暗躍2
南の海に浮かぶその島は、かつては紺碧の海と輝く太陽に祝福された美しい楽園だった。
だが、今やその海岸線には無骨な鋼鉄の要塞が連なり、空を睨む巨大な魔力砲台が産毛すら焼き尽くすような殺気を放っている。敵国の軍事政権が築き上げた、難攻不落の補給拠点。
正面から挑めば、いかなる大艦隊であっても海の藻屑と化す、文字通りの死地であった。
参謀本部でルキウスが軍を進めている頃、アレンは自らのファミリーを率い、軍の到着よりも先に、音もなくその死の島へと渡っていた。
潮風と腐敗の匂いが混じる、地下の薄暗いワイン貯蔵庫。
そこには、敵の枢軸国の苛烈な弾圧によって息を潜めていた現地のマフィアたちが集まっていた。かつて島を牛耳っていた彼らの目には、疲労と、明日をも知れぬ絶望の影が落ちている。
その暗がりの中へ、アレンは莫大な量の金貨と、最新鋭の武器の山を無造作に放り出した。
「選べ。このまま泥水をすすって野垂れ死ぬか、それとも、俺たちと共にこの島を取り戻すか」
アレンの底冷えするような声が、地下室に響く。
「この島の裏道、要塞の死角、ネズミの抜け穴に至るまで、すべて俺たちを案内しろ。その代わり、この島が落ちた後の裏の利権は、すべてヴィットーリオが保証してやる」
それは、絶望のどん底に垂らされた、蜘蛛の糸のような契約だった。
奪われた誇りと復讐心に火をつけられた男たちの目に、ギラギラとした野獣の光が戻る。
アレンは彼らに武器を与え、瞬く間に島を内側から喰い破る「強力な反政府レジスタンス」へと変貌させていった。
そして、上陸作戦の前夜。
星すら見えない漆黒の闇の中、アレンは荒れ狂う波が打ち付ける断崖絶壁に張り付いていた。
見上げれば、首が痛くなるほどの高所に敵の防衛網が敷かれ、サーチライトが海面を舐め回している。アレンは大きく息を吸い込み――肺の奥底に空気を留めたまま、己の存在を世界から完全に切り離した。
『息を止めている間は認識されない』。
世界から音が消え、色彩が褪せる。どれほど屈強な歩哨の目の前を通り過ぎようと、誰の網膜にもアレンの姿は映らない。彼は岩肌を這う亡霊のように、要塞の最深部、魔力砲台の基部へと単身で潜り込んでいった。
冷たい砲台の鋼鉄に触れながら、彼は持参した手のひらサイズの『魔素の固体化爆弾』を次々と設置していく。導火線はない。それは、かつてスラムの路地裏で培った知識と、殺しの技術が結晶化した、世界で彼しか作れない悪魔の兵器。
やがて、水平線の彼方が微かに白み始めた。
夜明けと共に、朝靄を引き裂いて王国軍の大艦隊が海上にその威容を現す。ルキウスの指揮する無数の船影を見た敵軍の要塞は、一気に蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
「撃て! 敵艦隊を海の藻屑にしろ!」
指揮官の絶叫と共に、巨大な魔力砲台にエネルギーが充填され、まばゆい光が収束していく。
その瞬間、岩陰に潜んでいたアレンは、静かに魔力を指先に込めた。
轟音は、鳴らなかった。
砲台が火を噴く直前、アレンが仕掛けた固体化爆弾が一斉に起爆したのだ。
それは外側に広がる爆発ではなく、周囲の空間とエネルギーを急激に吸い込む『無音の爆縮』。極彩色の閃光が走った直後、難攻不落を誇った分厚い鋼鉄の砲台群は、まるで熱した炉に放り込まれた蝋の塊のように、音もなくドロドロに融解し、自らの重みに耐えかねて無惨に崩れ落ちた。
「な、何が起きた……!? 砲台が、溶けただと!?」
パニックに陥り、狂乱する敵兵たち。
だが、絶望はそれだけでは終わらない。要塞が沈黙したのを合図に、背後の市街地でアレンに扇動された現地マフィアたちが一斉に武装蜂起を開始したのだ。
通信網は寸断され、弾薬庫は裏切りの炎に包まれ、軍の指揮系統は完全に麻痺した。
無防備となった海岸線へ、王国軍の上陸部隊が怒涛の如く押し寄せる。
複雑な地形や隠された罠に迷うことなく、王軍が全く犠牲も出さずに快進撃を続けられたその足元には、現地マフィアの案内と、アレンが敵の血で赤く染め上げた『見えざる道標』が確実に敷かれていた。
歴史書には、この日の勝利を「王国軍の輝かしい軍略の賜物」として華々しく記されるだろう。
しかし、朝日に照らされて燃え上がるこの港街を、断崖の影から静かに見下ろすアレンの姿を知る者はいない。年若いマフィアはただ一人、戦火の煙よりも深く、冷たい闇の中へと溶けていった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




