第14話 地下牢での体験
ブランは鼻腔をくすぐる柔らかな匂いを感じた。食べ物の匂いだ。これが目覚ましとなり少年は三日ぶりに意識を取り戻した。
むくりと身体を起こし周囲を見渡す。
天井も壁も見覚えなかったが、何の場所なのかはわかった。牢屋だ。四方のうち左側が鉄格子になっている。漂っている香りも鉄格子を越えて来たのだろう。
続いて身体の状態を確認した。
首には魔封輪 ── 魔術が使えなくなる首輪 ── が嵌められていた。魔封輪の上からY字架のネックレスがかかっている。服は薄黄色のチュニックに七分丈のズボンだ。状況から見るにカソックコートは押収されたようだ。
「おっ、やっと起きたか」
鉄格子の向こう側に革の胴鎧を着た男がいた。
髪は白髪で短く刈りそろえられている。眉毛も口髭も白い。顔には皺が刻まれており年齢を感じさせた。そして何よりの特徴として目が赤かった。吸血鬼だ。
ブランに緊張が走る。いったい何をされるのか? 血を吸われ目の前の男の食料になるのだろうか?
ブランの疑念をよそに男は笑った。
「表情が固いのう。拷問されるとでも思っとるんかい?」
「カーチスさんの見た目が怖かったんでしょ。目赤いし、牙生えてるし」
壁をまたいで声が聞こえてきた。隣の独房の囚人だろう。目の前の牢番と思しき男はカーチスと言うらしい。
「平然とルナ差別すな! お前は今日飯抜き!」
「ウソウソごめん。よっ! メリティア一の男前!」
「ふむ、審美眼に優れた模範囚には多めに肉を入れてやろう」
カーチスがご満悦な顔で言うと他の独房からドッと笑いが起こった。
「お前も飯を食え。 今日のおかずは鶏肉と豆のスープじゃ」
カーチスが牢の配膳口にパンとスープが乗ったトレイを置いた。
だがブランは食事よりも脳裏にうごめく疑問の解消を優先させた。
「拙はなぜ生きているのですか?」
「リンゼ様がお前を生かすように取り計らったからだ。これからお前には事情聴取と教育を受けてもらうぞ」
「ここはどこですか?」
「エニスラルダの領都メリティア。その地下牢よ」
「拙はどれぐらい寝ていたのですか?」
質問攻勢にいら立ったカーチスが眉を吊り上げて吠える。
「ええい、あとで教えるでまずは飯にせい! せっかくのスープが冷める! それとも飯はいらんか?」
「……ご飯にします」
ブランは湧き上がる疑問をいったん抑えこんだ。先ほどから暇を訴えている胃袋に屈したとも言う。
食事を平らげると、ブランは檻から出された。
「事情聴取も教育もここじゃ他の囚人に迷惑だでのう。場所を移すぞ」
案内されたのは石壁で囲まれた個室であった。
机が一つ、丸椅子が二つ置いてある。取調室だろう。カーチスにうながされ着席した。
「さて、まずは名前を教えてくれ。リンゼ様にも名乗らんかったからワシら牢番はお前を小僧とか坊主とか呼んどる。いつまでも小僧坊主じゃ不都合じゃろ?」
「ブラン・マルティスと言います」
「家族名は?」
「ありません」
「そうか。まぁたまにおるが」
ご客人に説明しよう。サニステル教徒の名前は個人名・天使名・家族名で構成される。この少年の場合、ブランが個人名、マルティスが天使名だ。つまりブランは家族名がないことになる。カーチスが言うように、社会的地位などにより家族名がない者はまれに存在した。
なお、天使名とはサニステル神に仕える加護天使の名前である。洗礼時に親や僧侶が祈りを込めて付ける習わしとなっている。
ブランの天使名であるマルティスは集落の守護を司る加護天使だ。フーガスが「ゾブレ町を守れる人物になって欲しい」と願ってつけた。
説明ここまで。話をブランとカーチスの会話に戻そう。
「誰の差し金でダルムレンに来た?」
「……言えません」
「その若さでずいぶんと芸達者なようだが誰から教わった?」
「言えません」
ブランは口止めされていなかったが後ろ暗いことをしてる認識はあった。故にペラペラ話すのはためらわれた。
「言えません言えませんって生意気なガキだな。自分の立場わかってんのか?」
カーチスの眼光が鋭くなる。先ほど囚人たちと談笑していた男とは思えない豹変だった。だが、ブランは意に介さなかった。
「拷問でも虐待でもお好きにどうぞ。拙はもう死んだような身です。今さら命は惜しくありません」
言われたカーチスはコンコンと自らの頭を拳で叩く。
「そういうわけにもいかんのだよなあ。ワシはお前さんに教育をせねばならん。信頼関係が大事よなあ」
「先ほどから教育と聞きますが、拙に何を教えようと言うのです?」
「それはもちろんワシたちルナのことよ」
「ルナってなんですか?」
「ああ、まずそこからか。ルナとはいわゆる吸血鬼のことだ。お前さんらは吸血鬼を種族だと思っとるようだが実際は違う。ワシらは吸血鬼症という病気にかかった人間だ」
ブランは驚きで息が詰まった。カーチスが言うように吸血鬼は種族だと思っていた。そのように学んできたのだ。吸血鬼を病人などとはつゆほども思っていなかった。
「ブラン君よ。お前さんはじんましんになった人をじんましん鬼とか言って差別するか?」
「しませんね」
「そういうことよ。だからエニスラルダでは吸血鬼という呼称は使わない。吸血鬼は人間の一形態だからだ。とはいえ吸血鬼症に感染した者とそうでない者を区別しないと何かと都合が悪い。だから吸血鬼を『月下を歩く者』という意味でルナと呼んでおる」
「洒落た呼び名ですね」
「なんじゃい、吸血鬼のくせに上等すぎるってのかい?」
「いえ、なんだか羨ましい」
カーチスはそうかそうかと破顔した。
ここでふとブランは違和感を覚えた。ブランの顔を見た者はネガティブな反応をするのが常だった。ウルガンには侮辱されたし、イレーヌは顔がこわばっていた。対してカーチスはブランを間近で見ても平然としている。
「カーチスさんは拙の見た目、気にならないのですか?」
「全然。ちょっと変わった目をしとるなぐらいよ。この地方には魚人も獣人もおるからな。そもそも変わった目をしとるのはワシも同じだしな」
そう言ってカーチスは赤目を指差した。続けてカーチスが問う。
「お前さんはその目のせいで苦労してきたんか?」
「そう…… ですね」
視線を落として答えた。
教会の同僚たちから受けてきた無視、侮辱、罵倒、嫌がらせが脳裏に浮かんだ。このトカゲ目がなければと何度思っただろう。
「カーチスさん! カーチスさん!」
カンカンというドアノッカーの音とともに部屋の外から声が響いた。
「なんじゃい、騒々しい」
カーチスがドアを開けると、牢番仲間と思しき男が立っていた。目は青色なので非吸血鬼のようだ。
「なんじゃいじゃないですよ。給血瓶が来たから渡しに来たんじゃないすか」
「お、それはすまんな」
カーチスは牢番仲間から瓶を受け取った。中にはどろりとした赤い液体が入っている。
「んじゃ、俺はこれで」
「おう、おつかれさん」
牢番仲間が額の高さまで手を上げて挨拶するとカーチスも同じ仕草をして見送った。
ブランはゾッとした表情を浮かべ疑問を口にする。
「それってもしかしたら血液ですか?」
「おうよ。ソルのみなさんから毎日献血してもらってな、こうして瓶に詰めて運んでもらってるのよ。あ、ソルってのは非吸血鬼のことな」
カーチスの言を補足するとソルとは太陽のことである。月の対義語というわけだ。
「え、血をわけてもらってるってことですか? 直接生き血を啜ってないのですか?」
「んなことしたらこの領は破滅するわ! ってワズドネル人はそういうのがわからんのだよなあ」
ぼやきながらカーチスはコルクの蓋をキュポンと抜くと瓶に入った血をゴクゴクと飲み干した。
「ごっそさん」
「おいしいんですか?」
おそるおそる尋ねるブランをカーチスはキッとした顔で見つめた。
「まずい!!!」
「まずいんですか!??」
「こんなもん、飲まなきゃ死ぬから飲んどるだけじゃ! あ、いや、ありがたい頂き物を『こんなもん』なんて言ったらいかんな。失言失言」
「てっきり好きで飲んでるんだと思ってました」
「うーん、血を飲むのが好きってやつもおるかもしれんがワシは見たことない。リンゼ様も死んだ魚の目で飲んどるぞ」
「ワズドネルでは吸血鬼は好んで人を襲い、生き血を喰らい、眷属を増やす最悪の怪物として扱われてました」
この誤解はワズドネル共和国総統のウルガンが吸血鬼に深い恨みを持っているのも一因である。ワズドネルの教会組織と結託し反吸血鬼のプロパガンダを敷いているのだ。
「本当に困るんじゃよなあそういうの。こちとらソル50人に対し、ルナは1人までって決めとるのに」
「吸血鬼の人口を制限してるんですか?」
「吸血鬼じゃなくてルナな? そう、法で制限しとる。詳しいことは知らんがゼシカ公女の受け入れもかなり紛糾したらしいぞ。真っ向から法に照らすとアウトらしい」
ブランはカルチャーショックを受けていた。ワズドネルで語られていた吸血鬼の情報とはかなり違うように思う。話を聞く限りルナたちは非常に理性的であり、ソル ── 非吸血鬼たち ── と共生できているようだ。
思いふけっているとカーチスが給血瓶を差し出してきた。
「まだちょっとだけ瓶の底に血が残っとる。飲んでみるか?」
ブランはたっぷり30秒ほど逡巡した。そして意を決して瓶を受け取り、底に残っていた血を飲んだ。臭いは鉄臭く、味はかすかな酸味を感じた。
「まずい!」
「だろ?」
カーチスが苦笑いを浮かべている。ブランは血を飲んだことで心境が変わった。吸血鬼のこと、そしてエニスラルダのことを知りたくなったのだ。
「カーチスさん、吸血鬼とエニスラルダに関する本、なんでもいいから貸して頂けないでしょうか? 拙はみなさんのことをもっと知りたく思います」
カーチスは満足そうな笑みを浮かべた。
「この領と吸血鬼のことを知ってもらうのは大歓迎だ。図書館から本を借りてきてやろう。しかしタダで貸すわけにはいかん。エニスラルダの税金で作った本だからな。税を納めていないお前に貸すのはなぁ?」
「ではどうすれば?」
「お前さんも我らが領に貢献してもらえばいい。そうさな、貸した本の写本をやってもらおうか。本は何冊あってもいい」
この時代グッチョンゲルグ式の活版印刷は発明されたばかりで一部地域にしか印刷機はない。そのため本の複製は僧侶などが手書きで行っていた。
「やります。写本はゾブレでもよくやってました」
「ほほぅ、お前さんはゾブレという地の出身か」
いいこと聞いたとカーチスがニヤリと口角を上げる。
「あっ!? 今のなし! なしで!!」
失言して慌てふためく14歳の少年を見て、125歳の牢番は「ガハハ!」と大笑したのであった。




