第四章 第1話 「見えぬ流れ」
京、東山。
朝やのに、静かやない。
寺の門前に、人が集まっている。
線香の煙が、低くたなびく。
湿った土の匂いに、粥の湯気が混ざる。
施餓鬼や。
飢えた魂に施しをする日。
せやけど――集まっているのは、魂だけやない。
生きた人間や。
商人。
女。
子。
運び手。
皆、腹を満たしに来る。
そして――話を持ち帰るために来る。
「ほれ、並べ」
僧が声を張る。
椀が渡される。
白い粥。
湯気が立つ。
人が座る。
食う。
そして――話す。
「伏見のやつ、知っとるか」
誰かが言う。
隣が聞く。
「何や」
「甘い菓子や」
一拍。
「身体にええ言うてる」
別の声が入る。
「いや、あれはあかん」
「水が軽すぎる」
「腹壊すで」
笑いが起きる。
「どっちやねん」
また別の声。
「酒も出しとるらしいな」
「砂糖使いすぎや」
「贅沢やで」
「いや、安いらしい」
言葉が、ぶつかる。
重ならへん。まとまらへん。
せやのに――消えへん。
椀を持つ手が止まる。
耳だけが動く。
「……ほんまはどうなんや」
誰も答えへん。
答えがないからや。
ただ――
言葉だけが残る。
その少し離れたところ。
軒の影。
男が立っていた。
装いは地味や。
せやけど、目が違う。
流れを見ている目や。
もうひとり、近づく。
「広がっとるな」
低い声。
最初の男がうなずく。
「ああ」
一拍。
「形がない分、早い」
「止めんのか」
「止めん」
静かな答え。
「流させる」
一拍。
「混ぜてな」
二人の間に、短い沈黙。
やがて、もうひとりが笑う。
「三好様も、ええ手を打たれる」
最初の男は、何も言わん。
ただ、視線だけが動く。
人の流れ。言葉の流れ。
そして――
寺の奥。石段の上。
武士が立っている。
鎧は着てへん。
せやけど、立ち方で分かる。
ただの見物やない。
腰のあたり。
衣の下に、かすかに見える。
丸い紋。
巴。
三つかどうかは、はっきりせん。
せやけど――
見た者の胸に、引っかかる。
「……あれ、どこの侍や」
誰かが小さく言う。
答えは返らへん。
返らへんまま、話題が変わる。
「粥、もう一杯もろてええか」
笑い。
湯気。
線香。
すべてが混ざる。
場は、穏やかや。
せやのに――底が、濁っている。
場面が変わる。
伏見。
井戸の水は、澄んでいた。
音は、変わらん。
せやけど――人の動きが、わずかに鈍い。
「……来てへんな」
お葉が言う。
清継は川を見る。
舟は来る。
荷もある。
せやけど、足が止まらん。
人が、残らん。
幸が水をすくう。
一口。
目を閉じる。
「水は、ええ」
一拍。
「せやけど」
目を開ける。
「人が、濁っとる」
清継が、ゆっくりうなずく。
弥七が入ってくる。
顔が固い。
「京や」
短く言う。
「話、回っとる」
「どんなや」
お葉が聞く。
弥七は、少し間を置く。
「全部や」
一拍。
「ええもんも、悪いもんも」
「混ざっとる」
沈黙。
幸が言う。
「……分からんようにしてる」
清継が答える。
「ああ」
一拍。
「それが狙いや」
井戸の水面が、静かに揺れる。
誰も触れてへんのに、波が立つ。
清継が、低く言う。
「見えへん流れやな」
誰も否定せん。
せやけど――確かにある。
水よりも早く。
人よりも深く。
言葉で動く流れ。
それは、もう――伏見に届いていた。




