第17話 上納金
フェルンハイムの裏通りに佇む娼館「夜蝶亭」。表向きは、ただの歓楽施設だった。だが、その帳簿の裏側には、盗賊ギルドへと繋がる細い糸が幾本も張り巡らされている。
そんな夜蝶亭の支配人室の扉を、ノックもなしに開けたのは、旅装のままのヴェルミラだった。
「――もう変身、解いてもいいわよね」
部外者の目もない室内で、彼女は変身魔法を解いた。紫紺の髪と、鋭く尖った耳が露わになる。
机の向こうに座っていた中年の男――ガロンが、面倒くさそうに顔を上げた。
当然、この男も盗賊ギルドの一員である。
「村を一つ手に入れてから来ると聞いていた割には、随分と早いな。首尾は?」
「駄目だったわ」
ヴェルミラは、椅子に浅く腰掛けながら、あっさりと答えた。
「近くの村を一つ、チャームで抑える計画、途中までは順調だったんだけど。手練れの冒険者が現れて、こっちのゴブリンをあっさり片付けちゃったの。ホブゴブリンを素手で倒したっていう話。潮時だと思って、引いてきた」
「――なんだ、それは」
ガロンの眉間に、深い皺が寄る。
「お前、『紅い蜘蛛』なんて呼ばれてるんだろう。血祭りにでもすれば良かったじゃねえか」
「それも考えたけど……」
ヴェルミラは、悪戯っぽく肩をすくめた。
「拳の一撃でホブゴブリンを沈めるような相手なのよ。もし顔も見てないのに、私好みの良い男だったら――もったいないじゃない」
冗談めかした口調だった。この時の彼女は、まだ知らなかった。もし本当にその場で刃を交えていたら、自分の方が沈められていたかもしれないということを。
「――くだらねえ理由だな」
ガロンは呆れたように鼻を鳴らした。
「男娼を紹介してやってもいいぞ」
「そこにラシェイナの導きはあるのかしら?」
そう言って断るヴェルミラ。
ラシェイナとはガルドヴェイン側のマイナーゴッド――つまりは邪神である。不倫を肯定する愛の神であり、教義は結婚制度を「弱者を縛る檻」とみなし、優れた血を残すことこそ愛の本質と説く。パートナーを固定しないことが「誠実さ」とされる
ヴェルミラはラシェイナ信者のダークプリーストであった。
ちなみに、ラシェイナの固有の魔法は発情と精力増強。それ故に、権力者によってこっそりと庇護されていたりすることもある。
「まあいい。それより、お前が来た本題を聞こうか」
ヴェルミラの表情が、すっと冷たいものに変わった。
「ええ、そっちが本題。――フェルンハイムからの上納金、最近ずいぶん渋いそうね」
「……それは」
「娼館の売上も落ちてる、って本部の記録にはあったけど」
ヴェルミラは、机の上に指を滑らせながら続けた。
「だから、私が様子を見に来たのよ。何か、問題でも?」
「上納金は支部長に言ってくれ。娼館の売り上げはな、女の調達が、思うようにいってねえんだ」
ガロンは、苦々しげに吐き捨てた。
「まともな稼ぎがある女は寄ってこねえし、無理に攫えば街の衛兵が煩い。結局、掃きだめみたいな連中しか集まらねえ。街娼よりも少しマシって程度だ。それで客は街娼に流れちまうんだよ」
フェルンハイムでは娼館は合法であるし、街娼も黙認状態であった。盗賊ギルドが街娼も管理し、ある程度の秩序があるからなのだが、街娼は売り上げを誤魔化すのが簡単であり、盗賊ギルドも上前をはねそこねていることが多々あった。
ガロンは娼館の支配人。同じ盗賊ギルドの管理下とはいえ、街娼は商売敵である。そして、忌々しく思ってはいるものの、同じグループなわけで、それを排除することは出来なかった。
「――なるほどね」
ヴェルミラは、しばらく考えるように顎に手を当てた。
「なら、借金を背負わせなさい」
「あ?」
「ちょっとした賭場でも、高利貸しでも、なんでもいい。返せない額まで膨らませて、それを盾に働かせればいいでしょう。何も本人じゃなくてもいい。家族や恋人の借金を肩代わりさせるとか」
あまりにも事務的な口調だった。まるで、帳簿の数字の話でもしているかのように。
「そんなの、すぐにばれるだろうが」
フェルンハイムの盗賊ギルドの方針は、統治する貴族と対立しないことである。
それは、無理なしのぎなどせずに、合法的な娼館や小さな賭場でのあがりでとどめておくことだった。
「ばれなければいいだけよ。上手くやりなさい、そこはあなたの仕事でしょう」
ヴェルミラは、椅子から立ち上がると、冷ややかな眼差しでガロンを見下ろした。
「――私が本部に上げる報告書次第で、あなたの地位、なくなるかもしれないわよ」
その一言に、ガロンの顔から、血の気が引いた。
「――分かった、分かったよ。何とかする」
「よろしい」
ヴェルミラは、満足げに微笑むと、再び変身魔法を纏った。人間の姿へと戻り、旅の吟遊詩人の仮面を被り直す。
「次に来るまでに、結果を出しておくことね」
それだけ言い残すと、彼女は支配人室を後にした。
残されたガロンは、しばらく重い沈黙の中に座り込んでいた。やがて、忌々しげに机を叩く。
「――クソが」
だが、逆らう術はなかった。ヴェルミラは盗賊ギルド本部の指示で動いている。その言葉は絶対であり、ノルマの未達はブラック企業以上に厳しい制裁が待っている。彼はただ、自分の裁量で処理できる"駒"を思い浮かべながら、これからの算段を巡らせ始めた。




