第十二話 宿業
「リスィ。さっきの声はなんだ」
「…まさか」
リスィは目を見開く。聞こえたのか?今までリスィにしか聞こえなかった老人の声が。
たじろぐリスィをよそに、老人はつまらなそうに答える。
『ふん。これはまたくだらないところで悟られてしまったものだ』
「…やはり聞き間違いではなかったか。お前がリスィの背負う“業”か?」
リカルドは警戒をにじませた声で問う。
『それは是でもあり否でもあるな。私はあくまでこいつの背負う業の一部にすぎん』
「そう、か。それはつまり…」
『ふん。ああそういうことだ。せっかくだ。お前の口から話してやるといい』
それを最後に老人の声は途絶えた。後に残ったのは切り刻まれた魔物の死体と立ちすくむリカルドとリスィだけ。
「…」
「…」
何から言えばいいのか分からず、二人は顔を揃えて沈黙する。やがて諦めたようにリスィが口を開いた。
「とりあえず、感覚の共有をやめてもらえませんか?何となく、嫌な感じがするんです」
「あぁ、すまない」
リスィに促され、リカルドは指揮官の感覚共有を解除した。
「…聞きたいことがいくつもあります」
「だろうな。だがそれは私も同じことだ」
真剣な顔を二人は突き合わせる。先に口を開いたのはリスィの方だ。
「首に巻き付いたカメレオンの舌を切り裂いたのは何です?あれはまるで…」
リスィは見た。リカルドの皮膚から黒い刃が飛び出し、それが舌をたやすく斬り裂いた。魔法だろうか。始めはそう思ったがおそらく違う。魔法は呪文を唱えることが必須だし、そもそもリカルドは魔法使いのクラスではない。コールならその限りではないが、もしそうならカメレオンとの戦いで積極的に使わなかった理由が分からない。
魔法によらない不可思議な力。それをリスィはその身をもって知っている。
「“業”。およびそれから生まれいずる業。私は生まれながらに“業”を背負っているのだよ」
君と同じくね。そう言ったリカルドの声は、ひどくくたびれたものに聞こえた。
「…“業”」
言われてみれば何度も老人が口にしてきた言葉だ。リスィは自分の顔が悲嘆と苦痛に歪むのを感じた。この言葉からはどうしてもいい印象を受けない。
不快で、陰鬱な言葉だ。
「“業”とは、つまるところ何です?」
「そうだな…前世の罪。といえば分かりやすいだろうか」
「前世?」
そう言われて思い浮かぶのはやはり、アルミタの『剣士』のコールだ。前世の経験が今の才能に、そして実力に結びつくのがコールと呼ばれるものである。“業”も同じく前世の経験から生まれるものなのだろうか。
「コールと“業”は似ているが違う」
しかし、リカルドはリスィの疑問を先回りして否定する。
「確かに“業”を背負った者は同時にコールを背負うことは事実だ。コールにせよ、“業”にせよ、前世が由来であることに違いはないからな。違うのは前世の人間がただの善人か、罪人かの違いくらいだ」
「罪人…なら俺の力は…」
「前世の人間の犯した罪が、“業”を為すと言われている」
ダン、とリスィは考えるより先に自分の足を拳で強く叩いていた。それから感情が追いついてくる。リスィは唇を噛みしめ、目に深い憎悪を浮かべた。
「どうし…」
「なら、なら俺のあの忌々しい呪いは、あの爺の罪ってことか?」
怨念の如き言葉がリスィの口から吐き出される。聞いているだけで重く、暗い感情の奔流がリカルドを飲みこんでしまいそうになる。
リスィ自身、怨嗟の声を止めることはできなかった。
「何がお前の罪だ。何がお前は私だ。何が“業”。何が…」
「リスィ…」
リスィは目に暗闇を湛え、涙をこぼす。見開かれた瞳は下を向いているが何も映さず、ただただ暗いものを見せるばかり。
「ふざけるな。ふざけるなよ。そんな、そんな俺には関係のないことで、俺は、俺は…」
突如として顔をうずめ、悲しみに濡れた細い声で泣き続けるリスィを前に、リカルドは慰める言葉を持たなかった。だからリカルドはリスィを慰める力などないことを承知で、彼なりの割り切り方と、知っていることを話す。
「…そうだな。長年戦士をやっている奴は大抵、“業”のことを知ってるんだ。それで彼らは大抵“業”を背負った人間のことを『憐れむ』。なんでだと思う?」
リスィは何も答えない。
「それは“業”を背負った人間は真っ当な人生歩めないからだよ。“業”を背負ってしまった以上、大体が悲劇的な人生を歩んで、悲劇的に死ぬ。辿る人生の軌跡は険しい山道。きっと君もそのことを知っているんだろう。だがな」
リスィは何も答えない。
「“業”ってものは、悪いことばかりでもない」
リスィは何も答えない。しかし肩の震えは止まった。
「私はリスィが如何なる“業”を背負っているかは分からない。ただ“業”を背負った人間には、背負った“業”にまつわる業を使うことができる。私のあれもそうだ。影を実体化させて操る業。滅多に見せない私の切り札だよ。…ただ、まぁ代償もあるがね」
「代償?」
リスィは顔を上げた。しかしその顔には深い闇が渦巻いている。
「あぁ。業は力の上限がないんだ。やろうと思えば、人の身を超えた力すら使うことができる。だが使い手の技量を上回る力を使えば使う程、使い手から『何か』が代償として持っていかれる。…リスィ。君のその恐怖の根源は、代償にあるんじゃないのか?」
「俺は…」
リスィは目を伏せた。彼は考え込んだように沈黙する。
「“業”そのものは恐れ、遠ざけてもいい。所詮は見知らぬ他人がやった罪だ。だが業は遠ざけるな。積極的に使えとは言わん。だがもしもの時は使うことを…」
「恐れますよ。恐れるに決まってます」
力ない声でリスィはリカルドの言葉を退ける。リカルドは小さく「そうか」と呟いた。
「それも、また一つの選択だろうな。私には私の。君には君の考えがあるだろうから」
「…ですよ。リカルドさん、あなたの代償って」
「それは言わない。言いたくない」
リカルドの言葉に頑ななものが混じる。
「君が自身の業の代償を恐れるように、私も。私の代償を恐れているんだよ。ただ、まぁそうだな。強いて言えば私が『剣士』ではなく、『前衛指揮官』のクラスについていることが、ヒントになるだろうか」
そう言った彼の顔は上官ではなく、ただの一人の男の顔で、そんなリカルドにリスィは強い親しみを持った。
*
それから二人はカメレオンの死体(残骸)を持って宿舎を目指した。『指揮官』クラスの力を使って他の小隊にも帰還を促す。
先日の手長猿に羽根付きカメレオン。異常事態として警戒するのは当然のことだ。
帰還を呼びかけた小隊の内、2小隊、つまり8人から返答が返ってこなかったことに不安を抱きつつ、リスィとリカルドは帰還しながらも周囲の警戒を怠らない。
「…リカルドさんが“業”に気づいたのはいつ頃ですか?」
その道すがら、ポツリとリスィはリカルドに問うた。リカルドはわずかに目を開いた後、かつてを思い出すように虚空を眺める。
「はっきりと自覚したのは8つの頃。だが“業”を背負っているかもしれないということは生まれた時から言われていたよ」
リカルドの家は古くから『指揮官』として国に仕える家系だった。そのため当時家長であった祖父や次期家長として教育を受けていた父は、当然の如く“業”について知っていた。
「“業”を背負った者は須くコールを持っているが、その中でも特に他にない特異なコールを持っていることが多い。罪人故の特異性とでも言うべきなのかな。生まれてすぐ神官の手によって調べられた結果、私のコールは今まで見たことのないものだった」
「…俺はコールを持っていませんが」
眉を顰めてリスィが言う。
「神官から聞いていないか?君はコールを持っていないのではない。コールが不明なんだ」
「そういえば、兵士のクラスをもらう時、神官がえらく不思議そうな顔をしていました。でも子どもの時、コールはありませんでした。はっきりと『ない』と言われたんです」
「…それは変だな」
子どもの時はコールがなく、兵士になる時は不明。コールは先天的に得るものだ。後天的に変化するなどということはありえない。
とすれば考えられることは一つ。リスィの持つコール、あるいは“業”が彼のコールを子どもの頃は隠していたのだ。それが齢を経たからかあるいは別の事情か、メッキがはがれてきたということだろう。
「君の持つ“業”は少しばかり特殊なのかもしれないな。声の老人といい、変化するコールと言い、私の知る“業”の特性と比べてもあまりに変だ」
「そうですか。…本当に嫌になる。なんなんだよ。これ」
リスィの声はわずかに震えていた。
「さて、な。“業”そのものについては分かっていないことも多い。どうしてコールだけでなく、“業”も生まれるのか。それすら不明だ。一説によれば善神が魔神と戦うための戦力とするために、生み出したとあるし、またある説では善神でも魔神でもない第三の神が生み出したとも言われている」
「そう、ですか。すみません。話が逸れましたね。続けてください」
「あぁ。と言ってももうほとんど話し終えたような気もするがね。私が自らの“業”に気づいたのは8つの頃。剣術の訓練をしている時だったよ。突然目覚めて業を使って、父にしこたま怒られて、それ以上に心配されて…憐れまれた。“業”と業の説明と一緒に『その力はもう使うな』と言われたが、昔の私はやんちゃでね。忠告を無視してこっそり使っていた。その結果代償を支払うことになり、今に至る。私の支払う代償は過ぎれば致命的だが、分かりにくい。引き返せないところまで使う前に代償に気づけて良かったよ」
「…羨ましいです」
「あぁ、やはりそうか。リスィ君の闇は支払った代償にあるか」
「…えぇ」
それっきり会話は途絶えた。途中魔物に出くわすこともなく、二人は黙々と歩き続けて宿舎についた。
二人が到着してしばらく、他の小隊も帰還した。だが連絡の取れなかった8人が宿舎に帰ってくることはなかった。以降、森に警戒に出た小隊は度々帰ってこないようになる。
リスィを巡る第二の悲劇が起きたのは、二か月後のことだ。
”業”→ごう
業→わざ と読みます。
リカルドの業:影の操作。影は柔軟かつ硬質な物質として機能し、影がわずかにでもあれば操ることができる。また手で持てるくらいのものなら収納スペースとしても機能する。代償は後ほど。




