不夜城からの助け
新大陸『ステイツ』
乾ききった不毛の砂漠地帯に、突如として現れる蜃気楼のような不夜城。
ネオンサインが極彩色の光を放ち、ジャズの生演奏とルーレットの回る音が夜通し鳴り響くその巨大な歓楽街は、一人の男の途方もない野心によってゼロから生み出された特区だった。
巨大カジノホテルの最上階、絢爛たるペントハウス。
アレンは、眼下に広がる光の海をブランデーグラス越しに見下ろしていた。
ルキウスの無情な宥和政策によって前線の拠点を失い、本国での活動が著しく困難になったあの日。アレンは怒りに身を任せて破滅的な報復に出ることはせず、極めて冷徹な経営判断を下した。
古い大陸の泥沼を見限り、ヴィットーリオ・ファミリーの莫大な資金と人員を丸ごと、海を越えた新天地『ステイツ』へと移したのだ。
彼は二束三文だった砂漠の土地を買い占め、合法的なギャンブルの聖地へと作り変えた。
さらに、最近台頭してきた音の出る活動写真――『トーキー映画』の巨大スタジオにも裏から莫大な出資を行い、銀幕のスターたちの興行権を完全に掌握
血と泥にまみれた密輸や恐喝といった非合法なシノギから、莫大な利益を生む合法なエンターテインメント・ビジネスへの華麗なる転換。
それは、マフィアという存在を国家の経済システムそのものへと組み込む、アレンの天才的な手腕だった。
今や表舞台での彼は『新進気鋭のビジネスマン』であり、孤児院や病院へ巨額の寄付を行う『気前の良い篤志家』として、ステイツの政治家やセレブリティから熱烈な称賛を浴びる存在となっていた。
冷酷なマフィアのボスの顔は、必要がなければ一切見せない。
だが、それはファミリーが牙を抜かれたことを意味しない。彼らを「合法のぬるま湯に浸かって弱くなった」と侮り、シノギを奪おうとした地元のギャングたちは皆、砂漠のサボテンの肥料となって消えた。
アレンは実働部隊を「ホテルのセキュリティ」や「映画の組合員」として巧みに隠蔽し、かつてなく巨大で統制された暴力のネットワークを、新大陸の地下に張り巡らせていたのだ。
――しかし
どれほど海を隔て、ネオンの光で夜を照らそうとも、古い大陸から吹き付けてくる『死の匂い』は誤魔化しきれなくなっていた。
ペントハウスの豪奢なデスクの上には、本国から届いた最新の新聞と、トーキー映画の前に流されるニュース映画のフィルム缶が無造作に置かれている。
一面を飾っているのは、フレンテ共和国の陥落。そして、絶望的な状況の中で王国宰相に就任し、たった一国で狂人ハトラーの軍勢に徹底抗戦を呼びかける、かつての幼馴染の孤独な姿だった。
アレンは新聞の記事を指でなぞりながら、ふっと自嘲気味に笑った。
「馬鹿野郎が……。あんなに合理性を並べ立てておいて、結局最後に選んだのは『計算を投げ捨ててでも意地を通す』っていう、一番非合理で泥臭い道じゃねえか」
ルキウスの宥和政策で部下を殺された恨みは、消えてはいない。
あの夜、決別した時のルキウスの冷たい顔も忘れてはいない。
だが、孤立無援の絶望の中で、折れることなく国を背負って立つ幼馴染の姿を見た時、アレンの胸の奥底で燻っていた氷は、名状しがたい熱を帯びて溶け出していた。
ステイツの政府は、海を隔てた戦争に対して「不干渉」を貫いている。だが、アレンには分かっていた。狂人の欲望は大陸だけでは止まらない。いずれこの新大陸にも、必ず火の粉は降りかかってくる。
「……よう、ルキウス」
アレンは、誰もいない夜景に向かって、グラスを軽く掲げた。
その声は、かつてスラムの路地裏で、喧嘩に負けてボロボロになったルキウスに肩を貸した時と同じ、ぶっきらぼうで、どこまでも温かい響きを帯びていた。
「天才のお前は、この絶望的な盤面をどうやって収めるつもりだい? ……こっちはこっちで、俺なりに上手くやってるぜ」
アレンはデスクの上の電話機を引き寄せた。
裏社会のネットワーク、ステイツの港湾を牛耳る組合、そしてファミリーが保有する無数の輸送船団。彼が新大陸で築き上げたのは、ただの歓楽街ではない。
国家の監視をすり抜けて、莫大な物資を海の向こうへ送り届けることができる『世界最大の闇の兵站線』だ。
「まあ、お前に言わせりゃ余計なことかもしれないが。……ちっとばかし、手を貸してやるよ」
受話器を取り、アレンは港湾を仕切るファミリーの幹部へ、短く、しかし絶対的な命令を下した。
「表の帳簿から外れた武器、弾薬、食糧をありったけかき集めろ。ルートは東。……あいつの王国へ、タダで送り届けてやる」
光と闇の決別から数年。
遠く海を隔てた新大陸から、裏社会の王は再び、孤独な国家の歯車のための『見えない番犬』として、沈黙を破り動き始めたのだった。
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