第9話 ダイス運
その日も、馨と優花は森へと足を運んでいた。
「鑑定のおかげで、薬草探しは楽になったけど……」
優花が周囲に生えた草を見渡しながら呟く。効率は確かに良くなった。だが、この森で採れる薬草の量には限りがある。同じ場所を回るたびに、収穫は少しずつ目減りしていた。
「そろそろ、別の場所も探した方がいいかもな」
馨がそう言った矢先、茂みの奥から、地響きのような足音が近づいてきた。
「――アイアンタスクボア」
優花が短く呟く。分厚い体毛に覆われた、猪に似た魔物だった。額の左右から突き出た牙は、鈍い鉄色をしている。名前の通り、その牙は生半可な武器では歯が立たないほど硬いという。
突進の勢いのまま、アイアンタスクボアが馨たちへと迫る。だが、馨は動じなかった。
【ゴッドフィスト】
拳に神の力を纏わせ、真っ向から迎え撃つ。轟音とともに、猪の巨体が一撃で吹き飛んだ。ぴくりとも動かなくなったそれを見て、馨は小さく息を吐いた。
「よし――」
勢いのまま、馨は空間魔法をつかおうとした。収納拡大を使えば、この巨体もまとめて持ち運べる。収納の魔法はバッグ程度の容量だが、収納拡大はコンテナサイズまで収納できる。
馨の選んだ属性は空間と火。空間魔法は空間を操る魔法であり、その代表が収納である。選んだ理由は便利そうだからというものだったが、見事にその通りになった。
だが、その手を、優花がぐっと掴んだ。
「駄目」
「え?」
「今、これを使ったら目立つわ」
優花は声を落として続けた。
「始まったばかりのこの時期に、レベル2の空間魔法が使えるなんて、普通じゃありえない。誰かに見られたら、なんでそんな力があるのか、絶対に詮索される」
馨は、はっとした。
「――ダークプリーストだって、バレるかもしれないってことか」
「そう」
優花は頷き、代わりに解体用のナイフを取り出した。
「地道にいきましょう。今は、目立たないことが一番大事」
二人で手分けして、その場でアイアンタスクボアを解体していく。牙と毛皮、そして良質な肉を丁寧に切り分け、素材として持ち帰れる分だけ袋に詰めていった。
そして、この日は薬草の採取はここで切り上げる。なにせ、持ち物が増えてしまい、運ぶのが大変だからである。
*
「肉が、これだけあれば……」
ギルドの解体場で査定を終えた職員が、感心したように数字を告げる。
「10,000リカにはなりますね。あと、薬草の分と合わせて――合計、12,500リカです」
思わぬ大金に、馨は目を丸くした。
その査定の様子を、少し離れた場所から、大翔たちが遠巻きに眺めていた。誰も声をかけてはこない。ただ、羨むような、あるいは苦々しいような視線だけが向けられていた。彼らはまだ、稼ぎに出てすらいなかった。
その日の残りの時間を使って、優花は馨をギルドの資料室へと連れて行った。モンスターの生態や、周辺の地理に関する資料が保管されている一角だった。
「知識は、身を守る武器になるから」
優花はそう言って、棚から何冊もの資料を引っ張り出してきた。
*
資料室から出てくる頃には、ギルドの広間には別のクラスメイトたちの姿があった。
「――だから、あんな雑魚寝の宿、もう嫌なの」
女子の一人が、大翔に食ってかかっていた。
「知るかよ、そんな金どこにあるんだよ」
大翔が突っぱねる。だが、日雇いの仕事で稼いできた女子たちは、男抜きの相部屋であれば、もう少しましな宿に泊まれるだけの余裕を持ち始めていた。
小林大輝たちの姿も見えた。彼らは、女子たちの方には決して近寄ろうとしなかった。戦士特化の大翔と、揉め事を起こしたくない。それだけの理由だった。
「あなたたちも、簡単に男の人に頼らないことね」
遥が、女子たちに向けてそう釘を刺している。
その様子を眺めていた陽菜が、ふと視線を巡らせた。誰かを探すように。
そこに、資料室から出てきた馨の姿があった。
「――馨」
陽菜が、まっすぐに歩み寄ってくる。
「やっぱり、一緒にやっていこう」
「え……」
馨は、返す言葉を持たなかった。困惑だけが顔に浮かぶ。
その間に、優花がすっと馨の前に立った。
「――佐藤くんたちと、パーティー組んだんでしょ?」
静かな、しかし刃のような声だった。
「あんな……最低な男なんて」
陽菜が絞り出すように言った、その時だった。
「――おい」
椅子から立ち上がった大翔が、大股でこちらへと近づいてくる。そのまま、陽菜の腕を強く掴んだ。
「離して」
陽菜が、痛みに顔をしかめる。
「あら、痴話喧嘩?」
優花が、からかうように口を挟んだ。
「うるせえ、オタク女」
大翔が、凄むように優花を睨みつける。だが優花は意に介した様子もなく、馨の手を引いて背を向けた。
「行きましょ、馨くん」
その態度が、大翔の逆鱗に触れたらしい。
「――調子乗ってんじゃねえぞ!」
振りかぶった拳が、優花目掛けて放たれた。
だが、その拳は、優花の片手にあっさりと受け止められていた。
大翔の体が、その場で凍りついたように動かなくなる。
「……は?」
大翔は周囲の目を気にした。オタク女と馬鹿にしている優花に、あっさりと拳を受け止められ、羞恥心が天井を叩いたのだ。
「俺は身体強化も使っているんだぞ!」
「ダイス運が良かったのよ、きっと。それに、身体強化って、私を殺すつもりで殴ってきたっていうことよね?訴えてもいいのよ」
優花は、勝ち誇ったように微笑んだ。
「くっ」
大翔は慌てて距離を取ろうとする。
優花も拳をはなしてやると、大翔は2メートルほど後ろに下がった。
「初期ステータス、結構いい目が出たみたい。あなたより、少し強かっただけ」
もっともらしい理由だった。少なくとも、この場にいる誰もが納得できる。
――誰も、とはいかなかった。
遥だけが、わずかに眉をひそめていた。腕力の差にしては、あまりにも一方的だった。何かが引っかかる。だが、その違和感を、遥はこの場では口にしなかった。
「あなたには」
優花は、陽菜の方へと向き直った。
「守ってくれるナイトは、もういないみたいね」
冷たい声だった。優花は再び、馨の手を引こうとする。
だが、馨は動かなかった。
「――いるさ、ここに」
馨は、力強くそう言うと、空いていたもう片方の手で、陽菜の手を掴んだ。
しかし、陽菜の手を握った瞬間、酸っぱいものが胃から駆け上がってこようとした。
必死にそれを抑え込み、陽菜の手を強く握る。
「行こう」
優花の中に、複雑な思いが渦を巻いた。だが、馨がそう言うのなら――優花は小さく息を吐き、それ以上は何も言わなかった。
こうして、陽菜が同行することを、優花は渋々ながらも受け入れた。
その後、東の森でスライムと戦い、勝てずに仲間を見捨てて逃げて来たこと。
最初の所持金で買った武器が無くなり、生活が苦しくなって、パーティーが不和になったことを陽菜から聞いた二人。
「そんなことが……」
「情報を調べもせず、無鉄砲に動いた結果ね。他山の石としましょう」
自然とその表情も険しくなった。
しばらく思い空気が流れたが、優花が宿に向かいましょうと話題を切り替えた。




