勝利とは?
狂人ハトラーの自死と、帝都ミュンヘンの陥落。
長きにわたりヨーロッパ大陸を血の海に沈めてきた『ハーケンクロイツ国』は、王国連合軍とステイツの圧倒的な物量の前に完全に崩壊し、無条件降伏を受け入れた。
王都は戦勝の歓喜に沸き返り、人々は広場で抱き合い、紙吹雪が空を覆い尽くしていた。
大戦の完全なる勝利まで、残す敵は極東の島国『大和国』のみ。
しかし、祝祭の喧騒から遠く離れた参謀本部の最奥で、聖王エリアナは信じられない報告を耳にし、血の気を失って立ち尽くしていた。
「……『新型爆弾』、ですって?」
円卓に広げられた極東の地図。そこには、大和国のある一つの都市に、赤々と致命的な印が付けられていた。
それは、ただの爆弾ではない。たった一発で都市一つを丸ごと灰燼に帰すという、ステイツと王国の科学技術、そして禁忌の魔導を掛け合わせて生み出された『絶対的な破壊兵器』。
そして何よりエリアナを絶望させたのは、投下目標として選定されたその場所だった。
「なぜ、そこなのですか……! あそこは、大和国が古くから異教を弾圧してきた歴史の中で、何百年もの間、迫害に耐えながら密かに私たちの神を信仰し続けてきた『信徒』たちが住む、神聖な地です!」
エリアナは円卓に身を乗り出し、軍の上層部――そして、作戦の最高責任者である宰相ルキウスに向かって悲痛な声で叫んだ。
「ただでさえ過酷な弾圧を生き延びた無辜の民の頭上に、あのような業火を落とすなど……! 断じて許されません! 私は聖王として、神の名においてこの作戦に強硬に反対します!」
かつて、統計学のグラフを用いて歴戦の将軍たちを論破した時のような、氷の論理はそこにはなかった。あるのは、純粋な命への慈愛と、理不尽な虐殺に対する激しい怒りだけ。
だが、冷徹な『国家の歯車』として完成されてしまったルキウスの瞳は、一切の感情を排したガラス玉のように冷たかった。
「……大和国は、すでに継戦
能力を失いながらも『一億総玉砕』を掲げ、本土決戦の準備を進めている」
ルキウスは淡々と、残酷な結論を口にした。
「もし通常戦力で大和国の本土へ上陸作戦を行えば、王国とステイツの兵士に『百万』の死傷者が出る。だが、この新型爆弾を一発落として彼らの戦意を完全にへし折れば、我々の犠牲は『ゼロ』だ。……百万の味方を救うために、十万の敵の命を焼き払う。これほど合理的で慈悲深い数式はない」
「ルキウスッ!!」
エリアナの叫びは、軍の最高決定権を持つ宰相の冷酷な決断の前に、空しく響き渡るだけだった。
国家という巨大な暴力のシステムの前では、宗教の権威も、彼女が築き上げてきた医療の奇跡も、すべてが無力だった。
数日後。
極東の空に、二つ目の太陽が生まれた。
閃光。そして、すべてを溶かす数千度の熱線。
何百年もの間、密かに神への祈りを紡いできた美しい天主堂も、十字架を握りしめていた信徒たちも、無邪気に遊んでいた子供たちも。
すべてが、一瞬にして『影』だけを石の階段に残し、蒸発した。
後に残されたのは、天を突く巨大な毒のキノコ雲と、炭化した死骸が転がる、名状しがたい絶対的な地獄だけだった。
大和国に新型爆弾が投下され、その威力の前に彼らが無条件降伏を受け入れたという報せは、王都の大教会で祈りを捧げていたエリアナの元にも届けられた。
「あぁ……。あああああっ……!」
大聖堂の冷たい大理石の床に、純白の聖王は崩れ落ちた。
ステンドグラスから差し込む美しい光が、慟哭する彼女の背中を照らしている。
私は、何のためにこの座に就いたのか。
スラムで泥水をすすり、命が理不尽に踏みにじられる世界を変えたいと願った。
そのために、血の滲むような努力で医療システムを作り上げ、アレンの手を汚させてまで教会の権力を奪い、ついには誰にも手の届かない光の頂点に立ったはずだった。
なのに、極東の地で灰となった数十万の命に、私が巻いてやれる包帯はなかった。
私の信じる神を、同じように信じてくれていた彼らに、私は何の奇跡も、救いも与えることができなかった。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……!」
エリアナは十字架を固く握りしめ、自らの無力さに打ちひしがれ、床に額をこすりつけて泣き崩れた。
戦争は終わった。百万の兵士の命は救われ、世界にはついに平和が訪れた。ルキウスの計算は正しく、アレンの支援は完璧だった。
だが、その完全なる勝利の陰で。
真の聖女の魂は、決して癒えることのない絶望と矛盾の炎に焼かれ、音を立てて砕け散っていた。
平和の鐘が鳴り響く王都の空の下、彼女の哀切な慟哭だけが、誰の耳にも届くことなく、冷たい礼拝堂の奥深くへと消えていった。
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