第2話 冒険者ギルド
「言葉の壁については、ご心配なく。皆さんがこの世界の言葉を不自由なく理解できるよう、既に調整済みです。それと、当座の生活のために、いくらか所持金もお渡ししています。これも、皆さん全員へのささやかな贈り物として。ああ、それと、あちらの世界で我々管理者のことを口にしないように。今回、存在を明らかにしたのは、こちらのミスによる謝罪です。しかし、我々の存在を他人に口外するのは禁止させていただきます」
管理者の声が、そこまで告げたところで、馨の意識はふっと闇に沈んだ。
次に目を開けたとき、馨は見知らぬ通りに立っていた。
石畳の道、木組みの壁に漆喰を塗った家々、軒先に吊るされた見慣れない野菜や、鉄細工の看板。絵本か、あるいは昔読んだファンタジー小説の挿絵から、そのまま切り取ってきたような街並みだった。
周囲を歩く人々は、誰一人としてこちらを気にする様子がない。異国から来たばかりの若者が、ぽつんと道の端に立っていても、誰も驚かないし、振り返りもしない。
(俺の格好、向こうの制服のままだったよな……)
馨は自分の服装を見下ろした。見えたのは見慣れた制服ではなく、街の人々と同じような格好。これもきっと、管理者とやらの力が働いているのだろう。そう納得するしかなかった。
しばらく、あてもなく通りを歩いた。すれ違う人々の顔を、一人一人確かめるように見る。誰か、知った顔はいないか。陽菜は。クラスメイトの誰かでもいい。
だが、見つからない。
(そうだ――冒険者ギルド)
あの半透明の板に表示されていた説明を思い出す。この世界で生きていくなら、まず向かうべき場所。それに、もし他のクラスメイトが先にこの街にいるなら、真っ先に立ち寄りそうな場所でもある。
道行く商人らしき男に場所を尋ねると、存外あっさりと教えてくれた。指し示された方向へ歩くこと数分、大きな両開きの扉と、剣と盾を象った看板が見えてくる。
扉を押し開けた瞬間、馨は思わず足を止めた。
中は、見知った顔で溢れていた。いや、見たことのある雰囲気である。現地の人に似せた顔立ちながらも、今まで教室で見たことのある顔である。
クラスメイトたちだ。何人もが固まって、受付らしきカウンターの前や、酒場を兼ねたような広間のあちこちに散らばっている。転移してから、まだそう時間は経っていないはずだ。誰もが同じように戸惑いながらも、既に寄り集まり始めているらしい。
種族は人間ばかり。エルフもいたので、思い出したように自分の耳を触ると、かつてのものとは違い、長い耳がついていた。
その中に、見慣れた栗色の髪を見つけた。
「陽菜っ」
声を上げかけて、馨は喉の奥でそれを飲み込んだ。
陽菜の隣に佐藤大翔がいた。サッカー部主将。スクールカーストの頂点。馨が苦手な人種だった。
肩が触れ合うほどの距離で、陽菜は大翔に何か話しかけている。その表情は、馨がこれまで見たことのないくらい、柔らかく綻んでいた。
大翔がこちらに気づき、片手を軽く上げた。
「おう、藤田。お前も無事だったか」
悪びれもせず、あっけらかんとした調子だった。
「俺ら、もうパーティー組んだんだ。男八人、女十人。なかなかいい面子だろ?」
馨は答えられなかった。視線は、大翔の隣にいる陽菜に釘付けだった。
心臓の鼓動は早くなり、気を抜けば口から飛び出してきそうな程。血圧も一気に上昇し、思考が上手くまとまらない。
「――陽菜」
やっと、名前が口から出た。陽菜がこちらを見る。一瞬、その目に戸惑いが浮かんだ気がした。
「あ、馨……」
「一緒に、来ないか。俺と――」
言い終わる前に、陽菜は目を伏せた。
「ごめん。私、大翔くんたちと行くから」
その声には迷いがなかった。
(どうして、そんな顔を)
馨の中で、何かが軋んだ。陽菜が大翔を見るときの、あの綻んだ表情。今までずっと、隣にいながら向けられたことのない顔。
その理由を、大翔が笑いながら教えてくれた。
「あー、言ってなかったっけ。俺と陽菜、転移する前からずっと付き合ってたんだよ」
悪びれるどころか、むしろ得意げに、大翔はそう言った。にやり、と口の端を吊り上げる。
「お前は気づいてなかったみたいだけどな」
大翔の腕が、陽菜の肩から、胸の辺りに無造作に回された。見せつけるような仕草だった。陽菜は小さく身を縮めたが、振り払いはしなかった。
その瞬間、馨の中で、ばらばらだった記憶の断片が、音を立てて繋がった。
陽菜がいつも忙しそうにしていた放課後。連絡が急に途絶えた夜。何気ない仕草の端々に滲んでいた、誰かを想う気配。
――全部、これだったのか。
自分だけが、何も知らなかった。
視界の端が、ぐにゃりと歪む。立っているのがやっとだった。
「馨くん」
不意に、聞き覚えのある声が横から響いた。
振り向くと、木村優花が立っていた。クラスでは浮いた存在。大翔などはオタク女と馬鹿にしていた。眼鏡をかけていたが、ここではそれがないながらも前世の面影を残し、それでいてどこか印象の違う、整った顔立ち。彼女は迷う素振りも見せず、馨の腕をぐいと掴んだ。
「私と一緒に行きましょう」
有無を言わせない強さだった。馨が返事をする前に、優花は彼をカウンターの方へと引っ張っていく。
「あ……ちょっと」
抗う気力も湧かなかった。言われるがまま、カウンターの職員に名前を告げ、流されるように冒険者登録の手続きを終える。頭のどこかは、まだ陽菜と大翔の姿を追いかけていた。
気づけば、優花に手を引かれるまま、馨は冒険者ギルドの扉をあけていた。




