第8話 夜の宿にて
「――最初の冒険で、死んだわね」
阿部遥が、静かにそう切り出した。宿の一室、狭い卓を囲んで座る真央と千尋が、それぞれ小さく頷く。
「東の森のスライム、確か『初心者には難しい』ってギルドの人が言ってたわよね」
真央が、腕を組みながら記憶をたどるように言った。
「ええ。でも、十八人がかりで倒せなかったなら、相当な相手だったはず」
「レベル、っていう概念。あれ、私たちだけのものだって、確認できたわね」
千尋が、静かに言葉を継いだ。
冒険者ギルドの職員に、それとなく尋ねてみたのだ。「レベル」という言葉を出しても、職員は不思議そうに首を傾げるだけだった。この世界の人間には、そんな指標は存在しない。あるのはただ、経験と実力、そしてそれに見合った評判だけだ。
「――だとすると」
遥が続けた。
「私たちだけが持っている、目に見えない指標。それを無視して突っ込んだ結果が、あれ」
「武器、誰も持ってなかったわね。あの人たち」
千尋がぽつりと呟く。
「何でも溶かす、って噂には聞いてたけど。本当だったみたい」
「スライムって、ゲームや漫画だと弱いモンスターとして登場するけど、なんでも溶かすようなモンスターが弱いわけ無いわよね。ゲームの知識に頼るのは危険ってことね。それで、あの人たちは、次は武器代まで貸してって言い出すんじゃないかしら」
千尋は、あからさまに顔をしかめた。
「宿代だけでも図々しいのに。今度は装備一式、なんて言われたら堪らないわ」
「小林くんたち、うまく躱せるといいけど……」
真央が、少し心配そうに眉を寄せる。小林大輝たちのグループは、大翔に強く出られると、なかなか突っぱねられない気質だった。今日も、遥が代わりに言い返さなければ、押し切られていたかもしれない。
「今は、無理よ。みたところ、冒険者といっても日雇い派遣みたいなのもあったから、それで稼いでもらえばいいんじゃない」
遥の声には、迷いがなかった。
「私たちだって、余裕があるわけじゃない。それに――」
言葉を切って、遥は窓の外に視線をやった。
「他人を助ける余裕なんて、今の私たちにはない」
その口調には、単なる資金の問題以上の、冷ややかな響きがあった。
実のところ、遥は、大翔のパーティーに残った女子たちのことを、心の底から嫌悪していた。
(体を差し出して、守ってもらう――)
その考え方そのものが、我慢ならなかった。誰かに庇護されることを前提に、自分の意思を差し出す。そんな生き方を、遥は絶対にしたくなかったし、それを選んだ者たちに同情する気にもなれなかった。
もちろん、それを口に出すことはない。今はまだ。
真央と千尋も、それ以上は追及しなかった。三人はしばらく黙り込んだまま、それぞれの考えに沈んでいた。
その夜、宿の一室で交わされた会話の中に、藤田馨と木村優花の名前が上ることは、一度もなかった。
*
翌日。
「――というわけでさ、小林たちも、俺らのパーティーに入れてやるよ」
冒険者ギルドの一角で、大翔がそんなことを言っているのが聞こえた。
「人数減ったし、ちょうどいいだろ。お前らも、これで安心して稼げるじゃん」
恩着せがましい口調だった。小林大輝たちは、曖昧な表情でお互いの顔を見合わせている。
そこへ、仕事を探しに来た馨と優花、それに遥たちの三人が居合わせた。両者の視線がぶつかる。
「――ちょうどよかった」
遥が、大翔たちのグループへ、まっすぐに歩み寄った。その目つきは、剣呑と言っていいほど鋭かった。
「いなくなった人たちは、どうしたの」
昨日と同じ問いだった。だが、今日はもう、引き下がるつもりはないようだった。
大翔は苦い顔で目を逸らす。代わりに答えたのは、傍らにいた田中颯太だった。
「……たぶん、死んでる」
「たぶん?」
遥の眉が、わずかに動いた。
「たぶん、ってどういうこと。ちゃんと確認したの」
「――確認なんて、できるわけないだろ」
颯太が、消え入りそうな声で続ける。
「スライムが、思ってたより全然強かった。武器も、鎧も、次々溶けてった。仲間が飲み込まれてくのを、見てるしか……」
声が、そこで途切れた。
遥は、しばらく黙って颯太を見つめていた。その表情には、怒りというより、深い呆れが滲んでいた。
「――スライムのこと、少しは調べた?」
「調べたって、何を……」
「ギルドに、モンスター図鑑があるのよ。受付で借りられる」
遥は淡々と続けた。
「スライムの項目には、ちゃんと書いてあるわ。推奨パーティーランク4、って」
「パーティー、ランク……?」
「冒険者としての貢献度や、こなした依頼の実績で決まる、ギルド独自の指標。個人の実力じゃなくて、パーティー全体の評価に近いから、正直、そこまで正確なものじゃない」
遥はそこで、一度言葉を切った。
「――でも、それしか、この世界には強さを測る物差しがないの。少なくとも、確認すらせずに突っ込むよりは、よっぽどまし」
反論できる者は、誰もいなかった。
「日雇いの仕事もあるから。地道に稼いで、少しずつランクを上げていくしかないでしょうね」
それだけ言うと、遥は用は済んだとばかりに背を向けた。
その一連のやり取りを、少し離れた場所で、陽菜がじっと見つめていた。視線は、遥たちの傍らに立つ馨に注がれている。
その視線に、真っ先に気づいたのは優花だった。
「――馨くん、行きましょう」
優花は、気まずそうに固まっていた馨の手を、有無を言わさず引いた。二人は、昨日と同じ場所へと、そのまま歩き去っていった。
*
「――くそ、あてが外れたな」
遥たちが立ち去ったあと、大翔は舌打ちしながら、女子たちの方を振り返った。
「金がないなら、しょうがねえだろ。お前らも、体張って稼いでこいよ。娼館とか、需要あるらしいし」
あまりにも軽い口調だった。
その一言に、山口さくらと清水七海の表情が、一瞬で凍りついた。
「……もう、無理」
さくらが、震える声でそう呟くと、涙を溢れさせた。七海も、同じように顔を歪める。
二人は、大翔に何も言わないまま、ふらふらとした足取りで遥たちの方へと向かった。
「――お願い、します」
深々と頭を下げる二人に、遥は小さくため息をついた。
「まったく……」
呆れたような声音だったが、それでも遥は二人のステータス画面を確認するように目を通し、
「あなたは裁縫が使えるのね。仕立て屋の下働きなら、すぐ雇ってもらえるはず」
「七海は、計算が得意だったわよね。商店の帳簿付けとか、探してみたら」
的確な助言だった。二人は涙を拭いながら、何度も頷いた。
その様子を見て、大翔の顔が苛立ちに染まる。
「――陽菜。気晴らしに、ちょっと二人でどっか行こうぜ」
強引に、陽菜の手を掴もうとする。
だが、陽菜はその手をすり抜けるように身を引くと、そのまま遥たちの方へと歩いていった。振り返りもしなかった。
「……陽菜?」
大翔の声に、応える者はいなかった。
残された男たちだけが、行き場のない気まずさの中で、ただおろおろと視線をさまよわせていた。




