第四章 第4話 「流れの交差」
伏見。
朝の水は、変わらず静かやった。
井戸の縁に光が落ち、桶の中で波紋がひとつ広がって消える。
揺れて、戻る。
せやのに。
町の空気は、戻りきってへん。
人は来る。
けれど、足が止まらん。
買う者はいる。
せやけど、言葉が残らん。
「……浅いな」
清継が言う。
お葉が頷く。
「流れが、や」
幸は黙ったまま、人の足を見ている。
止まるか、止まらんか。
そのときや。
弥七が、ふっと気配を寄せる。
「……来るで」
小さな声や。
「鞍馬の筋から、話は来とる」
一拍。
「近江から、若いのが下りてくる」
清継は、視線だけで通りの奥を見る。
「ただの若造やない」
弥七が続ける。
「動きが違う」
お葉が口を歪める。
「また厄介なん来たな」
幸は、何も言わん。
ただ――
その“来る先”を見ている。
やがて。
通りの空気が、わずかに割れた。
押しのけるでもなく、
命じるでもなく、
自然に、人が道を空ける。
ひとりの若者が、歩いてくる。
装いは控えめや。供も多くない。
せやけど――
流れが、そちらへ寄る。
「……あれか」
清継が小さく言う。
弥七がうなずく。
「足利義藤」
一拍。
「将軍の子や」
沈黙。
清継は一歩、前へ出る。
義藤も、足を止めた。
井戸を見る。
水を見る。
そして――
人を見る。
しばし、何も言わん。
やがて。
「ここが、伏見か」
静かな声や。
清継が、軽く頭を下げる。
「そう呼ばれております」
一拍。
「商いをやっております、清継と申します」
義藤も、わずかに礼を返す。
「義藤と申す」
それだけや。
せやけど、十分やった。
場の空気が、整う。
「……噂は、聞いておる」
義藤が言う。
「よいとも、悪いとも」
清継は笑う。
「どちらに聞こえました」
義藤は、井戸の水面を見る。
揺れを見ている。
「定まらぬ」
一拍。
「ゆえに、来た」
その言葉に、お葉が目を細める。
清継は、わずかにうなずく。
「見に来た、いうことですか」
「うむ」
義藤は続ける。
「流れがあると聞いた」
一拍。
「それが、どのように巡っておるか」
「確かめたい」
その言葉に。空気が、わずかに変わる。
幸が、初めて顔を上げる。
義藤を見る。
一瞬や。
「止めに来たんやないな」
ぽつりと。
義藤の目が、わずかに動く。
「なぜそう思う」
幸は答える。
「見てる」
一拍。
「流れを」
沈黙。
清継が、少しだけ笑う。
「ええ目や」
義藤は、しばし黙る。
やがて――言う。
「止めれば、濁る」
静かな声や。
「それは、教えられた」
一拍。
「だが」
井戸の水を指す。
「巡らせるとは、どういうことか」
清継を見る。
「それは、まだ分からぬ」
正直な言葉やった。
清継は、指で水面をなぞる。
波紋が広がる。すぐに戻る。
「これや」
短く言う。
「動かすんやない」
一拍。
「触れるだけや」
義藤は、その波紋を見る。
消えていく。
せやけど――確かに広がった。
「……なるほど」
小さく呟く。
お葉が腕を組む。
「分かるんか」
義藤は答える。
「まだ、半分や」
一拍。
「せやけど、興味はある」
その言葉に。
清継が、はっきりと笑う。
「ほな、見ててください」
幸が、小さく言う。
「戻るで」
誰に向けた言葉でもない。
せやけど、確信があった。
流れは、歪められている。
せやけど――止まってへん。
義藤は、その場に立ったまま。
静かに言う。
「……面白い」
一拍。
「巡り、か」
その言葉が、風に溶ける。
この出会いは、まだ静かや。
せやけど――ここから。流れが、形を持ち始める。




