コンクラーベ
時は少し遡る。
大戦が終結へと向かい、教会の最高権力者である『聖王』を正式に選出するためのコンクラーベ(教皇選挙)が開かれた日のことである。
大教会の最奥、外の世界から完全に隔離された『システィーナ礼拝堂』。
重厚な扉が内側から施錠され、次期聖王が決まるまで誰一人として外に出ることは許されない神聖な空間に、国中の高位聖職者たちが集結していた。
エリアナの圧倒的な民衆からの支持と、医療改革による功績は誰の目にも明らかだった。
しかし、教会の特権を死守したい保守派の枢機卿たちは、平民出身で急進的な彼女がトップに立つことを何としても阻止しようと、最後の抵抗を試みていた。
「エリアナ殿。貴女の献身と功績は誰もが認めるものだ。だが、やはり平民の出であり、伝統を無視したその手法はあまりに過激すぎる。我々は、由緒正しき貴族の血を引くバルバリーゴ卿こそが、次期聖王にふさわしいと考える」
それは、実権を持たない傀儡の聖王を据え、これまで通り自分たちが教会の利権を貪り続けようという、見え透いた腹積もりだった。
周囲の枢機卿たちも、一斉に同調の声を上げる。同調圧力と、貴族という血筋の壁。
だが、祭壇の前に立つエリアナの表情には、焦りも怒りも微塵もなかった。
彼女は純白の修道服の袖を優雅に揺らし、まるで駄々をこねる子供を諭すかのように、静かに微笑んだ。
「それはそれで、全く構いません。どなたが聖王の座に就かれようと、それもまた神の御心でしょう」
「ほ、ほう。ならば辞退すると――」
「ですが」
エリアナの声が、礼拝堂の冷たい空気を一瞬で凍らせた。
「私が築き上げた医療体制、そして今後進める予定の公衆衛生のシステム。もし、新しい聖王様や皆様が、ご自身の利益のために私の救済を掣肘し、無辜の民の命を見捨てるような真似をなさるのなら……その時は、私にも『考え』があります」
枢機卿たちの顔が、サッと青ざめた。
「な、なにを……我々を脅す気か、ただの小娘が!」
「脅しなどではありません。神への誓いです」
エリアナは一歩も引かず、鋼のような瞳で彼らを射抜いた。
「皆様、どうかよくお考えになって、後悔のない『正式な選択』をなさってください」
礼拝堂は、怒号と混迷の渦に包まれた。
「許さんぞ! この神聖なコンクラーベの場で、あのような不遜な態度!」
「もはや異端だ! 彼女の投票権を剥奪しろ!」
「バルバリーゴ卿に全票を入れるのだ!」
枢機卿たちが口々に叫び、エリアナを糾弾しようと立ち上がった、まさにその時だった。
――バサッ、バサバサバサッ……!
遥か頭上。礼拝堂のドーム天井にある採光用の高窓から、突如として『大量の紙片』が雪のように舞い落ちてきた。
「な、なんだこれは……?」
「どこから降ってきた!?」
色鮮やかなステンドグラスの光を浴びながら、ひらひらと舞い落ちてくる無数の紙片。
それはまるで、神の祝福を祝う華やかな紙吹雪のようだった。
一人の枢機卿が、肩に落ちてきたその紙片を手に取り、目を落とす。そして、心臓を鷲掴みにされたように硬直した。
『――アンブロシアーノ銀行経由、マラスピーナ枢機卿からの裏金送金記録』
『――軍兵站部への贈賄リスト』
『――暗殺ギルドへの報酬支払い証明』
それは、教会の奥深くで厳重に秘匿されていたはずの『裏帳簿』の写しだった。
先日のロベルト怪死事件の際、アレンが根こそぎ奪い取った、教会上層部と裏社会の癒着を示す決定的な証拠。
彼らが絶対に表に出せない、致死量の毒の記録が、何千枚という紙吹雪となって枢機卿たちの頭上に降り注いだのだ。
「ひっ……! 嘘だ、なぜこれが……!」
「わ、私の口座記録まで……っ!」
数秒前までの怒号は嘘のように消え失せ、礼拝堂は絶望の悲鳴と、紙をかき集める浅ましい音だけが響く異様な空間へと変貌した。
彼らは理解したのだ。この情報を握っている「何者」かが、今まさに自分たちの喉元に冷たい刃を突きつけているということを。
もしこれが外の軍部や民衆の手に渡れば、自分たちは破門どころか、間違いなく国家反逆罪で絞首台送りになる。
震える枢機卿たちをよそに、エリアナは静かに頭上を見上げた。
高い天井の窓の奥。そこには誰もいないはずだが、彼女には確かに、黒いスーツを着た幼馴染が、ニヤリと悪戯っぽく笑って手を振っている姿が幻視できた。
(……最高のタイミングよ、アレン)
武力でも、金でもない。最も確実な『情報』という暴力。
幼馴染が裏社会から放った最凶の援護射撃を背に受け、エリアナは床に這いつくばる枢機卿たちを見下ろした。
そして、純白の百合が咲き誇るような、この上なく美しく、完璧な慈愛に満ちた聖女の笑みを浮かべてみせた。
「あら。神様からの啓示が降ってまいりましたね」
彼女のニッコリとした微笑みに、枢機卿たちは完全に心を折られ、絶望のまま膝をついた。
「さあ、皆様」
エリアナは、静かに、だが絶対的な王の威厳を持って宣告した。
「神聖なるコンクラーベの投票を、続けましょうか」
勝負は、完全に決していた。
その日の午後、システィーナ礼拝堂の煙突から、新教皇の決定を告げる『白い煙』が上がった。
教会の歴史上、最も若く、最も清廉でありながら、最も底知れぬ闇の力を味方につけた平民出身の少女が、絶対的な光の頂点――『聖王』の座を得た瞬間であった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




