第15話 沈痛のリンゼ、ブランの罪
ブランがメリティアの地下牢に収監されて三週間経った。
少年は独房内の机に向き合っている。机の上にはロウソク、インク瓶、カーチスから借りた本、紙の束が置いてある。そしてカーチスから借りた本の内容を紙の束に書き写していた。
そんな中、カランカランとハンドベルが響き渡る。ベルを鳴らした牢番、カーチスが溌溂と叫ぶ。
「皆の衆、昼飯の時間だぞー! 今日のおかずは焼き魚だ!」
食事は囚人たちの数少ない楽しみだ。方々の独房から歓声が上がる。
「おっ、待ってました!」と全身入れ墨まみれの男が叫ぶ。
「げぇ、今日は共食いの日かよ。痛むわー、心が痛むわー」と魚人の男が大げさに嘆いた。すると入れ墨の男がすかさずツッコむ。
「お前ら魚人の主食、魚だろうが。だまされんぞ」
「あっ、バレた?」
地下牢にドっと笑い声が響く。ブランも会話に参加こそしないが微笑ましく聞いていた。
「ブラン、その辺で手を止めて飯にしろ」
カーチスが昼食のトレイを持ってきた。
「すみませんもう少しだけ。すぐ終わるので」
仕方ねぇなぁとカーチスが苦笑いする。この三週間ブランは熱心に写本している。ややもすると飯を抜くこともあった。
「終わりました」
羽ペンを置き、インク瓶にふたをして一つ伸びをした。
今回写した本はエニスラルダの法律書だった。300ページに渡って堅っ苦しい文言が綴られており手強い相手だった。
「お疲れさん。他の奴らの食器とまとめて片したいからさっさと食ってくれ」
了解ですと答えながら配膳口からトレイを受け取る。トレイにはパン、野菜くずを煮たスープ、焼き魚が乗っていた。
魚を両手で掴み骨ごと噛み砕く。当然硬い。噛み砕くのは難儀だが「食べれる物はすべて嚥下して滋養にすべし」というのがグレイグ流符剣術の流儀である。
パンもおそるべき硬さだった。これはスープに浸してふやかす。パンは厚みがあるので硬いままだと口内に入らないのだ。スープがパンに染み込むのを待っているとカーチスが話しかけてきた。
「その本どうだった? 確かエニスラルダ法典だっけ?」
「エニスラルダ住民基本法解説書ですね」
「そうそう、それそれ」
「全然違うじゃないですか」
「細かいこたぁいいんだよ。で、どうだった?」
「難しいです! 書いてあることの四分の一もわかりませんでした」
「法律書は難解だからなぁ。ワシだって半分もわからんと思う」
「ただ理解できた部分は面白く思いました」
「ほう、例えば?」
「吸血鬼の4大義務ですね。勤労、納税、兵役に加えて指導の義務があるのが面白かったです」
カーチスはニヤっと笑って顎をさする。
「ふふっ、確かに指導の義務は特徴的よな」
「なんでこんな義務があるのか不思議でした。ただ解説を読むと納得できました。不老である吸血鬼が長年働くということは長年重要なポストを占めるということ。となると職務に関する知識を吸血鬼が独占する恐れがある」
「そう、知識の独占防止、あるいは非吸血鬼人材を育てるため吸血鬼は必ず指導をせねばならん。毎年何らかの形で指導実績をお上に示すのが義務付けられておる」
「大変そうですね。カーチスさんも指導の義務を?」
「もちろんじゃ。こうしてお前さんら囚人にあれこれ教えるのも指導の一つよ」
「あ、意外とゆるいんだ」
ブランは拍子抜けしたあとスープでふやけてきたパンを口に放り込んだ。
「あんまり厳しすぎても制度が回らんでなあ。でも結構プレッシャーなんじゃぞ? 報告した指導実績に嘘がないか審査されるし、結果は街の掲示板に張り出されるから内容が乏しいと恥になる。教えられることがないか血眼になってるのがワシら吸血鬼の実態よ」
カーチスの言を補足しよう。
吸血鬼は指導審査官にその年の指導実績を報告しているが、毎年同じ内容を報告していると審査官から内容の向上を強く要請される。当然、指導できる内容は吸血鬼が保有する知識・技術に依存するため吸血鬼自身が能力向上しないと報告できる内容も変わらない。よって指導内容を増やすため、吸血鬼自身がたゆまず知識・技術の向上に努めねばならない。
そして向上した知識・技術は彼らの教え子に継承される。この制度によってエニスラルダ領民の知識・技術はこの時代としては高水準を誇っていた。この「指導の義務」こそがエニスラルダの強の源だと指摘する歴史学者は多い。
ブランがやや遠慮がちにカーチスに尋ねた。
「ところで、シェトラン伯にも指導の義務は適用されるんですか?」
シェトラン伯とはリンゼ・シェトランのことだ。三週間前倒そうとした相手を「リンゼ様」と呼ぶのはまだ抵抗があった。
「無論適用される。じゃなきゃ誰も義務を履行せんわい」
「何を教えてるんですか?」
「色々教えとるみたいだぞ。なんだったかな……」
そう言って腕組して宙を見上げた。記憶をたぐっているのだろう。
「そうそう、農法、行政、住民トラブルの解決法、斧術、陰術なんかを教えとったな。近年は水術師を育てておられる。ほら、あの人水術の達人じゃから」
「ああ、そうでしたね」
ブランは先の戦闘で使われた水術を思い出した。いずれも高度な魔術であり、高位の水術師なのは疑いようがない。
「ただ近年、リンゼ様が育てた水術師が減っておる。そろそろ審査官からご指導が下るかものう」
「仕方ないでしょ。弟子があらかた卒業しちゃったんだから。別に手抜きしてるわけじゃないわよ」
突然カーチスの背後に現れた" 霧 "が文句を言った。霧は段々とヒトの形をなしていきリンゼ・シェトランとなった。カーチスが驚いて大口を開ける。
「リンゼ様!? なんでこんなむさ苦しい所に!?」
「あなたに投げっぱなしてのも気が引けてね。この子の様子を見に来たのよ」
そう言ってブランに視線を伸ばした。赤い瞳が好奇に満ちていた。
リンゼは夏らしく薄手の服を着ており、オレンジがかった口紅を塗っていた。顔は相変わらず白いがダルムレンで闘ったときより柔らかな印象だ。今は白粉を塗っていないのかもしれない。
「えっ、今リンゼ様って!?」
「あ、ホンマや! いつの間に?」
「おお、お美しい。まさかお目にかかれるとは」
「オレ、牢にブチ込まれてよかった」
「肌面積が広くて満足感がある。夏季万歳」
「今夜はこれでいいや」
リンゼの突然の出現に囚人たちが沸き立った。なお、最後の囚人の台詞は清純にして純朴なる小生にはよくわからないのでご客人でその意味を推量されたい。
リンゼは独房に近づき、鉄格子の奥のブランを覗き込んだ。
「カーチスから聞いてるわよ。熱心にエニスラルダについて勉強しているようね。えらいわ」
写本された紙束を見つめながら顎に指を当てる。満足そうな表情だ。
「……どうも」
ブランは先日殺意を向けた相手に対し、なんと答えていいかわからず曖昧な返事をした。
「それでエニスラルダのことはわかってきた?」
「ええ、だいぶ…… いえ、まだ全然わかっていません」
ブランは一瞬いい格好をしようと思ったが、つい先程カーチスに四分の一もわかってないと答えたばかりなのを思い出した。実際まだ本を数冊読んだだけなのだ。それでわかったつもりになるのは恥ずかしいと思った。
「いいわね謙虚で。期待以上の姿勢で嬉しくなっちゃうわ」
そう言ってリンゼは両手を胸の前で合わせて目を細めた。あまりにも喜んでくれるのでブランは照れくさい気分になった。
「よし、特別に領主自ら質問に答えてあげましょう! 勉強してきて何か疑問に思ったことはある?」
ブランは戸惑った。まさかリンゼとの質疑応答が始まるとは思っていなかった。ただ疑問はいくつもある。疑問を解消したいという知識欲が戸惑いを打ち払った。
「では…… 先程カーチスさんと吸血鬼の4大義務について話していました。とてもよく考えられてると思います」
「あら、ありがとう」
「やはりこれを考案したのはシェトラン伯ですか?」
「いいえ、私じゃないわ」
「では、どなたが?」
そう聞くとリンゼは息を止めたあと、視線を落とした。
「私の夫よ。大昔に亡くなったけどね」
涙をこらえているような、ひどく淋しそうな表情だった。
ブランは困惑した。リンゼから夫という言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
加えて悪気はなかったとはいえ、聞いてはいけないことを聞いてしまった自覚があった。ブランはまだ男女の機微など分からぬがその程度の情緒はあった。カーチスもリンゼの背後で顔をこわばらせている。
「その、すみません。 拙、知らなくて」
「いいのよ。私の方こそごめんなさい。駄目よね、200年も前の人なんか忘れないと」
その時のリンゼの笑顔があまりにも空笑いでブランは胸が締め付けられる思いがした。いたたまれない空気にカーチスが割って入る。
「リンゼ様、その装いは囚人どもの目の毒にございます。牢の風紀を預かる者として僭越ながら肌を覆ったお召し物をまとって頂きたく」
この日のリンゼの装いは若草色のワンピースで、腰に革ベルトが巻いてありグラマラスな体つきが強調されていた。確かに目の毒だったが、カーチスは本当に風紀を心配しているわけではない。リンゼがこの場を去れる方便を用意しただけだ。
「そういうことなら仕方ないわね。退散するわ」
リンゼもカーチスの気遣いを感じてか素直に応じた。
「それじゃ小僧さん、引き続き勉強に励んでね。頑張れば早く故郷へ帰してあげるわよ」
そうブランに微笑んだあと【高速体霧】を唱え身体を霧にして消えた。
「やれやれ突然首長に来られると心臓に悪いわ」
そう言ってカーチスが大きなため息を吐く。
「シェトラン伯っていつもあんな感じなんですか?」
「ん? ああそうじゃな。結構フランクというかフランク過ぎて問題なのがあのお方じゃな」
「ご主人がいたんですね」
「うむ、今でもあんなに想っておられるとはワシも知らなんだが」
「悪いことをしました。辛い記憶を、思い出させてしまった」
「あまり気にするな。知らなかったんだから仕方ない」
カーチスはそう言ったあと鉄格子に顔を寄せ、口元に手のひらを立てた。
「それにお前さんはあの方にもっと酷いことしとるじゃろうが」
ブランがリンゼと闘い、傷を負わせたのは他の囚人には内証だったので小声で言った。
蚊のようなささやきだったが少年の心臓はビクンと跳ねた。リンゼを怪物と侮辱し、傷を負わせたのを忘れたわけではない。だがカーチスの指摘により罪悪感という亡霊が取り憑いた。
「そう、ですね……」
このときブランの顔色は蒼白だったが、カーチスは気づいていない。
「しかしリンゼ様の心象が良くてよかったのう。数年は囚人生活と思っとったが、案外早く出所できるかものう」
「ですね……」
先程のリンゼの笑顔が脳裏に浮かんでいた。勉強している自分を褒めてくれた。謙虚な姿勢を嬉しいと言ってくれた。
その人に自分はなんということをしてしまったのか。カーチスが語った出所への展望など、ただ上滑りしていくだけだった。
カーチスはブランの消沈に気づかず、いつものように配膳口からトレイを回収して去っていった。




