第37話 窮地
「囲まれた」
馨が歯を食いしばりながら呟いた。
前方には、傷を負いながらもなお獰猛なダイアベア。そして今、後方から迫るもう一体と、軋むような音を立てて根を蠢かせるエルダートレントは、満身創痍でありながら、その分だけ、追い詰められた獣特有の凶暴さを漲らせていた。
「三体まとめては、無理よ。一体ずつ確実に仕留めていきましょう」
優花が素早く判断を下す。
相手はパーティーを組んでいるわけではない。それに対し、こちらはパーティーを組んでいる。
優花が考えたのは、二対一の状況を作り出し、一体を確実に仕留めながら、戦うというものであった。
物理攻撃ではダメージが通りにくいレベル差であっても、魔法の攻撃であれば、確実に削っていける。全員が攻撃魔法を使えるパーティーだからこその戦略。
「私が後ろの二体を抑える。馨と陽菜はそのまま前を!」
「駄目だ!それじゃあ優花が!」
片方は瀕死、優花はブレスで底上げされている。しかし、それでやっとダイアベア一体と互角。
いくら手負いとはいえ、ダイアベアとエルダートレントを相手にするのは無理があった。当然馨はそんな決定を認められない。
だが、馨の言うことをきかない優花。
「陽菜じゃ実力不足。私か馨のどっちかが、二体を相手しなきゃならない。それなら、私が適任でしょ。レベルが高いんだし。それに――」
馨が傷つくのは見たくなかった。ましてや、死ぬ場面など。だから、優花はこの役目を譲るつもりはなかった。
言葉がそこで途切れる。
優花が、後方から迫るダイアベアとエルダートレントへと踏み込んだ。傷ついているとはいえ、決して弱ってはいない。それどころか、痛みに任せた捨て身の攻撃が、優花の判断を狂わせ始めていた。
【身体強化】
優花が精神力を消費して、肉体をパンプアップさせる。そうして、ダイアベアへ渾身の一撃を叩き込もうと踏み込んだ、その瞬間だった。
運命のいたずらのファンブル。それが、まさかのこの場面で起こった。足元の石に、わずかに体勢を崩す。狙い澄ましていたはずの一撃が、大きく的を外れた。
「――しまっ――」
隙をついて、ダイアベアの爪が、優花の体を捉えた。同時に、エルダートレントの太い根が、鞭のようにしなって追い打ちをかける。
「――ぐああっ」
鮮血が舞い、優花の体が、勢いよく地面に叩きつけられる。
「優花!!」
馨が悲鳴のような声を上げた。だが、目の前の敵から、長く目を離すことはできない。
優花は、力なく地に伏したまま、動かなくなっていた。
死んでしまったのかと焦る馨。すぐさま鑑定をすると、気絶と表示された。一瞬ホッとするが、状況はなにも改善していない。すぐに気を引き締めた。
「馨!優花が!」
陽菜は優花が死んだと思って涙目だった。
「大丈夫、気絶しているだけだ」
そうは言ったものの、この事態を打開する方法が思いつかない。
(――くそ、くそっ……)
馨の頭の中で、様々な考えが渦を巻いた。陽菜は今、一人でこの場の敵を倒せるレベルにない。助けを呼びに行ってもらっても、それまでに自分も優花も死ぬ。そもそも、陽菜が包囲網を突破できるかもわからない。優花は戦闘不能。目の前には、二体の傷ついたダイアベアと、なおも根を蠢かせるエルダートレントが、なおも唸り声を上げている。
三体はお互いに攻撃しあっており、今のところ優花への追撃はない。動かない者よりも、目の前の脅威と戦うという本能が、優花の命を繋いでいた。
しかし、このままでは、いずれ優花も、そして自分たちも殺されてしまう。
(――やるしか、ない)
馨は、震える手を、空間魔法の一覧へと伸ばした。
たった一つの、事態を打開できるかもしれない方法だった。
それは賭けだった。だが、もう他に、選択肢は残されていなかった。
【サモンデーモン】
それは、レベル2の空間属性魔法だった。
この魔法は魔界とゲートを繋ぎ、デーモンを召喚し使役する魔法である。
デーモンには下級(目安Lv4)・中級(目安Lv5)・上級(目安Lv6)・爵位持ち(男爵7〜公爵11)・魔神(Lv12)という格がある。召喚時には使役判定があり、これには魔法使いレベルではなく術者の冒険者レベルを使用する。
失敗すると呼び出したデーモンが自由に行動してしまう。
だが、自分たちより強いモンスターが三体もいる、絶体絶命の状況で、そこに一体加わったとて、状況が悪化するようなことはない。
つまり、確実な死があるので、それ以上悪いことにはならないのだ。
さらに、この魔法の成功確率を上昇させるため、馨は限界まで重ね掛けをする。精神力を多く消費することで、成功判定の値を下げることが出来るのだ。どうせ逃げられないなら、魔法はここで打ち止めでよかった。
馨の絶叫にも似た詠唱とともに、目の前の空間に、黒く渦巻く裂け目が生まれ始めた。




