■ 第9話「勝ちきれへん勝利」
勝っても、流れはすぐには変わらへん。
人は、昨日のまま生きる。
伏見の市は、にぎわっていた。
公開試食の話が広がり、客は増えた。
「違いが分かる」と言う声も、確かにある。
せやけど――
「……半々、やな」
弥七が、帳面をのぞき込んでつぶやく。
「増えた分、偽物も増えてます」
幸が静かに言う。
人は来る。
比べる。
せやけど――全部が変わるわけやない。
「どっちでもええ、いう顔も多い」
わしが言うと、幸はうなずく。
「“安い方でええ”も増えてます」
間。
「分かった上で、選んでます」
それは、昨日までとは違う。
分からんままやない。
分かった上で――選ぶ。
「……それも、流れやな」
わしは、ため息まじりに言う。
正しさだけでは、動かへん。
人には、人の都合がある。
――京。
昼の通りは、いつもどおり人であふれていた。
「聞いたか、伏見の話」
呉服屋の前で、女衆が声をひそめる。
「なんや、菓子がどうのって」
「よう似たんが出回っとるらしいで」
「どっちがほんまなん」
間。
「さあなぁ」
肩をすくめる。
「甘かったら、どっちでもええんちゃう?」
笑いが混じる。
その横を、職人が通り過ぎる。
「いや、違うで」
ぽつりと言う。
「後に残る味が違う」
女衆が振り向く。
「ほんま?」
「昨日、伏見で食うてきた」
少し誇らしげや。
「ほな、どっちがええの」
「……そら、こっちや」
せやけど、と続ける。
「高い」
間。
「毎日は、無理やな」
現実や。
その声の向こうで、別の話が混ざる。
「内裏でも出とるらしいで」
「ほんまに?」
「評判ええらしい」
その一言で、空気が変わる。
「ほな、ええもんやろ」
「間違いないな」
誰かが言う。
その瞬間――
“値打ち”が、またひとつ決まる。
――内裏。
香の匂いが、今日も静かに流れている。
「例の菓子、評判がようございます」
公家が、穏やかに言う。
「先日のものと、同じか」
「はい」
うなずきが広がる。
もう、疑われへん。
目々典侍は、黙ってそれを聞いていた。
同じ菓子が、再び差し出される。
手に取る。
軽い。
――違う。
分かっている。
せやのに。
「いかがにございますか」
また、問われる。
同じ空気。
同じ期待。
同じ流れ。
目々典侍は、ゆっくりと口に運ぶ。
甘い。
せやけど。
(……やはり、違う)
ほんのわずかに、視線を落とす。
周りを見る。
誰も、疑わん。
誰も、比べへん。
一度“良し”とされたもんは、そのまま残る。
(これが、流れ……)
小さく思う。
正しさやない。
選ばれたことが、正しさになる。
それでも。
ほんの一瞬だけ――
伏見での光景がよぎる。
比べる場。
迷う人。
気づく者。
(……あの場は、違うた)
ここよりも。
目々典侍は、静かに息を吐く。
「よう出来ております」
また、同じ言葉を返す。
流れは、止めへん。
せやけど――
(このままで、ええんやろか)
その問いだけが、残る。
――伏見。
「……厄介やな」
わしが言う。
「一回決まった流れは、強い」
幸は、静かにうなずく。
「せやから、変えるのが難しいんです」
間。
「でも」
顔を上げる。
「変わってます」
「どこがや」
「比べた人です」
小さく言う。
「一度分かった人は、戻りません」
少ない。
せやけど――消えてへん。
「そこを、広げるか」
「はい」
間。
「流れは、ひとつやないです」
弥七が、小さく笑う。
「せやな」
「細くてもええ」
幸は続ける。
「残る流れを、育てます」
静かな確信。
そのときや。
「旦那」
弥七が、目を細める。
「京屋、動くで」
「次は何や」
「……分からん」
せやけど。
「嫌な動きや」
わしは、空を見上げる。
京でも、伏見でも。
流れは、同じように動いている。
人が選び、広がり、固まる。
せやけど――
まだ、終わってへん。
「ほな」
静かに言う。
「次やな」
幸が、うなずく。
弥七が、笑う。
流れは、続く。
勝っても、終わらへん。
むしろ――
ここからや。
ほんまの意味での、戦は。




