第5話 俺たちに明日はない
気づけば、木漏れ日の角度が随分と傾いていた。
優花は馨の隣で、膝を抱えるようにして座り込んでいた。乱れた呼吸は、いつの間にか落ち着きを取り戻している。だが、その横顔はどこか気まずそうに伏せられたままだった。
搾精欲求を解消するため、優花は馨と仲良しになったのである。告白直後に間髪を入れずにこうした関係になったことで、恥ずかしくなって馨の顔をまともに見れなくなったのである。
(言えない……)
優花は胸の内で、そっと息を吐いた。放課後の誰もいない教室で、馨の机に頬を寄せたこと。椅子のにおいをかいだこと。彼の忘れ物の笛を、こっそり口に含んだこと。誰にも知られていないはずのそれらの記憶が、今更のように頭をよぎる。
(こんなこと、絶対に言えない)
優花はそれを振り払うように、小さく首を振った。今はまだ、言わなくていい。少なくとも、今日ではない。
「……ねえ、馨くん」
優花は居住まいを正すと、努めて明るい声を出した。
つい先ほどまでの仲の良い行為がなかったかのように、いままでと変わらぬ口調。
ただし、顔は上気して赤くなったまま。
「は、はい……」
馨も馨で初めての経験で、今後の接し方がわからず、名前を呼ばれて返事をしたら、声が上ずってしまった。
恥ずかしくなって、優花の顔をまともに見る事が出来ない。
優花はそんな馨を可愛いと思いつつも、もっと自分を見てよという不満もあり、馨の頤に手を当てると、グイっと自分の方を向かせた。
「私たち、街から離れた方がいいと思う」
「え?」
「クラスメイトに、私がラミアだって知られる前に。馨くんがダークプリーストだってバレる前に。今のうちに、別の街に行った方が安全だと思うの。私達だけ、いきなり強いキャラだってわかったら、ラミアやダークプリーストだって簡単に想像できるでしょ」
もっともな提案だった。フェルンハイム――転移してきた街――には、まだ多くのクラスメイトが残っている。誰かに正体を知られれば、二人とも今のようにはいられなくなる。
みんなでまとまっていた方が安全というのは、この二人には当てはまらない。
それに、まとまるほど仲の良いクラスでもなかった。学校のクラスなど、所詮は同じ年に生まれたというだけのもの。例えるなら、電車に偶然乗り合わせただけの者たちが、全員仲良くできるのかと言われても、そうではないのと同じである。
学校行事で連帯感を持つようなこともあるが、それとて、サッカーの日本代表を応援しているようなもので、それが終われば連帯感などなくなるのだ。
事実、異世界転移などという特殊な環境ですら、派閥が出来て別々の行動をしている。
管理者が心配したような、クラスが一致団結して、この世界のバランスを壊すようなことなど起こり得なかったのだ。
「そうだな……」
馨は頷きながら、ふと口元を緩めた。
「なんか、ボニーアンドクライドみたいだね、俺たち」
「――え? 知ってるの、それ」
優花が驚いたように顔を上げた。まさか、と言いたげな表情だった。
「うちのじいちゃん、映画好きでさ。『俺たちに明日はない』が特に好きで、子供の頃に何度も一緒に見せられたんだ。意味なんてろくに分かってなかったけど」
「そうなんだ……」
優花は少し意外そうに呟いた。
「私は、TMNの『セルフコントロール』の歌詞に出てくるから知ってたの。親が聴いてたCDで」
「TMN……小室哲哉の?」
「うん。オタクの血が騒いだだけ。それがなんだかわからないか、調べてみたら脚本家のロバート・ベントンって『クレイマー・クレイマー』の監督でしょ。お金に困っていたこの映画に出資したんだって」
優花はふふ、と小さく笑った。
知っている事は喋りたいオタクの性。馨はうんうんと頷きながら聞いていた。
そして、同じ言葉を知っていても、辿ってきた道は違う。優花は自分の趣味の延長で、馨は祖父との思い出として。それでも、こんな場所で、こんな形で通じ合うことがあるのだと思うと、馨は少しだけおかしくなった。
「じゃあ、決まりだな。俺たちに明日はない、な逃避行といくか」
「うん」
優花は頷き、槍を手に取って立ち上がった。西の空が、うっすらと橙色に染まり始めていた。
*
同じ頃、東の森では、地獄のような光景が広がっていた。
「弱いはずだろ、スライムなんて!」
佐藤大翔の怒声が、木々の間に虚しく響いた。
ギルドの掲示板に貼られていた依頼書には、「スライム討伐、報酬あり」とだけ書かれていた。誰もが、それを軽い依頼だと思っていた。スライムなど、ゲームでは最弱の敵の代名詞だ。舐めていたと言われれば、その通りだった。
だが――




