第17話 頭のおかしな女 1st Gear
ブランとリンゼが地下牢で再会した日から10日経った。ブランは以前にも増して写本に熱心になっており、10日でエニスラルダの歴史書、民話集をそれぞれ一冊写本していた。
ブランの勤勉ぶりに「インクと紙とロウソク代が馬鹿にならない」とカーチスは笑った。もちろん本が複製される方が得なのでただの軽口である。
ブランは深夜まで作業していたため寝不足であったが危ういほど気力があふれていた。カーチスから「リンゼが手紙を受け取った」と聞き、喜びで打ち震えているのだ。
欲を言えば手紙の返信をもらいたかったが、カーチスからリンゼは多忙と聞いていたので黙っていた。それでも「もっと頑張れば返信がもらえるかもしれない」と思い必死に勉強していたのだ。十代の少年の純朴さである。
そのような状況で迎えた降臨歴1501年8月2日。カーチスはリンゼから「ブランを謁見の間まで出頭させよ」と命を受けた。
「手紙の返信なら自分が預かる」と言ったがそういうことではないらしい。「ならば何らかの処罰をするのか」と尋ねたがそれも違うらしい。
「悪いようにはしない」とのことなので引き下がったが、にこやかなリンゼと対照的に彼女のかたわらに侍る内務長と軍務長が疲れた顔をしていたのがどーにも気になる。
(リンゼ様のことは尊敬しているが…… 頭がおかしいところがあるからなぁ)
などと若干無礼なことを思いながらブランの独房へと歩いていた。ブランが何らかの企みに巻き込まれる予感がするが、考えても仕方ない。捕虜なので弱い立場なのだ。
というような経緯でカーチスはブランの独房を訪れ、あえて事務的に告げた。
「ブラン、リンゼ様から御前に出頭せよとの命だ」
出頭という言葉を聞いてブランは青ざめる。
「拙、何かリンゼ様の気に障ることをしたでしょうか?」
「いや、それはないと思う」
「じゃあなんで?」
「わからん」
「わからん!??」
「本当にわからんから仕方ないじゃろうが。ただ処罰するとかではないらしい」
「ああ、そうなんですか」
ブランはホッと胸をなでおろす。これは処罰されないことに安堵したためではなく、リンゼに迷惑をかけていないとわかったためである。
「悪いようにはせんとも言ってたからともかく行こう。遅くなって機嫌を損ねたらまずい。ついてこい」
そう言ってブランを檻から出した。カーチスが前に立ってブランを案内する。
3分ほど歩き上り階段に差し掛かったとき、周りに誰もいないことを確認してからカーチスはブランに振り返った。
「ブラン、おそらくお前は何らかの企みに巻き込まれる」
「企み?」
「うむ。命を受けた時、リンゼ様は上機嫌で側近は諦めの表情を浮かべとった。こういうときは大抵ろくでもないことが起きる」
ゴクリとブランがつばを飲み込み、カーチスは小声でささやいた。
「リンゼ様はおおむね素晴らしい方だがな。頭がおかしいんだ。長く生きすぎたのかもしれん」
カーチスは以前リンゼをフランクだと評していたが、カーチス自身も大概だなとブランは思った。
そんな小話を挟みながらブランとカーチスは謁見の間まで来た。
この日のリンゼは薄紫色のドレスを着ていた。白粉はダルムレンで見たときより柔らかい印象、口紅はオレンジがかった赤。薄く笑みを浮かべながら玉座に腰を下ろしている。そして玉座の左隣には東洋風の装いの男が、右隣には片眼鏡の男が侍っていた。
カーチスが玉座の手前で膝をつき頭を下げた。ブランもそれに倣う。失礼がないように緊張していた。
「ご命令により捕虜ブラン・マルティスを連行いたしました」
「ご苦労さま。二人とも面を上げなさい」
リンゼはそう言うとスクっと玉座から立ち上がった。そして突然右手を前に突き出し言い放った。
「いや、貴様の負けだ吸血鬼!」
ニンマリと得意気な顔をしているリンゼの両隣で側近たちがポカンと口を開けている。カーチスも同様だ。
「あ、これね、ダルムレンでこの子と闘ったときに言われたセリフ。緊迫した状況だったけど、あまりにも芝居がかってたもんだから笑いそうになっちゃったわ」
すぐさまブランは思い出した。確かに自分が言ったセリフだ。こうしてマネされるとすごくすごく恥ずかしい。
「14歳だっけ? そういう年頃よね」
と言ってクスクス笑った。ブランは羞恥で耳まで赤くなった。
「シェトラン伯は拙を恥ずかしめるために呼んだのですか?」
「ごめんごめん、どうしても一度やりたかったの。もうやらないから許して」
茶目っ気たっぷりにウインクされてブランは緊張していたのが馬鹿らしくなった。リンゼへの認識を改める必要がありそうだ。領主とか吸血鬼とかのイメージからだいぶ遠くにいる人だ。
「捕虜いじめはこれぐらいにして、実際どのような理由でブランを呼んだのですかな?」
カーチスが苦笑いを浮かべながらリンゼに問うた。
「うん、それを今から説明するわね」
リンゼが指をパチンと鳴らすとダルムレンで見かけた親衛隊の男、ジョエルが現れた。
ジョエルは鎖で繋がれた奇妙な物体を引っ張っている。ガラガラとけたたましい音がする。よく見るとそれは檻を載せた台車であった。不服そうな表情でブランを一瞥し彼の隣に置いた。
「ブラン・マルティス。あなたにはこの檻に入ったまま領都メリティアを見て回って欲しいの。私と一緒にね」
極めて上機嫌にリンゼは言った。一方、ブランは事態がまったく飲み込めない。
「な、なぜでしょうか?」
「あなたがゾブレに戻ったときエニスラルダをいい感じに宣伝して欲しいからよ」
ますますわからない。リンゼの中では話が完結しているようだが、ブランにとっては雲に隠れた星と星をつなげて星座を作れと言われたようなものだ。
困惑するブランを見て東洋風の男が口を挟んだ。
「アイヤー、領主。経緯を説明しませんと彼には理解できんでしょう」
「端的に説明したつもりだけど」
「端的すぎます。武人の方々の特徴ですが」
「我らは講釈を好みませぬからな」
今度は片眼鏡の男が口を挟んだ。口ぶりからしてこの男も武人なのだろう。
「戦場では長々とした説明はご法度ですがここは儀式と問答の場。ならばむしろ講釈すべきでしょう。どうです? よろしければ私から経緯を説明しましょうか?」
リンゼは人差し指をあごに当てて答えた。
「そうね、お願いしようかしら」
東洋風の男は頷くと、ブランへ正対し握りこぶしの上から手のひらを重ねる礼をした。 東洋に伝わる拱手という作法である。
「宋春と申します。エニスラルダ領府の内務長を務めております。君の処遇がどのように決まったかお話しましょう」




