第6話 東の森
「スライムだろ? 楽勝じゃん」
冒険者ギルドの掲示板を眺めながら、佐藤大翔はそう言って笑った。
「討伐依頼、報酬もそこそこ出るし。スライムなんて、ゲームじゃ一番弱い雑魚だろ。行くだけ行くか」
依頼書には、討伐対象と報酬額、そして「東の森」という大まかな場所が記されているだけだった。生息数や、目撃情報の詳細を尋ねる者は誰もいなかった。
ギルドの受付嬢が何か言いかけたが、大翔たちはろくに聞かず、装備を整えるため、さっさと武具屋へと向かった。
武具屋で買い揃えたのは、それぞれ手頃な剣や槍、革の胸当てといった、最低限のものだった。初期の所持金ではこの辺が限度。しかし、誰もが、この程度で十分だと思っていた。
東の森に足を踏み入れてから、さほど時間もかからずに、それは見つかった。
半透明の、ぷるぷると震える塊。地面の上を、のろのろと這うように動いている。
「――いた。あれだよな?」
「鑑定、使ってみろよ」
大翔に促され、パーティーの中で唯一鑑定スキルを持つ男子――田中颯太が、恐る恐るその塊に向けて意識を集中させた。
だが、しばらくして、颯太は困惑した顔を上げた。
「……分からない。何も出てこない」
「はぁ? お前、それでも鑑定持ちかよ」
大翔の声が、一段と刺々しくなった。
「せっかくポイントを使ってスキル取ったのに、こんな時に使えないとか意味ねえだろ。ちゃんと使えよ」
「い、いや、俺は……」
「もういい。使えねえな、お前」
吐き捨てるような一言に、颯太は俯いた。誰も庇わなかった。かつての教室と同じ光景だった。大翔の機嫌を損ねれば、次に槍玉に挙げられるのは自分かもしれない。誰もがそう思っていた。
「まあ、いい。あれ、どう見てもスライムだろ。ゲームで散々見た見た目してるし」
大翔はそう結論づけた。鑑定が使い物にならなくても、前の世界で培った"知識"だけは、なぜか自信たっぷりに残っていた。
「よし、囲め。雑魚一匹に手こずるほど、俺らも落ちぶれちゃいねえだろ」
男たちが剣や槍を構え、じりじりと塊を囲んでいく。
「――行くぞ!」
大翔の号令とともに、数本の刃がスライムへと突き立てられた。
だが、次の瞬間、誰もが凍りついた。
刃がスライムの体表に触れた途端、じゅう、という嫌な音とともに、金属が溶け始めたのだ。剣先から、あっという間に柄まで。
「な、なんだよこれ……!」
武器を失った生徒が、呆然とその場に立ち尽くす。
「魔法だ! 魔法で攻撃しろ!」
誰かの叫びに、後方に控えていた魔法使いの二人が、慌てて詠唱する。マジックアローと、ウィンドカッターらしき光が、スライムへと放たれた。
魔法使いは強い。そのため、キャラクターポイントを3000消費するのに加え、属性も2個までしか取得できない。
属性は無、火、水、土、風、光、闇、空間の8個。ただし、それは初期値であり、師匠や魔導書により、新たな属性を取得できる。
そんな強いはずの魔法使いであるが、魔法はスライムの表面に触れると、まるで水面に石を投げ込んだかのように、何の痕跡も残さず吸収されて消えた。
「効いて、ない……?」
あり得ない、という顔で魔法使いの一人が呟いた。ゲームなら、雑魚敵に効かない攻撃などあり得ない。だが、これは現実だった。
「くそ、どうなってんだよ!」
大翔の声に、焦りが混じり始める。
その時だった。
「上!」
誰かが叫んだ。だが、遅かった。
頭上の木の枝に潜んでいた、もう一体のスライムが、音もなく落下してきた。狙われたのは、武器を失い立ち尽くしていた生徒、伊藤悠斗だった。
「うわあああっ!」
悲鳴とともに、その体が半透明の塊に包まれていく。もがく音、くぐもった叫び。
「ヒール! 誰か、ヒールを!」
陽菜が悲鳴のような声で、神官スキルを持つ女子たちに呼びかけた。松本陽菜自身も、震える手で回復魔法を紡ぐ。淡い光が、包まれた悠斗の体にかかる。
一瞬、呻き声が和らいだように見えた。
だが、次の瞬間には、また同じ苦悶の声が戻ってきた。スライムは、癒えるそばから、じわじわと体を溶かし続けていたのだ。回復は、対症療法にしかならなかった。
「そんな……」
陽菜の顔から、血の気が引いていく。
周囲では、次々とスライムが木々の上から降り注いでいた。囲んでいたはずのパーティーが、逆に囲まれ始めている。
「いやあああっ!」
女子の一人が、恐怖に耐えかねて座り込み、泣き出した。もう指示を出せる者はいなかった。誰もが目の前の恐怖に、自分の身を守ることしか考えられなくなっていた。
「くそっ、くそっ……!」
大翔の目に、初めて明確な怯えが浮かんだ。リーダーとして声を張り上げるべき瞬間に、彼の口から出たのは、まるで逆の言葉だった。
「――逃げるぞ!」
その一声で、辛うじて保たれていた陣形が、音を立てて崩れた。
「助けてっ! 誰か、助けてえ!」
スライムに取り込まれかけた誰かの叫びが、木々の間にこだまする。
だが、大翔は振り返らなかった。すでに背を向け、森の外へと駆け出していた。
「ごめん……! ごめんっ!」
生き残った者たちは、スライムに取り込まれながらもまだ生きている生徒たちに謝罪の言葉を吐き捨てながら、それでも足は止まらない。助けに戻ろうという素振りすら見せなかった。
大翔の背中を追うように、逃げられる者たちが、我先にと森の外を目指して走り出す。
置き去りにされた仲間の声が、次第に遠くなっていった。




