↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国京都流通譚 正水 〜和菓子から始まる“本物”の価値の取り戻し〜  作者: 莵月
第三章(人の証明):巡りの証 ―流通戦―
PR
64/73

第四章 第2話 「天地人の理」

 京、近江寄りの館。


 朝の光が、障子を透かして柔らかく差し込む。

 風は穏やかや。

 湿り気も、重さもない。


 部屋の奥。


 足利義晴が、静かに座していた。


 呼吸は整っている。

 かつての淀みは、もうない。


 湯気の立つ椀。

 薄茶の香りが、静かに立ちのぼる。


「……軽いな」

 ぽつりと、呟く。


 控えの者が顔を上げる。


「御体、いかがに」


 義晴は目を閉じる。


「戻っておる」

 短い言葉。

 だが、その一言に重みがあった。


 襖が静かに開く。

 足利義藤が入る。


「父上」


 一礼し、座す。


 しばし、沈黙。

 やがて義藤が口を開く。


「伏見のこと、耳にしております」


 義晴は、わずかにうなずく。

「どのように聞いた」


 義藤は言葉を選ぶ。


「水がよいと」

「人が集まると」


 一拍。


「同時に、悪しき噂も」


 義晴が問う。

「どのように」


「軽すぎる、水が」

「腹を壊す」

「長く持たぬ」


 そして――


「……いずれも、確かめた者の言葉には思えませぬ」


 義晴は、静かに笑う。


「よい」


 一拍。


「混ざっておるな」


 義藤がうなずく。

「はい」


 沈黙。


 茶の香りが、わずかに強くなる。

 義晴が、ゆっくりと口を開く。


「人はな」


 低い声や。


「地に生まれ、天をいただく」


 義藤が顔を上げる。


「ゆえに――」

 義晴は続ける。


「今生において、天地人の三界を脱することは難し」


 静かな言葉や。けれど、重い。


「人は、その中で生きる」


 一拍。


「天の理を受け」

「地の形に縛られ」

「人の心に揺らぐ」


 義藤は、少しだけ眉を寄せる。


「では……」

 言葉を探す。

「この噂も、その“人の揺らぎ”にて動くと」


 義晴は、ゆっくりとうなずく。

「せや」


 一拍。


「天が理を与え」

「地が場を作り」

「人が、それを歪める」


 茶を口に含む。


「ゆえに、流れは乱れる」


 静けさ。

 義藤が言う。

「……では、正すには」


 義晴は、少しだけ笑う。

「正そうとするな」


 義藤が目を見開く。

「え」


「正そうとすれば、逆らう」


 一拍。


「流れは、止めれば濁る」

「せやけど」


 視線を上げる。


「見ておれば、戻る」


 義藤は、その言葉を飲み込む。

 完全には、分からへん。


 せやけど――何かは掴んだ。


「見よ」


 義晴が言う。

「自分の目でな」


 一拍。


「伏見へ行け」

 義藤の目が、強くなる。


「は」


 控えの者が、静かに口を開く。

「恐れながら、東山にて……」


 義晴が促す。

「申せ」


「施餓鬼の場にて、伏見の話が広く」

「しかも、まちまちに」


 義藤が即座に言う。

「混ぜておりますな」


 控えがうなずく。


 義晴が、小さく息を吐く。

「よい場や」


 一拍。


「人が集まり、腹を満たし」

「言葉を持ち帰る」


 視線が、遠くを見る。


「そこに、流す」


 静かな声。

「……上手い」


 義藤が言う。

「三好、にございましょうか」


 空気が、わずかに重くなる。

 義晴は、すぐには答えへん。

 ただ――


「名を出すな」


 低く言う。


「流れは、名では動かぬ」


 一拍。


「形で動く」


 義藤は、深く頭を下げる。

「承知」


 立ち上がる。迷いはない。

 襖が閉まる。


 静寂。


 義晴は、ひとり残る。


 茶の香り。朝の光。風。

 すべてが、穏やかや。


 せやけど――

 その奥で、何かが動いている。


 義晴は、小さく呟く。

「……宗歓か」


 その声は、誰にも届かへん。

 ただ、空気だけが、わずかに揺れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『戦国京都流通譚 正水』

目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。