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戦国京都流通譚 正水 〜和菓子から始まる“本物”の価値の取り戻し〜  作者: 莵月
第三章(人の証明):巡りの証 ―流通戦―
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第三章 第9話 「見えぬ手」

 京の夜は、静かだった。

 だがその静けさは、眠りではない。息を潜めているだけだ。


 東山の奥。

 灯りを絞った一室で、二人の男が向かい合っていた。


 一人は、ゆったりと杯を傾けている。

 伊勢貞孝――宗歓。

 もう一人は、影に半ば溶け込むように座っている男。

 名は、まだ出さない。


 宗歓が、楽しげに言う。

「面白いことになってきましたな。」


 影の男は、短く返す。

「伏見、ですか。」


 宗歓は頷く。

「ええ。」

「戦の気配の中で、逆に人が集まっている。」


 杯を回しながら続ける。

「普通は逃げるものを、引き寄せている。」


 影の男が言う。

「流れを作っている者がいる。」


 宗歓は笑う。

「そういうことです。」


 そして、少しだけ声を落とす。

「清継、でしたか。」


 影の男は黙る。

 宗歓は気にせず続ける。


「菓子に酒。」

「そして水。」

「理にかなっている。」


 一拍。


「……だが、それだけではない。」

 影の男がわずかに顔を上げる。


 宗歓は指で机を軽く叩いた。

「広まり方が、早すぎる。」


 沈黙。


 影の男が言う。

「誰かが、流している。」


 宗歓は満足そうに頷く。

「そう。」


「噂は自然には広がらない。」

「流れには、必ず手がある。」


 そして、ふと笑う。


「ただし――」

「その手が誰かは、分からない。」


 影の男が問う。

「調べるか。」


 宗歓は杯を置いた。

「いや。」

「まだいい。」


 その目が細くなる。

「むしろ、このまま流させる。」

「大きくなるほど、見えるものも増える。」


 影の男は黙って頷く。

 そのとき――


 宗歓が、思い出したように言う。


「そういえば。」

「妙な話を聞きましてな。」


 影の男は何も言わない。


 宗歓は軽く笑う。

「宮中の女房が、伏見に出入りしているとか。」


 沈黙。


 影の男が、わずかに反応する。


 宗歓は続ける。

「ただの噂かもしれませんが――」

「菓子の味に、妙な懐かしさを覚えた、と。」


 一拍。

「面白いと思いませんか。」


 影の男が、初めて言葉を選んだ。

「……偶然でしょう。」


 宗歓は首を傾げる。

「さて。」


 その顔には、愉しみが浮かんでいる。

「この世で“偶然”ほど、信用ならぬものはありません。」


 沈黙。

 影の男は、何も言わない。だがその目は、確かに動いた。


 場面が変わる。


 伏見――


 夜の蔵。灯りは少ない。

 静かな空間の中で、甚三郎が立っていた。


 何もしていないように見える。だが、すべてを見ている。


 弥七が声をかける。

「どうや。」


 甚三郎は短く言う。

「……増えている。」


「何がや。」

「目や。」


 弥七が笑う。

「そら増えるやろ。」


 だが、甚三郎は首を振る。

「違う。」


 一拍。


「見方が違う。」


 その言葉に、弥七の顔が少しだけ変わる。

「……探りか。」


 甚三郎は答えない。だが、それが答えだった。


 その頃、京。


 宗歓が静かに言う。

「気づかれた、と思うべきか。」


 影の男が答える。

「まだです。」


 宗歓は笑う。

「そう願いましょう。」


 そして、ゆっくりと立ち上がる。

「いずれにせよ――」

「流れは、こちらにも使える。」


 灯りが揺れ、影が伸びる。


 誰が流しているのか。

 誰が操っているのか。

 それは、まだ分からない。


 だが一つだけ確かなことがある。

 伏見の流れは――もはや、誰か一人のものではない。


 そして。その中に紛れた“縁”が――

 まだ誰にも気づかれないまま、静かに、確かに、動いていた。


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『戦国京都流通譚 正水』

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