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戦国京都流通譚 正水 〜和菓子から始まる“本物”の価値の取り戻し〜  作者: 莵月
第三章(人の証明):巡りの証 ―流通戦―
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第三章 第7話 「水と発酵」

 伏見の町が形を帯びてくるにつれ、もう一つの流れが強まっていた。


 水である。


「この水、ええな。」

 最初にそう言ったのは、蔵元の源蔵だった。


 御香宮のほど近く、湧き出る伏水のそばで、彼は柄杓を手に取った。


 口に含む。ゆっくりと転がす。

 そして、目を細めた。


「軽い。」


 弥七が首をかしげる。

「軽い?」


 源蔵は頷く。

「舌に引っかからん。」


 もう一口含み、今度は飲み込む。

「雑味が出にくい水や。」


 清継が問う。

「どう違う。」


 源蔵は地面にしゃがみ込み、指で線を引くように説明を始めた。


「水にはな、いろいろ混じっとる。」

「中でも鉄や。」


 縁が小さく頷く。

「鉄分か。」


 源蔵は言う。

「鉄が多い水は、味が重くなる。」

「色も濁る。」


 弥七が顔をしかめる。

「ほな、あかんのか。」


 源蔵は首を振る。

「全部があかんわけやない。」

「けどな――」


 一拍。


「繊細なもんには向かん。」


 清継が静かに聞く。

「繊細なもん、いうと。」


 源蔵は即答した。

「酒と、菓子や。」

 その言葉に、空気が変わる。


 源蔵は続けた。

「この伏水は、鉄が少ない。」

「せやから、色が澄む。」

「味も素直に出る。」


 縁が補足する。

「抹茶や餡の色、きれいに出るいうことやな。」


 源蔵は頷く。

「せや。」

 そして、さらに踏み込む。

「もう一つある。」


 弥七が聞く。

「なんや。」


 源蔵は水面を指した。

「柔らかい。」


 清継が問う。

「それはどういう意味や。」


 源蔵は少し笑う。

「水にも“硬い”“柔らかい”がある。」

「硬い水は、強い。」


「せやけど、働きが早すぎる。」


 縁が理解する。

「発酵か。」


 源蔵は頷いた。

「せや。」

「麹がな、働きすぎるんや。」


 弥七が言う。

「それ、ええことやないんか。」


 源蔵は首を振る。

「早すぎると、味が荒れる。」


 そして、伏水をすくう。


「この水は違う。」

「ゆっくり働く。」

「せやから、味が整う。」


 清継が静かに言った。

「時間を使える水やな。」


 源蔵は満足そうに頷く。

「それや。」


 そして、言葉を重ねる。

「ええ麹はな、勝手に働く。」

「せやけど、水が強すぎたら、急ぎすぎる。」


「この水は違う。」

「待てる。」


 弥七が笑う。

「水が待つ、か。」


 源蔵も笑う。

「そういうことや。」


 縁が言う。

「ほな、菓子はどうなる。」


 源蔵は即答する。

「日持ちする。」


 清継の目がわずかに動く。


 源蔵は説明を続けた。

「水が素直やと、余計な傷みが出にくい。」

「火を入れて、水分を飛ばしたもん――」


「例えば練り羊羹やな。」


 弥七が頷く。

「正水紅か。」


 源蔵は言う。

「この水やったら、もっと持つ。」

「味も崩れにくい。」


 清継は少し考え、言った。

「遠くへ運べるな。」


 源蔵は笑う。

「やっと分かったか。」


 そして、立ち上がる。


「この水はな、ただの水やない。」

「商いになる水や。」


 静寂が落ちる。その意味を、全員が理解していた。


 縁が言う。

「伏見が“選ばれる理由”になるな。」


 弥七も頷く。

「ここ通したなるわ。」


 清継は、水面を見つめた。

 流れてはいない。だが、確かに“巡る力”を持っている。


「……これでええ。」

 静かに言う。

「伏見の芯になる。」


 源蔵が笑う。

「最初からそう言うとる。」


 風が吹く。水面が揺れる。

 その小さな波紋が、やがて広がるように――

 伏見の流れは、さらに遠くへ伸びていく。


 水が、価値になった瞬間だった。


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『戦国京都流通譚 正水』

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