第38話 伯爵の一撃
黒く渦巻く裂け目から、巨大な影が姿を現した。
漆黒の鎧を纏った、角の生えた偉丈夫。全身から漏れ出す魔力の圧に、周囲の空気すら軋むようだった。
「――我を呼びし者は、貴様か」
低く、重々しい声だった。
「小僧。魔界の伯爵たる我、バルザック様に対しこの呼び出し、随分と無茶な賭けだったようだな」
バルザックと名乗ったその伯爵級デーモンは、値踏みするように馨を見下ろした。
(成功、した)
馨の胸に、安堵と緊張が同時にこみ上げた。バルザックのレベルは9である。プリーストレベルが6に届いていたことが、僅かながら使役判定の成功率を押し上げていたのだろう。一か八かの賭けは、辛うじて実を結んだ。
「頼む……!目の前の連中を、片付けてくれ!」
「――ふん。命令とは、生意気な。しかし、盟約。従おう」
バルザックは鼻を鳴らしたが、それでも身を翻し、二体のダイアベアと、なおも根を蠢かせるエルダートレントへと向き直った。
「――三体まとめてとは、悪くない獲物だ」
バルザックの手に剣が出現する。バルザックは握る感覚を確かめると、それを一閃した。
傷ついていたダイアベアの一体が、まともに受け止めきれず、大きく体勢を崩す。エルダートレントが、太い根を鞭のように振るって応戦するが、バルザックはそれを難なく斬り払った。
「――ぐるるっ!」
もう一体が、加勢するように爪を振るう。数の利は、敵の側にあった。
だが、レベルの差は、数の不利を補って余りあるものだった。バルザックの一撃一撃が、確実にダイアベアたちとエルダートレントを追い詰めていく。
それでも、満身創痍だったとはいえ、レベル7の魔物三体を相手取ることは、伯爵級のデーモンにとっても容易ではなかった。
激しい攻防の末、ついに二体のダイアベアが地に伏し、エルダートレントも太い幹をきしませながら、大地に崩れ落ちた。
「――ふう」
バルザックも、無傷ではなかった。鎧のあちこちが傷つき、息も荒い。
「小僧。此度は、貸しにしておいてやる」
「これからもっと借りる。一度使役に成功したんだから、次からは呼び出すだけ……」
憔悴しきった馨は、笑顔をつくるのがやっとだった。地面に大の字に寝転がって、顔だけをバルザックに向ける。
「――死んでくれることを願っている。そうすれば、我は自由だ」
バルザックは、そう言い残すと、満身創痍のまま、渦巻く裂け目の向こうへと帰っていった。
*
【ヒール】
陽菜は倒れたままの優花に駆け寄り、急いで回復魔法をかけた。淡い光が、彼女の傷を癒していく。
「――う……」
優花の瞼が、ゆっくりと開いた。
「優花っ!」
その声に振り向くと、陽菜が涙を浮かべながら、優花に抱きついていた。
「よかった……!本当に、よかった……」
「――陽菜?」
優花が、状況を掴みきれないまま、戸惑ったように陽菜を見つめる。
「ダイアベアとエルダートレントは?」
「馨がデーモンを召喚して、そのデーモンがが倒してくれた」
直ぐにそれがサモンデーモンだとわかる。
「随分と無茶をしたものね」
「でも、やらなきゃみんな死んでた」
「私を見捨てて、二人で逃げれば良かったのに。私が死ねば、馨を独り占めできたでしょ」
優花はそんな軽口を叩きながらも、陽菜の背に、そっと手を回した。
「……ありがとう、心配してくれて」
「――当たり前でしょ!」
陽菜が、涙声で言い返した。
「あのスライムの時、目の前で仲間が死ぬのを、私、何もできずに見てただけだった……。あんな思い、もう二度としたくない」
その言葉には、これまでにない、真っ直ぐな響きがあった。
「優花に、目の前で死んでほしくない。それだけは、本当の気持ちだから」
優花は、しばらく黙って陽菜を見つめていたが、やがて、小さく微笑んだ。
「――分かった。信じるわ」
二人の間にあった、消えないはずのわだかまりが、ほんの少しだけ、溶け始めていた。
馨はその様子を、少し離れた場所から、静かに見守っていた。
しかし、優花が手招きすると、よたよたと歩み寄ってきた。
「酷い有様ね」
「お互いにな」
「私が、あそこで足を取られなければ、こうなってはいなかったのに。ごめんなさい……」
「誰が悪いってことはないさ。今回の戦闘自体、自分たちの実力を越えた相手との戦いだったんだから。今回の教訓として、サーチは常時使用しておかないとかな」
「精神力がもたないわよ」
「だよなあ……」
そういうと、馨は地面に仰向けになって寝転がる。
「疲れたなあ……」
「二人とも、休んでいて。私が素材の回収しておくから」
陽菜はそういうと、倒したモンスターたちの解体を始めた。
馨と優花は、陽菜の言葉に甘え、しばらく寄り添って、その場で寝っ転がっていた。




