■ 第6話「京屋の裏」
都の流れは、静かに歪む。
表では賑わい、裏では絡み合う。
それが、京や。
京の町は、今日も変わらず人で満ちている。
絹が並び、香が焚かれ、声が交わされる。
人も物も、確かに動いている。
せやのに――
その流れは、誰かの手の中にある。
「……伏見が揺れとる」
京屋の奥。
帳面の前で、宗兵衛が低くつぶやく。
報せは、もう入っている。
「止まってはおりません」
控える男が言う。
「せやけど、分かれはじめています」
宗兵衛は、指で机を軽く叩く。
止まらんのは、想定内や。
せやからこそ――
「分かれたか」
それは、面倒や。
「近江へ抜けた流れが、動き出しています」
「……誰や」
短く問う。
「まだ、はっきりとは」
間。
「せやけど、伏見で動かした者がいます」
宗兵衛は、わずかに目を細める。
思い出す。
宇治で会うた、あの男。
「……あれか」
小さくつぶやく。
流れを“作る”のやない。
“育てる”目。
あれは、厄介や。
「堺は」
「予定通り、遅らせています」
「比叡は」
一瞬の間。
「……静かです」
その答えに、宗兵衛は小さく息を吐く。
静か、いうのが一番厄介や。
動いてへんわけやない。
見せてへんだけや。
「公家は」
「まだ様子見です」
「ほな、ええ」
宗兵衛は、ゆっくりと立ち上がる。
窓の外――京の流れを見る。
人が動き、物が動く。
せやけど、その奥で――
「流れは、ひとつでええ」
ぽつりと、こぼす。
混ざれば、濁る。
広がれば、乱れる。
せやから――まとめる。
それが、この男の考えや。
「分けた流れは、どうなります」
控える男が問う。
宗兵衛は、振り返らん。
「弱なる」
間。
「細なって、消える」
その声は、静かや。
せやけど、確信に満ちている。
「ひとつに戻せばええ」
そのために――
「混ぜる」
言葉が、低く落ちる。
「同じもんを、流せ」
「……偽物、ですか」
「形だけでええ」
中身は、どうでもええ。
覚えられる前に、混ざればいい。
「宇治の名を、使うな」
一瞬の間。
「似せろ」
それでええ。
人は、違いを覚えへん。
覚えられんもんは――残らん。
「……承知しました」
男が頭を下げる。
そのときや。
障子の向こうから、気配が動く。
「――入れ」
宗兵衛が言う。
静かに開く。
僧や。
ただの僧やない。
纏う空気が違う。
「お待たせしました」
落ち着いた声やった。
宗兵衛は、軽くうなずく。
「比叡は、どう動く」
僧は、わずかに目を伏せる。
「動きません」
間。
「……今は」
宗兵衛の目が細くなる。
「ほな、いつや」
僧は、静かに答える。
「流れが、定まったとき」
その言葉に、空気が張る。
「定まる?」
「はい」
僧は続ける。
「人が、どちらを選ぶか」
間。
「それが見えたとき、動きます」
宗兵衛は、わずかに笑うた。
「遅いな」
「確実です」
僧の声は、揺れへん。
「濁った流れに、意味はありません」
その言葉に、宗兵衛の動きが止まる。
濁る。
その言葉。
「ほな、澄ませばええんやな」
宗兵衛が言う。
せやけど、僧は首を振る。
「違います」
間。
「澄んだように“見せる”のです」
空気が、さらに重くなる。
「人は、見たもんを信じます」
僧は静かに言う。
「中身ではなく」
さらに。
「形を」
その理屈は――同じや。
せやけど、少し違う。
宗兵衛は、じっと僧を見る。
「……おもろいこと言うな」
小さく笑う。
「似とるようで、違う」
「違うから、効くのです」
僧は答える。
間。
宗兵衛は、再び窓の外を見る。
京の流れ。
その中で――
「流れはな」
ぽつりと、こぼす。
「握るもんや」
間。
せやけど、ふと――
あの男の言葉が、よぎる。
――流れは、育つもんや。
「……甘いな」
小さくつぶやく。
せやけど――
その甘さが、どこか引っかかる。
「伏見、続けろ」
宗兵衛が言う。
「近江も、堺も、そのままでええ」
「承知しました」
男が頭を下げる。
僧は、静かに目を伏せる。
「では」
そのまま、音もなく下がる。
部屋に、静けさが戻る。
せやけど――
その静けさの中で。
流れは、さらに深く歪んでいく。
京から。
比叡から。
堺から。
見えへん手が、絡み合う。
そして――
そのすべては、ひとつに向かう。
流れを、握るために。
その戦は、静かに進んでいる。
誰にも気づかれんままに。




