし者が二人もおって、平穏無事があるはずもないがな』
無感情で不吉な老人の声が、頭に木霊した。
*
リスィと別れた後、リカルドも自室に戻り考え事をしていた。人間消失の原因はないか。だがいくら考え、答えを潰していっても未だに何も分からない。。
「一体何が…」
「あはっ!ならその答え、教えてあげようか?」
リカルド一人しかいないはずの部屋に、無邪気な子どもの声が聞こえた。そのありえない事態にリカルドは硬直する。背後から聞こえる声にリカルドは答えることもできず、ただ呼吸をすることしかできない。
「あれあれ?聞こえてないかな?聞こえてるよね。リカルドさん?おーい」
「ど、どこから…」
リカルドはゆっくりと振り返った。そして見る。背後にいたのは10歳前後の少年。目立たない色の、町人の着るような服を身に付けていたありふれた顔だちの少年だ。
そんなどこにでもいるような少年を前に、リカルドはそれ以上問いただすことも、剣を抜くこともできなかった。まさしく何も、出来なかった。なぜか。それは。
「人間を消してたのは僕!君たち人間を心から愛しているこの魔神様が犯人だったのだ!」
威勢よく叫ぶ少年の、魔神の目は闇夜よりも暗い闇が渦巻き、その口には見とれてしまうほどの嘲笑が浮かんでいたのだから。
魔神登場。




