■ 第10話「見えへん手」
流れは、触れる。
せやけど――
触っている手は、見えへん。
伏見の朝は、早かった。
荷は積まれ、声が上がる。
昨日までと、同じはずやった。
せやのに。
「……来ん」
船頭の声が、低く落ちる。
一本。
二本。
来るはずの船が、来てへん。
「遅れとるんか」
「いや……」
首を振る。
「近江からも、来てへん」
間。
「堺もや」
空気が、一気に冷える。
全部や。
「……やられたな」
わしは、静かに言う。
弥七が、目を細める。
「せやな」
短い答え。
「昨日までとは違う」
幸が言う。
「完全に、止めにきてます」
分けても、逃がしても――意味がない。
全部、塞がれている。
「どこでや」
わしが問う。
弥七は、すぐには答えへん。
少しだけ考える。
「……上や」
「上?」
「関やない」
間。
「その前で、止めてる」
それは――
人の手や。
「理由は」
「分からん」
せやけど、と続ける。
「理由があるように、見せてる」
その言葉が、重い。
止めているんやない。
止めてもええ理由を、作っている。
「……厄介やな」
幸がつぶやく。
「正面からやない」
「せや」
弥七がうなずく。
「正しい顔して、止めてる」
それは、一番厄介や。
誰も、逆らえん。
――京。
静かな部屋やった。
声はない。
せやけど、人はいる。
「伏見、止まりました」
ひとりが言う。
短い報せ。
「近江も」
もうひとりが続ける。
「堺も、予定通りに」
それだけや。
誰も、喜ばん。
ただ――確認する。
「理由は」
低い声が問う。
「通行の不備、とのこと」
「不備?」
「はい」
間。
「細かい違いを、拾っております」
帳面やない。
人やない。
もっと――曖昧なもの。
「……よう出来てる」
小さな声が、こぼれる。
姿は、はっきりせん。
せやけど――そこにいる。
「気づかれますか」
問う声。
「気づく」
即答や。
間。
「せやけど、間に合わん」
その言葉に、誰も何も言わへん。
すでに、動いている。
止まらん。
「京は」
「変わらず」
「内裏も」
「評判、保っております」
流れは、握られている。
静かに。
確実に。
――伏見。
「……完全やな」
わしが言う。
「抜け道も、全部やられてます」
弥七が、低く言う。
「早すぎる」
昨日の今日や。
偶然やない。
「見られてるな」
わしが言うと、弥七が小さくうなずく。
「せや」
間。
「全部、見られてる」
背筋が、冷える。
「旦那」
幸が、静かに言う。
「どうします」
その声は、揺れてへん。
せやけど――
状況は、厳しい。
「動かせるもんが、ない」
わしは言う。
流れが、来ん。
せやから――売るもんがない。
「……せやな」
弥七が、苦く笑う。
「これは、きつい」
完全に、押さえられている。
そのときや。
遠くで声が上がる。
「偽もん、入ったぞ!」
ざわめきが広がる。
止まっているはずの流れ。
せやのに――
入ってくる。
「……どういうことや」
わしが言う。
弥七の目が、鋭くなる。
「選んでる」
間。
「流すもんと、止めるもんを」
その一言で、すべてが繋がる。
全部止めたんやない。
必要なもんだけ、通している。
「……完全に、握られたな」
わしは、静かに言う。
流れは、まだある。
せやけど――
こちらには、流れへん。
「旦那」
幸が言う。
「これは」
間。
「負けです」
はっきりと。
逃げへん。
わしは、うなずく。
「ああ」
間違いない。
負けや。
せやけど――
終わりやない。
「理由が、ある」
わしは言う。
「ここまで動く理由がな」
弥七が、静かに笑う。
「せやな」
「ただの菓子やない」
幸が続ける。
「流れそのものです」
その通りや。
せやから――奪われた。
「ほな」
わしは、ゆっくりと言う。
「見に行こか」
「どこへ」
幸が問う。
「流れの上や」
間。
「京や」
弥七が、わずかに目を細める。
「……入るんか」
「ああ」
逃げてても、変わらん。
握られてる場所を、見に行く。
「面白なってきたな」
弥七が、低く笑う。
幸が、静かにうなずく。
負けた。
せやけど――
見えた。
流れの奥。
触っている手の気配。
それを、確かめる。
「行くで」
そう言うて、歩き出す。
流れは、奪われた。
せやけど――
まだ、終わってへん。
むしろ。
ここからや。
ほんまの意味での、戦は。




